雁(1953)

劇場公開日:

解説

明治末期から大正初期にかけて雑誌“スバル”に連載された森鴎外原作の映画化で、「続馬喰一代」の成澤昌茂の脚本を、「春の囁き」の豊田四郎が監督している。撮影は「愛情について」の三浦光雄、音楽は「獅子の座」の団伊玖磨。出演者は「明日はどっちだ」の高峰秀子、宇野重吉、「煙突の見える場所」の芥川比呂志、「刺青殺人事件」の東野英治郎、「あにいもうと(1953)」の浦辺粂子、山田禅二など。

1953年製作/104分/日本
原題:Wild Geese
配給:大映
劇場公開日:1953年9月15日

ストーリー

下谷練塀町の裏長屋に住む善吉、お玉の親娘は、子供相手の飴細工を売って、わびしく暮らしていた。お玉は妻子ある男とも知らず一緒になり、騙された過去があった。今度は呉服商だという末造の世話を受ける事になったが、それは嘘で末造は大学の小使いから成り上った高利貸しで世話女房もいる男だった。お玉は大学裏の無縁坂の小さな妾宅に囲われた。末造に欺かれたことを知って口惜しく思ったが、ようやく平穏な日々にありついた父親の姿をみると、せっかくの決心もくずれた。その頃、毎日無緑坂を散歩する医科大学生達がいた。偶然その中の一人岡田を知ったお玉は、いつか激しい思慕の情をつのらせていった。末造が留守をした冬の或る日、お玉は今日こそ岡田に言葉をかけようと決心をしたが、岡田は試験にパスしてドイツへ留学する事になり、丁度その日送別会が催される事になっていた。お玉は岡田の友人木村に知らされて駈けつけたが、岡田に会う事が出来なかった。それとなく感ずいた末造はお玉に厭味を浴びせた。お玉は黙って家を出た。不忍の池の畔でもの思いにたたずむお玉の傍を、馬車の音が近づいてきて、その中で楽しそうに談笑する岡田の顔が、一瞬見えたかと思うと風のよう通り過ぎて行った。夜空には雁の列りが遠くかすかになってゆく。

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映画レビュー

4.0囚われた女の自立、主体としてのお玉

2022年8月6日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

1953年。豊田四郎監督。森鴎外原作の名作を映画化。父と二人貧しい生活をしている娘は金持ちの男から求められて結婚することに。ところが仲介したオバサンの話とは違って、男には妻があり、しかも呉服屋ではなく高利貸しだった。高利貸しの妾となった自分に嫌気がさす娘は、妾宅の前を通りかかる大学生を意識し始め、蛇を退治してもらったことをきっかけに近づきになるが、、、という話。おぼこ娘が大人の女性になっていく難しい役どころを演じる高峰秀子がすばらしい。
原作の最終場面には、岡田たちが不忍池の雁に向かって石を投げたら当たってしまった雁が死ぬ、という印象的な場面があり、雁=お玉(宿命から逃れられない女)という読解が成り立つのだが、この映画にその場面はなく、雁は自発的に飛び立っていく。ここでの雁はまず第一に日本を離れてドイツに留学してしまう岡田であるし、また、未造との関係に区切りをつけようとしているお玉でもありうる。逆に、仕事に出たはずの未造がふいに戻って来てお玉の岡田への思いを知って口論となるという原作にはない場面があり、原作ではやや突飛なお玉の行動(岡田に思い切って声をかける)の動機が説明的に示されている。
原作にあったのにない場面と原作になかったのにある場面を考慮すると、この映画では原作よりも主体としてのお玉に焦点があたっているといえるだろう。もちろん、原作ではお玉と岡田の物語の外に語り手が実存してるのだから、お玉が主体であろうはずもないのだが。そして、しつこいようだが、主体としての(主体になりきれない存在としての、という意味も含む)高峰秀子がすばらしい。

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