聖闘士星矢 The Beginningのレビュー・感想・評価
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ファムケ・ヤンセン!
すっかり失敗作としてネタにされてしまっている気がするが、決して酷い駄作ではない。ちょっともっさりとしているとはいえ、ハリウッドのSFアクションとしてそれなりのクオリティはキープされていて、ああ特級、一級ばかりでなく、これくらいの映画であるよなあと愛しらしく思えなくもない。もちろん技の名前を叫んでくれないのは日本の漫画文化、アニメ文化で育った者として非常に物足りないし、主人公がいちいち叩く軽口がひと時代前のダサさだよなと思ったりもする。しかし原作から最も離れたオリジナル要素としてのファムケ・ヤンセン演じるキャラが、ストーリーの中で一番グッとくるポイントになっていて、やる気あふれる脚色として悪くなかったとも思う。詩織お嬢様の髪の色の寄せ方も、アッパレな手を思いついたものだと感心した。手放しで褒める作品ではないが、今回はThe Beginningなだけに、あと2本くらいあっても観に行きますよ、と言えるくらいに応援する気持ちはあります。
面白く無い
原作は序盤を少し読んだけど、ほとんど記憶に残っていない。アニメは見て無い。ので、昨今話題の実写化での改悪とかは気にならない筈なのだが・・・・・始まって五分で「これ、聖闘士星矢じゃないよな」と確信する、アメコミ感全開の画面。アメコミで映画作り過ぎて、題材に出来るのが無いから聖闘士星矢をアメコミ風にしたのかなぁと言う印象。
でもまぁ、別に原作ファンでも無いので面白ければ良いんだけど・・・・うん、こうなって、こうなって、こうなるだろうなぁと言う、この手の映画のテンプレ通りの展開。絶対、最期に母親の母性が目覚めるよなって思ったら目覚めたw
修行シーンは、ジャッキー・チェンに念力足してみました的。
あぁ、蘇るドラゴンボールの悲劇。
VFXもマトリックス時代だったら、まぁまぁかなぁレベル。見せ場であるだろう、聖衣を身に付けると戦隊もの?って感じ。
序章のつもりで作ったんだろう、色々と尻切れ。ジャンプ的に言うと「俺たちの戦いはこれからだ」打ち切りエンド。興行的にもかなりの大コケらしいから序章の次が作られる事は無いだろうなぁ。
Amazonの4Kで見た分、高画質が余計に虚しい。
おもしろくなかった
ただ実写に向いてない。それだけ。
アメリカの量産型主人公に見えた。
よく見る生意気な若者キャラ。
アニメの熱いopが薄くやさしい感じにされて流れてた。他にも気づいてないリスペクトやファンへのサービスがあったかも。
昔、子供の頃アニメの再放送を見てた。
ほぼ覚えてない。
がむしゃらなイメージがある。あと敵が怖かった印象。
〘 アーマーバトル映画 〙
自宅で観てて「あっ ランチボックスがっ!」と叫んでしまった。
突っ込みどころは、仲間が捕まってるのに放ったらかしで「食事にしよう」と言うアルマン達。
アルマンの屋敷に侵入して来るアーマー部隊に備えて銃を構える男達が仲間を撃ちそうに並んでいる所。
シルバー聖闘士のマリンのワイヤーアクションがキメキメポーズだらけな所。
マリン役のケイトリン・ハドソンはマーシャルアーツに長けたスタントパフォーマーで、スタント・コーディネーターを務めたアンディ・チャンは「マリンのマスクにはほんの小さな穴が開いていて、後からCGで消しているのですが、クローズアップを撮る時はその穴もない。目を閉じて戦うようなもので、非常にタフな撮影でした。」と語る。
マーク・ダカスコス等、ナイスキャラクターが出てくるのが魅力。
後『ターミネーター3:Terminator 3: Rise of the Machines』(2003)でジョン・コナーを演じたニック・スタールがカシオスだったと気付いた。
続きが観たい様な、もう十分な様な そんな映画で、決して馬鹿にしてないバトル・スーツ・アクション物。
アメリカ人の限界なのか?
客入りが悪いのは知っていたがあえて鑑賞。
やはり酷い出来であった。
これはもう外人に作らせたのが間違いと言う他ないのではないかな。
見事に世界観がぶち壊されている。
この作品は原作からそもそもとんでもない世界観ではあるのだが、舞台が日本だからこそ成り立っている部分が大きい。それをアメリカにしてサイバーパンクなファイナルファンタジーみたいにしてサイボーグ兵など出してしまっては何が何だか分からなくなる。こんなのは神話や超能力の存在を納得させる世界観じゃないんだよ。もうずっと画面が暗いし。
文句は山ほどあるのだが、ビジュアル面だけでも以下の様なところが気になった。
・アテナが18歳
→原作では13歳の設定だが、見た目は16歳くらいだろうか。ここが何故か改変されており18歳の設定。しかもこのアテナ役の女優は26歳だそう。さすがにこれでは女神を宿す無垢な感じが全く出てこない。特に気になったのは腕の太さ。アテナ降臨の際のシルエットに違和感ありまくり。
・魔鈴さんがマッチョ
→これもシルエットの問題だが、魔鈴役の女優がプロレスラーの様な体格。聖闘士はコスモを燃やして戦うのだからこんな体格は必要ではない。特に女聖闘士の体躯は割と華奢なはずだ。あと仮面もゴツすぎ。
・ペガサスの聖衣が黒い
黒いというか灰色なのだが、ペガサスと言えば白だろう。原作では明るい灰色や青みのかかった灰色が使われているが、全く尊重されておらず、くすんだ灰色が使われている。実写に合わせて造形を鎧ぽくしたというところは理解するが、この色はおかしい。
ストーリーの建て付けもなんだか意味の分からないことになっている。
悪さをする神話の神々に対して唯一人類のために戦うアテナという解説がされているのに、アテナが復活しては世界が滅びると信じる母親の存在。最初の解説は何だったの?そもそもこういう解説があること自体、観客に対して世界観を雰囲気や見た目で納得させる気がないことの現れであるからいろいろ望みがない。
そういえばロッククライミングシーンが必死で登ってる感がないのも気になった。
一番目立ってたのがカシオスってところも酷い。こんなにカシオスに焦点当てて作ってたら十二宮編を作り終わるまでどれだけかかるんやって。
フェニックスもなんでそこにいるのかわからんしね。続編もないだろうしほんと意味わからんまま終わったな。意味ないと言えばあの親父は何のために自爆したんだろうかな。娘が巻き込まれたらどうするんだ?
あとペガサス幻想が流れると楽しみにしていたけど、結局BGMでさわりのメロディがすこし流れただけ。オリジナルの歌が流れるかと思っていたので肩透かし。
そうだ、もっとも気に入らなかったのは必殺技のコールが無いことだ。
流星拳らしきものや鳳翼天翔らしきものが一瞬だけ出てくるけどコールが無いのでなんだかわからん。
いくら実写版とはいえ、必殺技のコールは必須だろう。この世界観ではマッチしないだろうが、コールできる世界観を作れなかったこと自体が大失敗だろう。
それと勝者が正面を向いた決めポーズの背後で敗者が飛んでいく構図も無かった。これらがないと聖闘士星矢とはいえない。バトル漫画なんだからね。アニメはよくできていたよね。
とにかく監督が聖闘士星矢の名前を使って薄っぺらい映画を作ってしまったというがっかり作品。どうしてこうなるのか、ハリウッドには構造的な問題があるのではないかな。
コレジャナイ感
通常スクリーンで鑑賞(字幕)。
原作マンガは未読、アニメ版も未見。
殆ど予備知識無しで観たわけですが、それでも分かるコレジャナイ感。星矢が覚醒するまでが冗長だし、肝心の聖闘士のバトルシーンの尺がかなり短くて肩透かし。新田真剣佑のアクションが見事なだけに、本当にもったいないと思いました。
そのフェニックスの聖闘士との対決も、なんの因縁も無いまま唐突に戦いが始まった感じで「ついに激突だ!」と云うカタルシスが皆無。戦いの決着もつかないので、よっぽど何をしてるのか分からない。もう一度言いますが、もったいない。
日本のマンガのハリウッド実写版に日本人俳優が主演として起用されるのはある意味快挙と言って良いですが(千葉真一の息子と云うネームバリューのおかげかもしれないが)、全体に漂う低予算感が悲しい。CGがイマイチでした。
原作では日本人であるキャラを外国人キャストに置き換えたことで生じる違和感を拭い切れておらず(星矢の姉なのに思いっきり外国人)、ハテナが終始ちらついて集中が妨げられたので、少しくらい説明があってもいい気がしました。
邦題は「The Beginning」ですが、本作限りかも…
[余談]
ニック・スタール氏、お久しぶりです(笑)。
役に恵まれない役者さんと云う個人的な印象があります。
「ターミネーター3」のジョン・コナーも微妙でしたし、本作の格闘家もいてもいなくても物語が成立してしまうような役であり、残念。私生活の苦労も含め、応援したくなりました。
※修正(2024/04/09)
いやいや全然悪くないですよ、これ。
確かにちょっと期待した味付けではない。
では原作への愛はないのか? あるよ。ありますよ。
屋敷に出てくるギリシャの品々、
クロスの第一段階のあの星矢修行中の衣装。
鳳凰座の聖衣の羽根が投げられる仕様であること。
鳳凰聖闘士のあのダセぇモーション(アニメだ!アニメの時の動きだ!!)
魔鈴さんの戦い方。(どうしても擁護できない「おもいっきりジャンプして正面にパンチ」とかもあるけど)
愛溢れるとは言いませんが、
世界観ごと作り直しつつもちゃんと端々で原作へのリスペクトも感じました。
そういう意味でハリウッド版ドラゴンボールとは違います。
少なくとも私はこの世界観の星矢たちが銀河戦争をやったり暗黒四天王と戦ったりするシーンを見てみたい。
それだけでぜんぜんアリです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
でもこれだけは言わせてください。
スチルで「小宇宙をオーラのように立ち昇らせつつ星座ダンス→背景に宇宙と星座→エコーばりばりで「ペガサス!りゅーせーけん!!!」と叫ぶ」これだけで、かつての自分の中に小宇宙を感じたことがある元キッズたちの心で、もう一度小宇宙を爆発させることができたと思います。
これは原作と違う!というだけでは片付けられないヤバメな作品
まさか実現するとは思ってもいなかった聖闘士星矢の実写化。
とても楽しみにしていた反面、ファン殺しのとんでもない作品の可能性も覚悟した上で観に行きましたが・・・
いや、これはなかなか厳しかったです😅
アテナを守るのが聖闘士という設定は生きているものの、キャラクター等の原作設定はほぼ皆無。
また、原作のメインキャラクター達もほとんど登場しません。
もうネタバレしちゃいますけど、主役級の青銅聖闘士はペガサスとフェニックスのみ・・・
紫龍も氷河も瞬も登場しません。。。
しかもフェニックスは一輝ですらない(怒)
こんな感じでメジャーキャラはほぼ出さず、でもカシオスは最後まで何度も使うという時点でかなりキツイです。
とにかく何となく原作の名前だけ使って、原作設定完全無視のやばいパターンのヤツでした😅
まず、敵がアテナの母親という時点で意味不明。尚、お父さんがアテナを守る側。(ちなみにキドさんですw)
アテナの力が暴走すると世界の危機とか言ってるけど、そんな規模の話には見えず、要は夫婦ゲンカ。
娘が家にいるのに、妻を倒すため家ごと爆破する父親。😅
あれだけ娘を襲っておいて、いざとなったらやっぱりあなたを殺せないみたいな事を言い出す母親。あなたが襲撃したせいで旦那さん死んじゃってるんだよ。
一体何がしたいのよ!???
そう、原作設定を崩しても映画として面白ければそれも有りだと思うんですが、そもそもシナリオも無茶苦茶なんです。
アクションシーンはまあカッコイイものの目新しさはない為、感動もない。
なのにここぞという時に流れる「ベガサス幻想」のテーマ。
本来なら懐かしさに感動すべきところなのだろうが、これだけ原作設定をいじっておいて、なぜそこだけ原作にこだわった???と逆に違和感しか感じませんでした😅
聖衣については、原作に寄せてしまうとコスプレにしか見えないと思うんで、あのデザインは許容範囲でしたが、どこかで読んだ記事では、監督さんが原作者である車田正美先生に聖衣のテザインについて相談したとか・・・
正直、聖衣のデザインの前にシナリオについて意見を聞いてみた方が良かったのではないかと思ってしまう。
まあ、ドラゴンボール EVOLUTIONの時も、鳥山明先生の微妙なコメントがとても印象的でしたが、それに近い臭いを感じてしまう作品でした😅
でも、聖闘士星矢ファンとしては避けては通れない道だったので、観にいった事後悔はしてません!w
ズレ
正直…微妙だった。
まず引っかかったのが照明だった。
なんかチープだ。
オープニングアクトは派手な感じであったのだけど、なんかコレじゃない感が漂う。
物語も一向に進んでくれず…なんか時間稼ぎでもされてるような印象を受ける。
原作からの改変がその都度話題にはなるのだけれど…改変後が面白ければ誰も文句は言わないのだと思う。何故、この方が面白いとなったのだろうか?
アテナの暴走は面白くもあったのだけど…冒頭に語られるのは黄金聖闘士が戦と知恵の女神であるアテナを神々から守るって話だった。
そのアテナは神々から迫害を受けてる人間を救う為とかなんとかって存在だったと思う。
まぁ…ちょっと???な感じではあって、神と人間の対立って構図があって黄金聖闘士は人間側の立ち位置と解釈する。
結構壮大な背景なのだけど、神々はカケラも出てこず、敵対してるのは母親だ。
絶大な力を持つアテナを消滅させる義務が母親としてあると言う。その為の力は黄金聖衣を解析し得たのだとか…。ここでも???だ。
つまりは人なのだ。人間の叡智ってな凄いなぁとも思うし、そんな事まで出来ちゃうお前は何者なんだと思う。
正義と正義がぶつかるって構図は原作に則ってはいるものの…黄金聖闘士が敵になってなかったりする。
母親としてはアテナの力だけを抽出したかったのだろうか?
スケール感が縮小してるような気にもなる。
アクションにおける功夫要素も不可解ではある。
印を切るような予備動作がしつこいし、体系的な功夫縛りがウザくもある。世界的にはウケるのだろうか?
CGは最早、ゲームのデモ画面のようでもあり…最新ならば良いのだけれど、なんだか一世代前のような印象を受ける。
脚本の違和感もさる事ながら…。
1番のズレは主役の芝居だった。
日本の芸能界は芸能とは程遠い存在で、ガラパゴス的な進化を遂げているのだと思われる。
外面が外れないというか…内面が見えてこない。
見られ方を制限するかのような傾向にある。
こなれ過ぎてるのだ。
こうしとけばこう見える。
そんな方程式に囚われているような印象…。
表情が動いちゃいるが、他の役者と比べれば能面のようだった。かたや海外の役者陣は、こうだからこうなってると、アプローチが真逆のようで…その差が如実に表れてたように思えて、噛み合わせが悪い。
暴走したアテナに近付いていく時、なんであんな穏やかな表情なの?必死じゃないの?覚醒したアテナにとっては枯葉のような青銅聖闘士が懸命に訴えるからドラマになんじゃないの??
イケメンの商品価値は日本にしかないなと心から思えた。アテナにパンチを食らってから立ち上がった星矢は、ボディビルの舞台にいるようであり…失笑してしまう。あの体を作り上げた努力は絶賛するも、使い所を間違ってるように思えた。
母性の戸田恵梨香さんとか凄えなぁと思ったのだけど、きっとアレが世界水準なのだろう。
日本の漫画が海外で映画化される度、別に日本人に向けて作ってる訳ではなく世界に発信する為に作ってるなんて事をよく聞くけれど、日本の漫画は既にワールドワイドな認知を受けてる。
つまりは極東の一部ってローカルな視点はもう通用しないんじゃなかろうかと思うのだ。
いつになったら原作リスペクトな風潮の作品がハリウッドで制作されるようになるのだろうか?
なんか全体的にナメられてる感が拭えない。
ビギニングって触込みではあるものの…どんな物語が始まるのか全くの未知数に思える。
いや…期待はしてる。
世界的に興行がよければ続編もあるのだろうし、この改変が的を得てたって事にもなる。
叶わぬ願いなのであろうか…。
愛の力が勇気を与える
前提:原作未読
娘を信じる父親と、制御を失う母親。
その争いに巻き込まれる、姉を失った少年。
しかし愛の力によって、今運命が動き出す。
アテナの生まれ変わりである娘シエナは、自身の運命を受け入れ、その時を待ち続けている。そんな運命を同じく受け入れつつも、運命が変わることを望む父アルマンは、娘を守る聖闘士を捜索する。一方、母グラードは、両腕を失ったことを機に自身を制御する心も失い、娘の殺害を計画する。両者による長い争いの結果、星矢は姉と生き別れ、代わりにアテナを守るという使命を与えられる。
最終的に、星矢は聖闘士としての使命を、シエナは自ら運命を変える力を、グラードは娘を信じる心と自身を制御する心(両腕)を手に入れる。
しかしながら、物語における小宇宙(コスモ)や聖衣(クロス)などに関する説明が不十分であり、物語の軸も主人公ではなく、悲惨な運命を背負った養子を巡る夫婦喧嘩である。その結果、巻き込まれてしまった主人公という側面が強く、主人公に感情移入しずらい。シリーズ化を見据えた一作ではあるとは思うが、主人公の物語が蔑ろになっている点が残念である。
とりあえず観に行ってみると
聖闘士星矢(せいんとせいや)
週650万部売った
ジャンプ黄金期を支えた
車田正美原作のバトル漫画
ギリシャ神話と星座を
モチーフにした聖衣(クロス)を
まとった少年達が
様々な必殺技を繰り出して
戦う展開に誕生日から自分の星座が
決まってる少年たちは虜
(自分はアルデバランでした)
今では珍しくない
「主人公達よりよっぽど
キャラが立ってる敵達」の
はしりの作品だったかも
しれません
自分はどっぷり原作世代で
床屋の待ち時間で単行本を
何度も読破したものです
最近またリメイクしていた
ようですが当時の
玩具のクロス付け替えれる
フィギュアとかすごい
人気でした
・・というわけでそんな
作品の実写映画化
これまでの前例からしても
いやな予感しかしません
大コケなんてニュースも
ネットで見てやっぱりなと
思うところもありました
(制作費77億!?)
でもまぁこないだのスラダン
凄く良かったし
ファーストデーだから
観に行ってやるかという
感じで観賞
どうだったか
・・いや驚くことに
「悪くなかった」です
むしろ原作であまり
掘られなかった星矢の幼少期
原作の大事なテーマ
「小宇宙」「アテナ」などの
概念を今っぽく落とし込んで
上手に解釈していたと思います
確かにキャスティング等
原作ファンは解せない
所はあるでしょうが
主演の新田真剣佑の
星矢感はなかなかのものが
ありました
もう少し聖衣のデザインが
カッコよければなんですが
そこ以外はいい線
いってます
かつて神々の戦いの中で
人類を守るために戦った
アテナの精神を宿した赤子を
守り地面に落ちた黄金聖闘士
という冒頭から始まり
自分をかばうために
行方不明になった姉を
探し続ける星矢
そこの王者カシオス
地下闘技場で殺されかけると
思わぬ力が目覚めかけ
カシオスを吹き飛ばします
原作だとペガサスの聖衣を
めぐって戦う関係にあった
カシオスがこういう形で
出てきて星矢はその謎の力に
驚きますがそこへ現れた
アルマン・キドという男が
ついて来いと手引きすると
甲冑に身を覆った追手が
迫ってきます
アルマンの部下のドレッドの
兄ちゃんが追手を食い止める
ようで一瞬でやられる見掛け倒し
なんとか逃げ切ったものの
孤島の屋敷に招かれ
そこで星矢はシエナという
娘に面会し女神アテナの生まれ変わり
だと唐突に告げられます
聖闘士がアテナを守る使命があること
アテナが強大な力を持っていること
この辺は原作に沿っています
原作ではアテナの力を恐れた
「教皇(に成りすました男)」が
赤ん坊のアテナの命を狙い
射手座の黄金聖闘士がそれを
阻止しキドに命からがら託し
青銅聖闘士が守るというような
図式だったのですが
この映画ではそこが
変えられています
この映画では赤ん坊のシエナ
を保護したキド夫妻がシエナが
制御しきれないアテナの小宇宙
パワーによって妻グラードが
両腕を失い人類を滅ぼす力と
みなしシエナの力を利用しようと
企む妻を拒絶し
アルマンは逃げ出して
シエナを実の娘のように匿う
という図式になりました
こういう部分などで原作ファン
が怒っているようですが
個人的にはこれを
結構面白い解釈だなと思いました
そもそも原作も後付しまくって
よくわからなくなっているので
設定を強がられてもどうかと思う
ところがあります(個人的な見解)
グラードは小宇宙を使える
人間を攫っては力を取り出し
人工的に聖闘士を作り出して
いるようです
星矢に負けたカシオスも
グラードによって改造を受け
人工的な小宇宙の力を手にします
ここもね
アニメ版オリジナルで
スチールセイントってのが
いたんでその辺の
再現と言えなくもないかな
と思いました
(覚えてるやついるか
知らんけどw)
全然違うようで
東映がちゃんと
関わってるんだなと感じる
ところはありました
星矢はアルマンらの説明に
イマイチ怪しむ感じではありつつも
姉が付けていたペガサスのペンダント
をアルマンが渡してきたことや
シエナといい仲になりつつある事で
ひとまず信用し力を引き出すために
白銀聖闘士の魔鈴の元で
修行をする事になります
前述しましたがこの映画の
クロスはマジでダサいです
ですが魔鈴に関しては
再現度かなり高いなと思いました
星矢を鍛える立場なのに
設定上は16歳なんですよね
ありえないですw
星矢はブースカ文句を言いつつ
徐々に力を付けますが
小宇宙を使うごとに記憶が
フラッシュバックし姉を攫った
現場にアルマンもいたことを
思い出しみんなグルだと
修行を投げ出し孤島に戻ります
シエナに合うと彼女も小宇宙
に目覚めるごとに自分が世界を
破滅させる光景をイメージし
もしそうなるなら自分を
(殺してでも)止めてと星矢に
告げます
完全に映画オリジナル設定ですが
これはこれで説得力あると思います
原作のアテナ何が何だか
わかんないまま色々あるんで
アルマンらの居場所は依然
グラードらに知られていなかった
のですが役立たずのドレッド頭が
拷問でグラードに属する
聖闘士のネロに
(どうやらフェニックスの聖闘士らしく)
幻魔拳を放たれあっさりしゃべって
しまいグラードは孤島に
総力をけしかけてきます
星矢は必死に戦いますが
小宇宙をまだ使いこなせず
聖衣がまとえず
シエナを攫われてしまいます
アルマンは自爆して孤島は爆発
(やはりショーン・ビーンは途中で死ぬ)
残骸の中で星矢はシエナ救出を
アルマンの使命継いだ部下
マイロックと誓います
マーク・ダカスコス
ランス・レディック亡き今
こういう忠実な部下役
担っていきそうですね
星矢はマイロックと
グラードの根城にカチコミを
かけますが
グラードの元で小宇宙を
残らず抽出されるシエナ
絶叫の中でグラードは徐々に
母性が目覚め作業を
やめさせようとすると
ネロははね除けます
アテナ…いやシエナを
救おうする意思も重なり
ペガサスの聖衣を身につけた
星矢はカシオスを秒殺し
ネロに迫るとついに
フェニックスの聖衣を
身につけます…
まあこれがかっこ悪いw
ヘルメットのツノとか
TV版のデザインを踏襲は
してるんですがリアル寄りに
しすぎなのとちょっと大きめ
なのもあって動きがシャープに
見えません
この映画格闘シーンの動きが
非常にいいんで非常にそこが惜しい
(まぁ原作の方が見開き当たり前の
大技の応酬で大味なんですけどね)
MCUのアーマー系のデザインは
やっぱり良く出来てます
でそんな戦いをしている内に
ついにシエナはアテナは完全覚醒
あたり一面核爆発のように
吹き飛んでネロの聖衣も
バラバラに吹き飛んでしまいます
(こういうとこは忠実に再現)
シエナがイメージに浮かんだ
世界が崩壊するのは正夢だったか
と思いきやそこへ決死で近づいていく
星矢に絆されアテナはギリギリで
正気を取り戻し破壊するだけと
思われた力でグラードの腕を修復
星矢やマイロックと脱出します
ネロはなんとか生き延び
目的の黄金聖衣を入手
含みを持たせた終わり方で
ひとまず幕を閉じます
ネロは名前といい
暗黒聖闘士だったりするのかな
とかいろいろ勘ぐるとこは
あるのですがなにせこんだけ
大コケしてると続編はあるのかと
心配になります
でも決して出来は悪くないのです
前述もしましたがぶっちゃけ
原作の方がよっぽど大味で
守るとこ無いと思うし
良い解釈してたと思います
さて続編はあるのかw
やるなら行きますよ
コンセプトのみ
マンガ(アニメ)とは一線をおいたコンセプトのみを要した作品。ただかなり好みが分かれると思う。
聖闘士の衣装などはしっかり作られているが好みではなかった。
また戦闘機や銃器などちょい近未来感を出しつつ、他は現代的なものばかり。そこに神代的な聖闘士とアテナが混じり合う。
アクションも弾丸が通用しないキャラばかりなので、肉弾戦になるのだが、どうしてもどこかの二番煎じの域を出ないし、血が出ない。(アメリカ作品だから仕方ないのかな)
物語もツッコミどころが多く作るなら、もっと地に足の着いた作りをして欲しかった。
流れが悪いのが1番のネック
今年14本目はモレラ岐阜で字幕版を鑑賞
アクションはまあまあ良く、CGもそれなりに綺麗でフェニックスの聖衣はアニメ版に近くて格好良かったが、星矢のは天馬らしさはあるものの地味な印象。
地下格闘技場や小宇宙に目覚めつつある星矢に対抗する為にカシオスにテコ入れする工夫は面白く、アテナのツンデレっぷりも良かったが
やはり全体的に冗長に感じるシーンが多い反面
格好良く見せるシーンをあっさりすっ飛ばしたりと残念な気持ちになった。
話の続きは気になるが続編は作らせて貰えるのだろうか。
ハリウッド版聖矢であって聖矢の映画化ではない
マリオが満席だったから代わりに見てきました。
原作は30年前に一応通しで読んだことはあってうろ覚えだけどうっすら記憶があるレベル。アクション映画としてはちゃんと見れるレベルでギリシャ神話モチーフのマーベル原作とかだったら、ここまで酷評されなかったんじゃないかなあって感じでした。
聖矢の要素はちゃんと使ってるんですけど、ボタンの掛け違いというか原作を考えると絶対にこれはないだろっていうシーンがけっこうあるんですよね。
原作でもアテナってお嬢様だけどヤンチャでワガママなところもあるキャラクターで孤児たちを馬にして遊んでたりしたんですが、大型バイクで聖矢と2ケツする沙織って絶対おかしいと思うんですよね。
フェニックス一輝が鳳凰幻魔拳の幻影で捕虜を拷問して情報を引き出す、人間を集めてコスモを抽出して人造聖闘士を量産している、地下闘技場のチャンプでお山の大将のカシオス、一応原作の要素を抽出してはいるんですが、聖矢とは致命的に違う何かを作ってしまっている感じ。カーチェイスのシーンがある時点で原作ファンはこれ聖矢じゃねえだろ・・・ってなると思います。
マーク・ダカスコスの演じるマイロック(原作でいう辰巳)はかっこよくて有能でこれ辰巳じゃねえだろって感じでしたが、これはこれで。でも聖闘士モドキに勝てる辰巳っておかしいよね・・・
黄金聖衣を奪う一輝、アテナの命が消えるまでの時間制限バトルとか、クロスの形態が進化とか原作要素もちゃんと拾ってはいますし、ドラゴンボールエヴォリューションみたいに映画としてもゴミってことはないんで、ここまで酷評されなくてもいい気はしますが、聖矢を名乗っている以上は仕方ないですね。
「ペガサス幻想」は最高だけど……
日本のマンガ原作ハリウッド大作の死屍累々たる失敗作の数々に比べれば、遥かに原作へのリスペクトを感じるし、作品としてのまとまりはあるが、手放しで褒めるほどではない。
個人的には聖衣がモッサリしてて今ひとつカッコよくないのが一番の残念ポイント。戦闘シーンにワクワクが感じられなかった。
劇場版「パワーレンジャー」なんかでもそうだけど、マッシブで重装甲なのがあちらでは強さの象徴なのだろうから、これはもう感覚の違いとして諦めるしかないのかも。
日本だとスタイリッシュで美しいことと強いことはイコールで繋がっている気がする。
普段はペンダントになってる聖衣は上手いアイディアだったと思う。ただそこから聖衣が表出して装着するシーケンスがあと一歩。
変身シーンに美学を感じるのは日本人特有の感覚なのかもしれないが、星座のオブジェが分解して装着される映像が見たかった。
細かいところばかり気にしてしまうのがオタクの悪い癖だとは十分に自覚している。
でもそういう細部へのこだわりがあるかどうかが、観ててワクワクするかどうかの分かれ目ではないだろうか。「マリオ」の成功はまさにその一点に尽きるのではと思う。
なんか違う
予告を見て「星矢の実写化!」と喜んでたけど、吹替版と字幕版が有る時点で「洋画」と気付くべきだった。
原作の連載当時と現在では規制が違うから、
「孤児を集めて、聖闘士の訓練所に送り込み、聖衣を持ち帰らせる」
なんて原作に沿った造りは邦画でも出来ないだろうに、洋画なら、ポリコレ遵守したらなおさら。
といった事を踏まえても、原作レイプレベルの改変なのでは?
ドラゴン紫龍ならまだしも、星矢の戦闘スタイルがカンフーなのはナゼ?
パンドーラボックスがペンダント?
聖衣がダサい
魔鈴さんとの修行の結果、小宇宙を爆発させて石砕きができるようになった時に…
なんなら修行開始時に、魔鈴さんが手本で石砕きをやって見せた時にグラード兵が来ないのだから、あの修行場所ならアテナの小宇宙が暴発しても母親の組織に感知されないのでは?
というか、小宇宙が暴発しかねないアテナ自身に魔鈴さんと修行してもらって、自分の小宇宙のコントロールを覚えてもらえば全てが解決するのでは?
フェニックスは、原作では天上天下唯我独尊な人ではあるし、直感というか、野生の勘の様なもので「1を知って10を理解する」様なところはあるけど、謀略を巡らす様な人だったかな?
サングラスでスキンヘッドのおじさま、一般人のはずなのに聖闘士以上にカッコいい!
警棒と銃を持って「見栄」を決める所なんて、この映画の一番の見所かも!
「ペガサス流星拳」とか、技名を叫ぶ事は、今現在、何をしているかを分かりやすくする漫画界最高の発明である事を再確認
あんなに聖衣を壊してしまったら、確実に聖衣は「死んで」しまってるじゃん!
聖衣の修復には、装着者の血液が致死量レベルで要るのに、どうやって修復するの?
アテナの血液なら、一滴有れば修復できるけど、神聖衣化はまだまだ早すぎる
などなど。突っ込み所が盛りだくさん。
できるだけ原作をなぞる事を良しとする日本人…しかも原作を好きであればあるほど受け入れられない様な気がする。
原作への敬意を感じました。
原作ドンピシャ世代蟹座(泣)の雑兵です。
正直期待せずに鑑賞。
シエナ/アテナの髪にチラッと紫メッシュ入ってて陽キャかよ!とか、聖矢が始めてペガサスの聖衣装着した姿が原作の修行着じゃん!とか、グラード母様がファムケ・ヤンセンじゃXMENもどきになるのでは、、と不安要素が脳裏をかすめつつ。
意外にしぶといカシオスの活躍やら、原作辰巳マーク・ダカスコスのガンアクションやら、魔鈴さんとの修行の石砕き、シエナがアテナ覚醒後に陽キャメッシュから原作沙織ヘアーになりーのと随所に原作リスペクトの姿勢が感じられたので記念にパンフレット買って帰りました。
聖闘士の登場人数が冒頭の黄金含めて5体だけとか、青銅聖衣の質感が革っぽくてもっとテカテカキラキラな光沢素材の方がよかったとか、囚われのシエナの絶叫がシャレにならんくらい怖すぎとか不満な点がありましたが概ね満足でした。
続編ないと思いますが有ると嬉しいです。
脚本(?)をもう少しどうにかできなかったかなぁ
マリオを観る前に鑑賞。
脚本をもう少しどうにかすれば良かったのではと思う。
以下、思ったことなど。
長いし短い
全体的に長いし、重要な場面は短いと感じた。修行のシーンはもう少し簡略でもいいのでは。逆に最後のバトルは長くてもいいのではと思う(cmで出た部分が殆ど)
吹替について
主演の真剣佑が吹替をやってるらしいが、違和感がある。下手とかではないのだが、違和感が。字幕で観てもよかったかも(あるかわからないが)
ただ他の方達の吹替はよかった。流石声優さんって感じでそれぞれのイメージにあっていた。
脚本書いた人は辰巳徳丸?が好きなのかな
漫画でいうところの辰巳徳丸ポジションの人が結構カッコよかった&活躍していた。多分、脚本書いた人は好きなんやろうね。拳銃と警棒でのアクションは真剣佑よりかっこいいと思う。
敵側の目的が微妙かつ中途半端
アテナの力は危険なので殺すってのが敵側(母親)の目的なのだが、微妙。見方をかえるなら、世界を守るために動いてるとも言える。どうせなら完全な悪で、世界を征服するために動いてるくらいにしてもらったほうがよかった。あと、やるなら最後までしっかりやって欲しい。母親が、娘の苦しむ声を聞いて、やっぱり中止するって何やねんとなる。
クロスがダサい
星矢のクロスが何かダサい。全体的にデザインは良いと思うのだか、手の部分がダサい。籠手が剣道の防具に見える時があった。
以上
The beginningなので中途半端感はしょうがないとしても、もう少しやりようがあったと思う。
ただ続編の可能性は微妙(ハガレンでも続編やったのでやるかなぁ〜)
ドラゴンボールよりかはマシだし、聖闘士星矢として観なければ面白いほうだと思う(金かけてやった特撮みたいなので)
レンタルでたら旧作で安くなってから借りる位の映画でした。
ASTRO
原作はなんとなくの記憶しか無く、設定もざっくりとしか知らない状態です。こういう作品はやはりハリウッド向きなので、日本で実写化されなくて本当に良かったです。
なんだか一昨年公開された「モータルコンバット」の様な雰囲気がありました。あっこれ好きなやつだって感じでビビっときました。
全体的にアクションのレベルが高く、CGモリモリになってきて後半はともかく、前半での生身のアクションは最高でした。マッケンの素晴らしい身のこなし、るろ剣でも躍動感が放たれていましたが、今作はそれを上回る暴れっぷりが最高でした。
聖闘士星矢が小宇宙の能力を使うバトル漫画だったはずなので、生身の勝負が削がれるのは仕方のないことなのですが、生身の方がアクションは良かったなーと思いました。
全体的に修行のパートがメインなので、ペガサスの力を手に入れるまでの過程は少し長い気がしました。石を割れるようになるまでウダウダでは無いですが、パパッと描けなかったものなのか…と思ってしまいました。
修行パートが熱いわけではないので、ここが長かったのはちょっと残念でした。
最終決戦というかアテナ覚醒を止めるまでが一気に描かれますが、急に覚醒して戦いが綺麗に収束したなーくらいで大半を覚えていないのが事実です。もっと盛り上がるかと思ったのですが、ゲーム映像を見ているかのような感じだったので、映画らしさはちょっと物足りなかったです。
これまた続編ありきのラストでしたが、この終わり方は好みではないのでまたこれかーって感じでした。しっかり本編も面白ければ良かったんですが、そこが物足りなかったのが惜しい作品でした。
冒頭の肉弾戦は好みでしたし、原作の世界観の雰囲気は再現されていたんだろうなーと思いました。封切り二日目の朝っぱらでしたが、この時点で人がまばらだったので興収が心配です。というかアメリカでの興収の方が悲惨になりそうなのが…。2作目とかもキツいのでは…。
鑑賞日 4/29
鑑賞時間 10:55〜13:00
座席 F-3
聖衣の設定に不満
原作の聖闘士聖矢は大好きだった。
星座モチーフの鎧をまとった戦士たちがバトルする、ジャンプ黄金期の重要な一角を担った作品だった。
熱い少年漫画的な勢いと、少女漫画のような美しく洗練された絵が同居した稀有な作品だったと思う。
世界観も少年漫画的「闘い」の要素と、少女漫画的「星座・神話」の要素が見事に融合していた。
とくに、聖衣(クロス)が星座モチーフの形態からプロテクターに変わるのはすばらしいアイデアだった。
ストーリーは正直バトルの理由付けのための添え物のようなものだったが、明確にラスボスが示され、ボスに至るまでに順番に幹部を倒していく展開は分かりやすかった。
バトル漫画の様式の発展に貢献した作品でもある。単なる強さ比べではなく、今でいう「能力バトル」的な戦い方の萌芽があった。敵の攻略不能な能力に対して機転で解決する展開が多くあった(中国の故事「矛盾」の謎かけが出てくる話など)。
また、戦う理由の説得力の強さで勝負が決まる、「説教バトル」の様式を洗練させたのも聖闘士聖矢ではないだろうか。
原作のすばらしさ、革新性、後の漫画に与えた影響力の大きさには疑いの余地はないが、本映画には残念ながら原作の面白さの要素はほとんど感じられない。
原作漫画がある映画の評価軸は2つある。1つ目は、原作の世界観、ストーリー、キャラをどこまで忠実に再現しているか。2つ目は、映画として面白いか。両方とも満たせれば最高のできということになる。しかし、2つを同時に満たすことは容易ではない。なんでも原作漫画のままにしてしまえば、実写映画にしたときにリアリティがなかったり、コスプレ感満載になってしまったりするだろう。
だから、映画の設定が原作から変わってしまうことはある程度は目をつぶるべきだろうと思うが、本映画が良くないのは、様々な点が原作と違うのに、変えたことが映画の面白さを上げることにほとんど貢献していないと思われることだ。
あまりに何もかも変わってしまっているので、これが聖闘士星矢が原作である必然性がほとんど感じられないほどだった。原作漫画のストーリーや設定もわりといきあたりばったりだったりするが、それは当時の週刊連載というものがそういうものだったので仕方ない面もある。
しかし、この映画の脚本はひどすぎる。ふつうに考えておかしな点が多すぎる。たとえば聖矢の目的は「姉を探してとりもどすこと」のはずだが、彼の行動や考え方が必ずしもそれに沿っていないようなところがあるし、この映画の中で結局姉の問題が解決していない。
困ったことにこの映画、単発のシーンだけ見ると、それなりに原作漫画に忠実で面白そうに見えてしまう。たぶん、シーンありきで、ストーリーを後付けで考えたのではないだろうか。
聖闘士聖矢という作品の本質、「これが変わってしまったら聖闘士聖矢とは言えない」というところはなんだろうと考えたとき、ぼくは聖衣と小宇宙(コスモ)の設定ではないかと思う。実写映画化するにあたり、ここが現実感のあるリアリティのある設定にアップデートされていることが重要だと思う。
しかしこの映画では、聖衣は物理的実体のあるものではなく、魔法のような力で装着した姿に変わるものとして描かれてしまった。これは、すごく安易なやり方だったと思う。物理的実体があり、原作と同様に星座モチーフ形態とプロテクター形態を変形できるようにすることは実写映画化にあたって必須だったのではないか。そうでない聖衣なんて、「トランスフォーマー」に登場する機械生命体たちが車に変形しないようなものだ。
小宇宙については、常人の常識を超えた破壊力の根拠であるというような話、すべての物質が原子でできていて云々…、といった話はなかなか良かったと思う。しかし原作の小宇宙はもっと哲学的に深い話があったんではないか…。この映画はなぜか「運命を超える」というのがストーリーの核になっていたけど、全然ピンとこなかった。原作では「小宇宙」の探究というのが非常に重要な要素だったので、これが中心になった話の方が良かったんではないか。
悪いところだけ挙げてしまったが、アクションや映像は素晴らしかった。それだけに脚本が悪いのがもったいない。
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