コラム:若林ゆり 舞台.com - 第82回

2019年9月25日更新

若林ゆり 舞台.com

第82回:日本ミュージカル界のパイオニア、松本白鸚が50年挑み続ける「見果てぬ夢」

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ユウラクチョウ……。昔々、1969年、有楽町の帝国劇場で、1本のブロードウェイミュージカルが日本初演の幕を開けた。「ラ・マンチャの男」である。主演は、歌舞伎俳優の市川染五郎(6代目)。後の松本幸四郎(9代目)、現在の松本白鸚(2代目)である。それから50年。今、白鸚が、また「ラ・マンチャの男」に挑む。彼こそ、日本ミュージカル界の礎を築き、初めて世界にその実力を認めさせたレジェンドだ。なにしろ「ラ・マンチャ」初演の翌年、27歳にしてブロードウェイの舞台に10週間も主演俳優として立ち、91年には幸四郎としてもう1つの当たり役、「王様と私」の王様役で、渡辺謙よりずっと前に、イギリスのウエストエンド&全英ツアーの計207ステージをやり遂げたのだから。そんな白鸚に、話を聞いた。

「『ラ・マンチャの男』の初演の時は、『これは2度と上演できないだろうな』と思ったことを覚えています。それくらい難解で、哲学的なテーマを扱っていてね。僕もまだ26歳でしたから、最初は何だかよくわからなかった(笑)。それをまさか、50年やり続けるとはね(笑)」

撮影:若林ゆり
撮影:若林ゆり

「夢は稔りがたく 敵は数多なりとも 胸に哀しみを秘め 我は勇みてゆかん」という歌詞で始まる主題歌「見果てぬ夢」を聞いたことがある人は多いのではないか。「ラ・マンチャの男」は、華やかなエンタテインメント性に富んだミュージカルとはちょっと違う。しかし、「人は人生をどう生きるべきか?」と問いかけ、見た人の人生を変えてしまうほど真理を突き、胸を打つ言葉や歌を満載したミュージカルなのだ。

物語の幕開けは16世紀、スペインの牢獄。そこに「ドン・キホーテ」の作者ミゲル・デ・セルバンテスが教会侮辱罪の容疑で投獄される。「ドン・キホーテ」の原稿を牢名主に奪われそうになったセルバンテスは「即興劇という形で申し開きをしたい」と提案。囚人たちを巻き込んだ芝居が始まる。主演俳優はセルバンテスのほか、劇中劇「ドン・キホーテ」の主人公を務め、騎士道物語に自分を同化し妄想に生きる老郷士アロンソ・キハーナ、そしてキハーナの妄想が生み出した騎士ドン・キホーテという3つの役を演じることになる。複雑な三重構成で、物語の哲学的な深さと重みは圧倒的だ。

「この作品は、大の大人が声を大にしては、とても照れくさくて言えないような、でも大人が持っているべき心をテーマにしているミュージカルです」と、白鸚は言う。

「『事実というのは、真実の敵だ』とか『本当の狂気とは、あるがままの人生に折り合いをつけて、あるべき姿のために戦わないことだ!』とかね、ちょっと青臭く感じるようなセリフが出てきます。そういう言葉の真意が、僕も最初は分からなかった。でも人生を歩んでくると、夢敗れて、『希望なんてものは何だったっけ?』という目に遭わされるでしょう。実生活でそういう経験をすると『ラ・マンチャの男』を思い出すんですよ。『あぁ、ラ・マンチャの男というミュージカルで言っていたのはこれだったのか!』って。だから、気付きのミュージカルとでも言いましょうか。自分の人生を経験したことで、気付かされるミュージカルなんです」

1969年、初演時の扮装写真。撮影:篠山紀信 写真提供:東宝演劇部
1969年、初演時の扮装写真。撮影:篠山紀信 写真提供:東宝演劇部

そもそもなぜ、歌舞伎俳優である白鸚が日本ミュージカル界の祖となったのか。それは、彼が染五郎(6代目)を名乗っていた10代の頃、父の初代白鸚(当時の8代目松本幸四郎)が息子を連れて、松竹から東宝に移籍したことが始まりだった。東宝で歌舞伎をやることが目的だったが、当時、東宝でミュージカルづくりに情熱を傾けていた菊田一夫が染五郎の資質に目をつけた。そして65年、22歳の時に「王様と私」の王様役でミュージカルデビューを飾る。

「当時は松竹と東宝、歌舞伎とミュージカルなんて、今より水と油のようなものでしたから。僕の体の中で生木を裂かれるような感じがありました。その頃は日本にまだミュージカルが根付いていなくて、上演も年に1、2本。でも菊田先生が僕に『染五郎くん、続けようよ。日本にミュージカルが根付くまで、続けてくれよ』とおっしゃったんです。ずいぶん無謀な考えですよ。歌舞伎をやって、ミュージカルもやるなんて。『先生、無理です』という言葉が喉まで出かかったんですが、若かったんですね。『やります』と言っちゃった(笑)。男と男の約束でした」

筆者紹介

若林ゆりのコラム

若林ゆり(わかばやし・ゆり)。映画ジャーナリスト。タランティーノとはマブダチ。「ブラピ」の通称を発明した張本人でもある。「BRUTUS」「GINZA」「ぴあ」等で執筆中。

Twitter:@qtyuriwaka

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