「オッペンハイマー」一強だった昨年と一転し、今年の映画賞レースは史上稀にみる混戦となっている。コロナ禍や全米脚本家組合(WGA)や全米映画俳優組合(SAG)のストの影響による品薄感もあり作品が小粒な印象が否めず、本命なしの状況が映画賞レースの大トリであるアカデミー賞まで続いた。そんな中、作品賞・監督賞の主要2部門で1歩リードしているのがショーン・ベイカーの「ANORAアノーラ」といえるだろう。
カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞したことにより、インディーズ映画でありながら賞レースを牽引する存在となり、北米配給を手掛けるNEONも早くからプロモーションに力を入れていた。が、前哨戦では5部門にノミネートされたゴールデン・グローブ賞が無冠に終わるなど批評家賞ではまさかの苦戦。しかしながら、最終盤になり全米制作者組合(PGA)、全米監督組合(DGA)を制し、一気にフロントランナーへ再浮上した。PGA、DGAはアカデミー会員と重複するメンバーが多いためアカデミー賞に直結する賞としても注目されるアワードだ。
北米で12月25日公開と後発だったため、賞レースの前半にはかかってこなかった「名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN」は、ディズニーのレーベル「サーチライト」作品。ハリウッドメジャーならではの大々的なキャンペーンも展開し猛追撃しているため、侮れない存在だ。
フランス映画ながら最多13のノミネートを獲得した「エミリア・ペレス」は、主演女優のSNSでの差別発言が問題視され炎上、ゴールデン・グローブ賞ドラマ部門の作品賞を含む3冠の「ブルータリスト」も制作過程でAI使用疑惑で批判を浴びるなど有力候補が失速したことも追い風となったといえるだろう。逆バイラル合戦も疑われるが、SNS時代になって賞レースの闘い方も大きく変化している。
俳優部門でほぼ当確といえるのが、前哨戦でも強かった助演男優賞のキーラン・カルキンくらいか。女性監督作品では、カンヌ映画祭で脚本賞を受賞したコラリー・ファルジャの「サブスタンス」がボディ・ホラーとうジャンル映画ながら作品賞、監督賞など主要部門も含め5部門にノミネートされるなど存在感を放っているが、デミ・ムーアの主演女優賞受賞&大復活に期待がかかる。
今回のアカデミー賞は「エミリア・ペレス」の年になるはずだった。最多となる12部門で13ノミネート。メキシコの麻薬カルテルのボスが女性に生まれ変わるという型破りな設定に、サスペンス、アクション、ミュージカル、ホームコメディという異質な要素を溶け合わせた野心作。フランス人監督ゆえか、メキシコ人の描写や、ネイティブではないセレーナ・ゴメスのスペイン語には違和感を指摘する声も出ていた。しかし、小粒な作品が並ぶ今年の候補作のなかで、その圧倒的なエネルギーは群を抜いていた。さらに、潤沢なキャンペーン資金を持つNetflixが後ろ盾となり、作品賞、監督賞、主演女優賞、助演女優賞など、最多受賞は確実視されていた。
だが、トランスジェンダー女優として史上初のノミネートという快挙を成し遂げたカルラ・ソフィア・ガスコンの過去のSNS投稿が掘り起こされ、事態は一転。他のマイノリティへの差別的投稿の釈明は後の祭りだった。作品そのものに非はない。しかし、トランスジェンダーを含む女性賛歌として評価された「エミリア・ペレス」と、その主演女優による偏見に満ちた過去の言葉は、あまりにも不協和音を奏でていた。アカデミー会員の心証が冷え込んだのも無理はない。
その余波はアカデミー賞レースの行方にも如実に表れている。DGA賞、PGA賞はいずれも「ANORA アノーラ」が受賞。「エミリア・ペレス」の失速を尻目に、「ANORA アノーラ」が最終コーナーを回ってトップに躍り出た。作品賞、監督賞はほぼ確実。脚本賞まで手中に収める可能性も高い。ただし、演技部門での存在感は薄く、そこには「ブルータリスト」「サブスタンス」「リアル・ペイン 心の旅」が入り込むとみる。「エミリア・ペレス」からは唯一ゾーイ・サルダナの助演女優賞だけだ。
正直に言うと、今回のノミネート結果にはがっかりだ。なにしろ今年のラインナップは、低予算映画を対象とするインディペンデント・スピリット賞と変わらないくらい地味な作品ばかり。コロナ禍真っただ中の「ノマドランド」時代ならまだしも、「デューン 砂の惑星PART 2」のように商業性と芸術性を見事に両立させる大作が現れている今、なぜこれほどまでに地味な作品ばかりを選ぶのか。同作のノミネート数はわずか5部門と、前作より後退している事実が、アカデミー賞の現状を象徴しているようで仕方がない。
より深刻なのは、これらの作品群が、アカデミー賞授賞式中継を見るアメリカ人の大半、そして世界中の視聴者にとって、ほとんど未知の存在という現実だ。かつて「タイタニック」や「ロード・オブ・ザ・リング」が作品賞を受賞した頃、アカデミー賞は確かに映画界最大の祭典だった。しかし、こうやってマイナー作品ばかりを選んでいたら、存在意義が問われることになりかねないと危惧している。
昨年の“オッペンハイマー祭り”と同数ノミネートされた作品もあれど、今年は大混戦決定。というよりも一つの作品が過大に評価されるよりも健全な賞レースなのかもしれない。というのも、どの候補もオスカーノミニーになるだけの素晴らしい仕事だったのだが、頭一つ抜けて「これ」といった決め手に欠いた本命なきレースとなる。
多部門受賞の可能性がある作品はいくつかあるが、それぞれ問題が多い。最多ノミニーの「エミリア・ペレス」は、助演女優のゾーイ・サルダナはほぼ当確とはいえ、麻薬戦争の被害者団体やトランスジェンダーコミュニティをはじめとするラテンアメリカでの批判と主演カルラ・ソフィア・ガスコンのスキャンダルがネガティブに響き、ノミネート投票終了後から評価は急低下。興行的大成功を収めている「ウィキッド ふたりの魔女」は2部作の前編だけに、後編で祭りにしようという気運が。例年ならばオスカー向きとされる純文学ならぬ純シネマな「ブルータリスト」は、あまりの冗長さと賞狙い見え見えの作りに辟易する層も。となると、PGA、DGAを制している「ANORA アノーラ」が最有力で作品賞と監督賞のW受賞の可能性は高くなるが、俳優賞では他の作品に、と票が流れることも考えられる。
【作品賞】
この部門でもっとも影響の大きい前哨戦PGAを制した「ANORA」がフロントランナーとなる。対抗馬となるのは「ブルータリスト」。10年代までだったら、作品の規模感、テーマ、物語からいっても「ブルータリスト」がもっとも票を集めやすい作品だったが、オスカー会員の多様化が進んだ今、この作品への評価は過大にされることがないのでは? また、「ANORA」は他の候補作と比べて圧倒的低予算(600万ドル)で、ほぼ無名のキャスト陣、オリジナルの脚本、マイノリティ(女性とセックスワーカー)に対するリスペクトなど、他の候補とは一線を画するオリジナリティがある。また、この部門で強いとされる伝記・実話ベース映画は「名もなき者」「I'm Still Here」「ニッケル・ボーイズ」があるが、どれも飛び抜けた評価がなく、フィクションの「ANORA」「教皇選挙」の物語構築の巧さが評価されるでは。
【監督賞】
この部門で最重要前哨戦DGAを制したショーン・ベイカー一択。監督自身の脚本で、セックスワーカーや社会的弱者のコミュニティに焦点を当て続けてきたベイカーにとって、「ANORA」は集大成的な作品だけに、カンヌ映画祭でのパルムドールから独走。DGA以前からこの部門は彼への注目が高かった。対抗馬は1月まではジャック・オーディアールだったが、ネガティブなニュースが続いたことで失速。この中で唯一、オスカー主要候補の経験があるジェームズ・マンゴールドをはじめ、ブラディ・コーベットやコラリー・ファルジャは本部門初ノミネートだけでも栄誉、という流れができつつある。
【主演男優賞】
俳優賞はSAGの結果によって変わりそうだが、最有力は近年のオスカーロビーで力を見せているA24配給「ブルータリスト」のエイドリアン・ブロディ。だが、近年叫ばれ続けている“白すぎるオスカー”問題のバランスをとるとしたらこの部門しかなく、実話ベースで熱演が高評価で、同じA24配給「SING SING」のコールマン・ドミンゴに票が流れる可能性も高い。ティモシー・シャラメとセバスチャン・スタンは、今回の候補作がベストとは言い難く、今後に期待という意味でのノミニーになるのでは。ダークホースはアンサンブルでの圧倒的高評価を持つ「教皇選挙」の座長レイフ・ファインズ。だが、あくまでアンサンブル芝居での高評価が続いているだけに、単体での受賞となるとかなり弱い。
【主演女優賞】
1月まではトランスジェンダー女性俳優で初ノミニーとなったカルラ・ソフィア・ガスコン一択だったが、彼女自身のスキャンダルによってオスカーキャンペーンから離脱。次点は「ANORA」のマイキー・マディソンなので、そのままゴールとなるかもしれないが、ここで取らずにいつ取るという「サブスタンス」のデミ・ムーアが功労賞扱いになり一騎打ち。マイキー・マディソンは開発から監督と二人三脚をした「ANORA」での経験で、今後俳優だけでない活躍が期待されるだけに、大本山オスカー初候補&初受賞は逃すのでは? ただし、急進成長中の配給会社MUBIが、オスカーロビーに長けたユニバーサル(「ウィキッド」)やNEON(「ANORA」)にまさるエサをまけているのかは不明。
【助演男優賞】
主要賞で一番の混戦部門となる。最有力はオスカー初ノミネートながら、お茶の間人気指標となるエミー賞で主演男優賞を獲得している「リアル・ペイン」のキーラン・カルキン。順当な対抗馬は「アプレンティス」でロイ・コーンを演じたジェレミー・ストロングだ。第二期トランプ政権が始まり、カルチャーシーンからありとあらゆるトランプへの批判と意見が上がっている中だけに、今のトランプと我欲を許す現代社会を創った男を演じた彼にも評価が集まる可能性が。となると、彼と同クラスのキャリアを持っているガイ・ピアース、エドワード・ノートンも横並びになるうえに、この部門は新人や初ノミニーに大きなチャンスがあることも忘れてはならない。
【助演女優賞】
ゾーイ・サルダナ一択。前哨戦からフロントランナーとなっているだけでなく、1月までは最多受賞も夢ではなかった「エミリア・ペレス」において、彼女への評価はゆらぎがない。むしろ同作は、他で候補になっている部門では取りこぼす可能性が非常に高いため、彼女へのオスカーはほぼ確定といっていい。順当な対抗馬はウザかわいいグリンダを演じたアリアナ・グランデだが、大ヒットした今回のミニーの前編の勢いをそのままに、後編での受賞が約束されている。となると、ニューカマーのモニカ・バルバロと大ベテランのイザベラ・ロッセリーニにもチャンスが。
Photo:Getty Images/ロイター/アフロ
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