劇場公開日 1983年11月12日

「失われた時を求めて」居酒屋兆治 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0失われた時を求めて

2021年11月27日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

この映画は伊丹十三パートと大原麗子パートの2つに腑分けできる。
伊丹パートは儒教的価値観を、大原パートは西洋的純愛価値観を表現しているが、これらはともに戦後日本の昭和という時代における大衆社会の基軸であり、本作が好評で迎えられた理由もそこにある。

しかし、これらの価値観から離れた平成、令和の時代には、本作はやや病的である。特に大原演ずる純愛に殉じる女性は異常だ。
結婚して旦那に大切にしてもらいながら、家出を繰り返し、自暴自棄になった挙句、アル中で衰弱死なんて女、誰だって嫌だ。だが、それをよしとしたのが昭和という時代だった。

伊丹パートにしたって同じである。ただ学校の先輩というだけで無理難題を唯々諾々と聞き続け、より強い上下関係や生き死にの問題が登場するまでひたすら耐え続けるというのは、今では日本社会の悪しき慣習としか見えないだろう。

結果論だが、その後の時の流れから、価値観が逆転するのがわかり、とても貴重な映画だと思う。
失われた時を求めて、何度も何度もこの映画を見てしまう。

徒然草枕