劇場公開日 2006年12月23日

「「無花果の顔」と聞くと、山田花子の顔が無花果のように映し出されるのかと想像してしまいますが、意外と色白でした・・・」無花果の顔 kossykossyさんの映画レビュー(感想・評価)

2.0「無花果の顔」と聞くと、山田花子の顔が無花果のように映し出されるのかと想像してしまいますが、意外と色白でした・・・

2019年3月2日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 時代はいつ頃なのだろうか、父親(石倉三郎)の使っていた移動電話やウィークリーマンションを利用しているから80年代以前ということくらいしか想像できない。しかも門脇家では黒電話を使っているし、テレビもチャンネルもガチャガチャ式である。娘の結夢(山田花子)がパソコンで原稿作成している場面へ飛ぶと時間の経過もわかるのですが、母親(桃井かおり)が父の死からようやく立ち直るのにそれだけ時間を要したことが痛々しかったりもする。

 登場人物も少ないのにも拘らず、家族の面々は不思議な会話を続けるので観客はちょっと距離を置かれてしまう。それぞれの奇妙な行動も、斜め上から撮るアングルや食卓でのわざとらしい切り替えしカットも、斬新ではあるけどテクニックのごった煮状態になっていると感じてしまうのです。また、突然幼少時の顔になる結夢の映像とか突然巨大な蟻のCGが出てきたり、最近の邦画でよく見かけるクリエイティブな映像もあります。もしかすると、この一貫性の無さはそのままファンタジックな桃井かおりの心情を表現しているのかもしれませんが、それだと花子ちゃんが置いてけぼり食らってしまいそうです。せめて「わたしはエリザベスよ!」などというギャグでもあれば微笑ましかったのに・・・

 全体的には、短編をひとつにまとめた脚本ということもあって中途半端に描かれているところも多かったように思います。個人的には石倉三郎と隣人との関係をもっと描いてほしかったですし、結夢ちゃんの戸籍も気になって欲求不満になってしまそうです。そうした疑問を投げかけると、「映画を体で感じなければだめよ~」などと言う桃井かおり監督が夢の中に現れてくるような気もする・・・

 邦画でも女性監督がどんどん進出してきています。たまたま3本連続して女性監督邦画を鑑賞したことになりましたが、それぞれのちょっとした台詞のやりとりにおいても行間の意味が隠されているような繊細なタッチが感じられます。ただ、プロット自体に重きを置かないという特徴は、続けて鑑賞すると印象が薄れてくるという欠点もあるような気が・・・

kossy