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怒鳴る男の罪深さ 俺は家族を支えるために働いているのに、そのために時間を惜しんで働いているのに(だから、家族のことになかなか時間をかけることもできないのに)、なんで分かってくれないんだ‼️
と思ってキレてしまう男性は、日本だけではないんですね。この映画で描かれる経済的な問題(例えば格差や極端なコストダウンや効率化が構造化したことによる中間層の疲弊)はイギリスの場合、移民問題やEU離脱なども絡んで日本以上に大変な面もあると思いますが、それはさておき、とします。
私にはもっと大きな問題が目につきました。
それは〝怒鳴る男〟の罪深さ。
もちろん世の中には色々な人がいて、考え方もそれぞれ違うわけで、この父親の姿をもって、一般化するつもりはありませんが、家庭を舞台にした人間ドラマにおいて、怒鳴る男って多いと思いませんか。
『ひとよ』で殺された虐待男に限らず、日本のホームドラマや朝ドラなんかでも結構出てきます。
大きな誤解がありますが、怒鳴る、とか、キレル、という情動は決して、元々生理的・瞬間的に起こるものではありません。少なくとも、針で刺されたら痛い、という反応よりは後天的に身に付けた反応です。
自分の理解の及ばない、或いは自分の感情では受け止めきれないような相手の言い分や考え方に接した時、咄嗟にそれを拒否するために、いつの間にか身に付いた反応なのです。
学校の先生や会社の上司などでも、その人にとって未知の考えや反論をする生徒や部下に対して〝怒る〟という反応しか出来ない人。とにかくそれは許されない、と根拠なく否定することしかできない人っていませんか?
冷静で利害関係が絡まない人なら、あ、この人とは話ができないな、と諦めるだけで済むかもしれませんが、生徒や部下、子どもという弱い立場の人にとっては最悪です。これからも続くのか、という恐怖と絶望感に苛まれます。
怒鳴ることしかできない人は自分の情感の多様性を広げる可能性を、自分を守るシールド作りに追われているうちに自ら閉ざしているのです。
【怒鳴るな!というのは分かった、じゃあどうしたらいいの?ということについて書いてなかったので追記します】
もちろん対処法的に行うこととしての正解なんてありません。
ただ、どうしてそんなことになってしまったのか、を一緒に考えることしかできないと思います。怒鳴るのではなく、ただ話を聞いて一緒に考える姿勢を見せるのです。それですぐに息子が素直に語り始めたり、急に態度を改めたり、なんてことはないでしょう。
それでも、この親たちは想像力を働かせて、自分のことを分かろうとしている、という姿勢が伝わればそれだけで十分だと思います。その姿勢が伝われば今度は、息子自身も想像力を働かせるようになります。
今は気まずいけれど、次に親に話しかける時なんて言おうか、と考え始めれば、親たちの働いている状況や苦労している姿も見えてくるし、自分を取り囲む環境や人との繋がりなどが朧げながらも浮かぶようになります。そういうことに想像力が働くようになることが、人の成長であり、優しさに繋がるのだと私は思っています。
(追記分、ここまで)
この映画では幸いなことに、聖母のような妻(被介護者への接し方までルールを作るほど自己制御ができる素晴らしい人)のおかげで、なんとかあの父親も気付き変わることができそうなので、一見おやっと感じるラストですが、父親の成長に向けての苦しみ、それはすなわち希望の見える終わり方だと、私は思いました。