デアデビル ボーン・アゲインのドラマレビュー・感想・評価
闇に染まった世界にも上空に星は瞬いている
マーベルシネマティックユニバース(MCU)は今までの作品ほぼ(『エージェント・オブ・シールド』シーズン5以降、エージェント・カーターシーズン2以降、『インヒューマンズ』、『ランナウェイズ』、『クローク&ダガー』、『ヘルストローム』以外の、ディフェンダーズサーガ含め『キャプテン・アメリカ ブレイブ・ニュー・ワールド』公開時点までの作品)観賞済。
フェーズ3までのMCUが楽しくフェーズ4以降の作品群も楽しめていたものの、デアデビルが『デアデビル: ボーン・アゲイン』で本格的にMCU世界に合流すると知り、今まで面白い面白いとは聞いていたもののドラマなのとシーズンの多さに塩漬けにしていたディフェンダーズサーガを全て履修し終えるまでこの作品以降のMCU最新作を観るのを我慢していた。
そこから半年近く掛けて1からディフェンダーズサーガを全て履修しこの作品に辿り着けたので、予告編のマット、フォギー、カレンの三人が揃っている画を見るだけでもう感慨深く感じ目頭が熱くなった。
その時点でこの作品が全9話であることだけは知っていたので、3シーズン+αの設定や魅力的なキャラクターの数々の作品を9話で収められるのか不安に感じながら見てみた。
最終話まで観終えた結果思ったのは、個人的には2025年に放映されたドラマシリーズでストーリー、演出、演技などエミー賞でこの作品がいずれも受賞しないことがあれば投票者の眼は節穴なんじゃないかと思えるほどに素晴らしい作品ってことだった。
ディフェンダーズサーガを経た世界観、そして同じ制作陣だからこそ、1話でのフォギーの暗殺っていう展開は「MCUに合流することで生ぬるい作品になった」って言われないためにも、そして製作陣が今描くことを考え抜いたからこその展開に感じられたし、デアデビルを追ってきて来た視聴者はこれまでマットを支えてきた親友であるフォギーでさえ死んでしまうこの作品がこの後どこまでやってしまうのかって残酷さを突き付け、惹きつける素晴らしい導入だったと思う。
驚くのはストーリー展開だけじゃなくデアデビルの能力”レーダーセンス”で様々なものに対する察知能力の高さを、画面上下の黒帯の幅が広くなりフォギー以外の周囲の音が消え外にいるフォギーにフォーカスしていく演出で”レーダーセンス”能力の説明と共に原作コミックっぽいコマ割りを再現したようにも見える素晴らしい演出だったし、アクションも1話からポインデクスター(ブルズアイ)との戦闘をワンカット、そしてアクション全体を見せる為に引きで映す演出は一般人が介入出来ない超人同士の戦いであることを強調していて劇場映画でのCGに頼ったアクションの演出と差別化出来てたと思うし、”レーダーセンス”能力があるからこそ撃たれたフォギーの命が尽きていく様が心拍や少しずつ実感してしまう”デアデビル”だからこその絶望の演出、点滅する照明の色で私服のマットでありながらデアデビルを連想させる演出など、ディフェンダーズサーガと同じものを、じゃなく更に進化してやろうっていう気合の入った演出も素晴らしかった。
今回初登場のキャラクターも素晴らしく、ホワイトタイガーとしてビジランテ活動をするヘクター・アヤラ役のカマル・デ・ロス・レイエスさんの彫りの深い顔と3話の人々を助け続けた功績が自分に返ってきたシーンで自分がヒーローとしてのビジランテ活動をする理由を語る演技は、今作だけじゃなく過去の話としてホワイトタイガー単独作を一本作ってほしいほど、きっと今後出演オファーが殺到するんだろうなっていう演技だっただけに、2話の追悼文でこの作品の配信前に亡くなってたのを知ったのはとても哀しいし、登場している役者さん軒並み素晴らしいと思ったけれどその中でも本当に惜しいと感じさせる役者さんだった。
そんな誠実なヒーロー・ホワイトタイガーが暗殺され、悪の帝王キングピンが聞こえの良い言葉で市民に選ばれ市長となり、権力者を脅迫することで更に後ろ盾を得、ビジランテ活動を行うヒーローを捕獲していく、そんな悪がのさばる終わり方は、フィクションと言うにはあまりにも今のアメリカの政治を暗喩し過ぎていて、アメリカに住んでいる人は最終話まで正気で見れてたんだろうか。
そんな現実を映し過ぎている状況の中で、マットがフィスクを狙撃から守るシーンは”如何に極悪人でも殺人を犯してはならない・殺人を許してはならない”ヒーローとしての定めを表している素晴らしいシーンで、2025年にこれを描くことで図らずもアメリカ社会で起こった事件とその反応を風刺していることが現実社会に対する痛烈な皮肉にも感じた。
最終話でフィスクによって街は停電に陥り、暗闇に染まった街での「暗闇で生きるのはどんな感じか」「”まるで千の太陽だ”」ってセリフは、まるで”闇に染まった(悪が街にのさばった)中にも上空には希望の星(正義の市民やヒーロー)は瞬いてる”とも取れるセリフであり、今回正義が悪を倒すカタルシスは得られないけれど個人的には大満足で、見終わった後の充実感やこれから先に対する期待感は上がるばかりのシーズン1だった。
個人的にはネトフリ版デアデビルが好きならMCUをフェーズ4以降追っていなくても是非オススメしたくなる作品。
『デアデビル: ボーン・アゲイン』ってタイトルは、キングピンによってNYが悪の街へと”ボーンアゲイン(生まれ変わる)”作品であり、弁護士として世の中を変えようとしたマットが改めてヒーローでなければ成しえない正義があると気付き”ボーンアゲイン(生まれ変わる)”することでこれから反撃へと打って出るための作品だと感じられた。
間違いなくスーパーヒーロードラマの中で1番面白かった!!
ネトフリ万能デアデビルがMCUに本格参戦する今シリーズ、前のシリーズは当時ネトフリに入って無かったので追えなく今シーズンは前のシーズンをあえて観ない形で観てみようと思い観てみました。
序盤のマットことデアデビルの親友のフォギーが殺されてデアデビルを止めた1話からテンションが飛ばしまくっていてアクションも1話に1回クラシックかつシンプルなカーチェイスからマーベル作品らしいスーパーヒーローアクションなど様々なアクションがそろそろ見たいなぁって思える場所で入ってる親切設計。話もかなりシリアスかつ重い話が続くのですが重すぎて見るのが辛くならないように程よい感じのユーモア(コメディというわけではない)とシリアスな法定物、政治的要素が強いのにエンタメ要素も強くしてる社会派エンタメの手本かのような感じの作品で楽しく見れた。
全2件を表示

