ソフィーの選択のレビュー・感想・評価
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この世界の殉教者
アメリカの田舎町で育ったスティンゴは、小説家になるための自分探しの旅をしており、ブルックリンにアパートを見つける。
部屋中ピンクの変わった建物で、階上ではどうやら恋人同士がセックスに夢中らしく、天井がギシギシと軋んでいた。
やがて廊下からは男が激しく罵倒する声と、それにすがりつく女の泣き声が聞こえる。
その現場を覗き見てしまったスティンゴは、男に口汚く罵られる。
女の方はすぐにスティンゴに謝罪をするが、彼は儚げな彼女に惹かれてしまう。
まだ恋愛も経験していない世間知らずなスティンゴ。
このアパートでの生活が彼に未知の刺激を与えてくれることは確かなようだ。
その後、スティンゴを罵ったネイサンと、その恋人であるソフィーは、謝罪の意を込めて彼をピクニックに誘う。
こうして不思議な男女三人の交流が始まる。
やがてスティンゴは彼らの口から馴れ初めや身の上話を聞かされる。
ソフィーはアウシュヴィッツに収容されていたこと、収容所を出た後に貧血で倒れたところをネイサンに助けられたこと、ネイサンは生物学者で重要な研究に携わっていること。
物語が進むにつれて、二人にはスティンゴにはない心の闇があることが分かってくる。
ネイサンはソフィーに「僕らは間もなく死ぬんだ」と呟く。
その言葉にスティンゴはずっと引っ掛かっていた。
とにかくネイサンは陰と陽の差が激しい。
一度鬱状態に入ってしまったら、どれだけ宥めても被害妄想に取りつかれ、ソフィーとスティンゴに攻撃を加える。
そしてソフィーはどれだけ身の危険を感じてスティンゴに忠告されようと、決してネイサンの側を離れようとしない。
この二人の危うい関係の裏にあるものは何なのか。
まずは収容所を生き延びたソフィー。
彼女はとにかく生き残ることに必死で、そのために多くの嘘をついてしまったようだ。
彼女の口から語られる収容所での出来事はショッキングだ。
選択を間違えれば命を奪われてしまう。
そんな究極な状況で無力な彼女に何が出来ただろう。
後になって考えれば罪深いことだとしても、その時には彼女には選択肢はなかったのだ。
一番悲しかったのは彼女が息子か娘か、どちらを助けるか選ばされる場面だ。
追い詰められた彼女は娘の命を差し出してしまう。
彼女は収容所を生き延びたが、彼女の心の一部は収容所で死んでしまったのだろう。
彼女は常に罪悪感に苛まれている。
彼女がネイサンという危うい存在に惹かれ、離れられなくなってしまったのも必然だと思われた。彼女はネイサンに責められることで救われていたのだ。
ユダヤ人であるネイサンはナチスを憎悪している。そしてその憎悪を時にはソフィーにもぶつけてしまう。
後半に彼は妄想分裂症であり、生物学者だというのも嘘だったことが分かる。
ついにネイサンは銃を持ち出し、ソフィーとスティンゴを殺すと脅迫するまでに精神的に追い詰められてしまう。
スティンゴはソフィーを連れて逃げ出し、彼女に結婚を申し込む。
だが、正直スティンゴにはソフィーの心の闇は抱えきれないだろう。
スティンゴはあまりにも初で真っ直ぐ過ぎる。
最終的にソフィーはネイサンの元に戻り、二人揃って命を断ってしまう。
とても悲劇的な結末、そしてスティンゴにとっては辛すぎる結末だ。
しかしソフィーとネイサンにとっては、真っ直ぐな心を持ったスティンゴの存在は最後の救いだったのだろう。
二人には破滅的な結末以外は考えられなかったが、だからこそ彼らは汚れのないスティンゴを側に置きたかったのだろう。
スティンゴの割り切れない想いもとてもよく分かる。
おそらくこの経験が彼を小説家として成長させてくれることだろう。
ソフィーの選択は悲しいものばかりだったが、改めて彼女に非道な決断を強いたナチスドイツの冷酷さ、そして戦争の残酷さを思い知らされた。
原作者が僕の肌に全く合わない。
『自己破滅型の私小説作家』でありながら、ストーリーとして描くは赤の他人事。
日本で言えば、太宰治見たいな小説家であろうが、太宰治は自己破滅している。だから、日本人としては『美しい二人の死(?)』に納得が行かないと思うが。
ナチスに協力的なポーランド人は沢山いた。また、ポーランドの大統領の発言で『ナチスに協力的だったのは、ユダヤ人にもいた』と言う言葉があった。
このアメリカ南部出身の原作者に話を戻すと、ユダヤ人の虐殺を憂えるよりも『奇妙な果実』に目を向けるべきだと思った。
追伸 ヘスってルドルフ・ヘスの事だろうが、ルドルフ・ヘスってドイツ系なのだろうが、エジプト生まれで『エジプト人!』って差別されている様だ。ナチスのプロフィールではドイツ人とされているが、見た目がベルベル人に見える。
そして、ルドルフ・ヘスは責任をどう逃れたのか、1987年まで存命だった。
いずれにしても、アウシュビッツで犠牲になったユダヤ人は、この映画の中では一人も登場しない。そして、このストーリーに登場する、極めて保守的な連中が右往左往する話で、なんか、無責任な話だと感じた。勿論、微塵も共感できない。
図書館に『ソフィーの選択』ってあって、読んだと思っていたら『ソフィーの世界』の間違いだった。
ラストシーンは悲しく美しく、ナチスドイツとポーランドの関係性に関する歴史の勉強にはなったのだが、ストーリー展開にはあまり乗れなかった
アラン・J・パクラ 監督による1982年製作(151分)のアメリカ映画。
原題:Sophie's Choice。
ウィリアム・スタイロンによるベストセラー小説「Sophie's Choice」を原作とし、アラン・J・パクラが脚色。原作は読んでいない。
予想とは異なりアウシュビッツの話は印象的だが短く、ソフィーことメリル・ストリープ、彼女の恋人ケビン・クライン、駆け出し童貞作家で語り部のピーター・マクニコルの三角関係的な描写が殆どであった。脚本的には、この過去と現在、二つの要素のバランスが悪く、作家の童貞卒業物語も余分に感じ、あまり好きにはなれなかった。
ナチスによるユダヤ人虐殺は有名であるが、恥ずかしながら、この映画で描かれた様なユダヤ人でないポーランド人の虐殺は知らなかった。調べてみると、タンネンベルク作戦(ナチスによるポーランド人の絶滅計画)で、何と約61,000人のポーランド人活動家、知識人、俳優、元将校が逮捕・抑留、あるいは銃殺されたらしい。
キリスト教徒のポーランド人を演じたメリル・ストリープは見事なドイツ語とポーランド語、移民らしい流暢とは言えない英語を、的確に話しているらしいが、その点は分からずじまいで残念。ナチス将校や語り部のピーター・マクニコルから見れば、大変な美人ということらしいが、自分的にはそうは思えず、あまりストーリー展開に乗れなかった。
ケビン・クラインが自称生物学者で天才性と狂気を併せ持つ妄想性分裂症のユダヤ人を大熱演。感心させられたのだが、あまり共感を持てないせいか魅力はあまり感じなかった。
ラストシーンは個人的には賛同できない終わり方だが、悲しく美しくもあった。2人の出会いの要因となったエミリー・ディキンソンの詩“Ample make this bed”がベースにあるらしい。彼女の愛読書である聖書の世界の映像化と感じた。
Make this bed with awe;
In it wait till judgment break
Excellent and fair.
Be its mattress straight,
Be its pillow round;
Let no sunrise' yellow noise
Interrupt this ground.
監督・脚本アラン・J・パクラ、製作総指揮マーティン・スターガー、製作キース・バリッシュ、 アラン・J・パクラ。
原作ウィリアム・スタイロン、撮影ネストール・アルメンドロス、音楽マービン・ハムリッシュ。
出演
メリル・ストリープ、ケビン・クライン、ピーター・マクニコル、リタ・カリン、スティーブン・D・ニューマン、ジョシュ・モステルジョシュ・モステル、ジョセフ・ソマージョセフ・ソマー、グレタ・ターケングレタ・ターケン、ロビン・バートレット、ジョン・ロスマン、デビッド・ウォール。
ソフィーはずっと選択していた
初めから男女でベタベタしているシーンだったので、そのうちの女の方が、個人的に好感を持っているメリル・ストリープでないことを思わず願ってしまった。メリルの性的なシーンを見せられると、なぜかざわついてしまう。本当はもっと静かで、控えめな演技でその知的な雰囲気を発揮して欲しいのに。
父との決別、地下組織への参加、子供の選別、アメリカへの移住、精神病患者との心中と、常に選択をした結果に導かれてきた彼女の苦悩が存分に表現されていると思う。
語り手の男性が同い年だと知ってほっとした。なんだか幼く見えていたから。自分だけが大人気ないわけじゃないんだな。よかったよかった。
生の歓びと死の誘惑
第二次世界大戦後のニューヨークが舞台。1982年作品で作品の舞台は47年。
アウシュヴィッツを生き延びたポーランド人のソフィー(メリル・ストリープ)と同棲するユダヤ人ネイサンの住むアパートに、南部の田舎から出てきたばかりの作家志望の青年スティンゴが引っ越してくる。本作はスティンゴの視点で進み、徐々にソフィーのこれまでの人生が明らかになっていく。
ほとんどのシーンが現在のニューヨークでありながら、物語には戦争の傷跡が色濃く映し出される。
とりわけソフィーがアウシュヴィッツで直面した「選択」は、彼女自身に重く、暗い影を落としている。
その「選択」は、戦争が生み出した狂気と言うほかない。そしてネイサンには、また異種の狂気があるが、年若い青年スティンゴにはない。スティンゴはやがてソフィーに恋をするのだが、ゆえにソフィーは彼を遠ざけるのだろう。
スティンゴが作家志望ということもあり、全体的に描写やセリフは詩的。
3人が友情を深めるシーンはカメラ、脚本ともに素晴らしく生の充実を描くが、それらの積み重ねが狂気によって、いとも簡単に壊されてしまうことが対比的に描かれていて巧みである。
ネイサンはホロコーストを憎んでおり、壁には強制収容所の写真を貼っている。それはソフィーには耐えがたかったはずだ。しかし、その反面で彼女にとっては忘れてはいけない記憶でもある。
ネイサンとの愛情、ネイサンを交えたスティンゴとの交流、そこには人生の歓びがあったはずだ。しかもソフィーは、文学、音楽、おしゃれなど人生の愉しみを識っている人だ。しかし、その一方で、彼女には常に死の誘惑があった。自分だけがアウシュヴィッツを生き延びてしまったということを自分自身、許せなかったのだ。
誰にも話さなかったアウシュヴィッツでの出来事を、ソフィーはスティンゴにだけ語る。いや、辛すぎて「話せなかった」のだろう。そして、話せたから、この出来事を、自分の身に起きたことを、誰かに言い残すことが出来たからこそ、彼女は死ぬことが出来たのだろう。
舞台となる一軒家を改装したアパート「ピンクパレス」がまた素晴らしい。
ソフィーたちの部屋は、元がメインダイニングだったようで、5枚の窓が弧を描く出窓がある。その窓の前でレコードに合わせて指揮棒を振るネイサンが、5枚の窓に映るシーン。
ほか、暗く、本で溢れたネイサンの書斎。スティンゴの部屋に面した1階のバルコニー。屋根の上での語らい。「ピンクパレス」を脇役の1人と位置付けてもいいほどだ。
画像は粗いのだが、そこに光の加減も加わり、80年代アメリカ映画っぽさを感じる。
151分と長いが、始まればあっという間。
素晴らしい演技(特にメリル・ストリープが出色)、詩的な映像とセリフ、そして人生に戦争があったということ(選択)の重みに打たれる。
傑作。
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