コラム:第三の革命 立体3D映画の時代 - 第7回
2010年5月26日更新
第7回:日本の3D映画(3)
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■3Dピンク映画
しかしいつの時代にも共通しているのが、3Dとヌードの関係である。現在のブームでもそうだが、「巨乳を3Dで見たい」という男性の欲求は、繰り返し“発明”を促すのである。
そして、英国を中心としたヨーロッパのスタッフによって「パラダイス」(1961)というエロティック・コメディが制作され、世界各地に配給された。内容は、大学教授が謎のX線メガネを入手し、それをかけた時だけ女性がヌードに見えるというストーリーで、観客もその時だけアナグリフ・メガネをかけ、西ドイツ、イタリア、フランス、オーストリアなどで撮影されたヌードシーンが鑑賞できるという趣向だった。
すると日本でもほぼ同じ発想の、パート・アナグリフ方式の成人映画「変態魔」(1967)が企画される。監督は、数多くの独立プロダクションで教育映画、動物映画、ピンク映画といった分野で、アイディアを凝らしたユニークな作品を数多く手掛けた関孝二だった。
関はこの後も、「立体透視映画 異常性犯罪史」(1968)、「恐怖のサディスト 異常性犯罪」(1968)などの3Dピンク映画を手掛けた。また「変態魔」を製作した日本シネマでは、梅沢薫が「猟奇 色情夜話」(1968)を監督している。ちなみに関孝二監督は、第2次3D映画ブームが起こった1984年にも、「立体映画 ザ・アクメ」を新東宝で監督している。
■東映の3D映画
東宝や松竹が3D映画から撤退した後も、東映だけは「東映まんがまつり」の1本として、テレビヒーローの劇場版で3D作品に取り組んだ。第1作は「仮面の忍者 赤影」を映画化した「飛びだす冒険映画 赤影』(1969)で、続けて「飛び出す人造人間キカイダー」(1973)や「飛び出す立体映画 イナズマン」(1974)が制作された。基本的に、ヒーローがスクリーンから客席に向かって「立体メガネをかけて応援してくれ!」と呼びかけると、しばらくアナグリフのバトルシーンが展開されるという構成になっていた。
東映は他にもイベント映像として、1989年に「夕張・石炭の歴史村」で上映された短編「仮面ライダー世界に駆ける」や、1994年に東映東京撮影所で開催された「東映シネファンタジー'94」のアトラクション映像「スーパー戦隊ワールド」や「仮面ライダーワールド」などを提供している。
さらに東映アニメーションが、「ゲゲゲの鬼太郎/鬼太郎の幽霊電車」(1999)、「銀河鉄道999/ガラスのクレア」(2000)、「デジモンアドベンチャー3D/デジモングランプリ!」(2000)、「ワンピース/グランドラインの冒険」(2002)、「デジモンセイバーズ3D/デジタルワールド危機イッパツ!」(2006)、「ゲゲゲの鬼太郎/カランコロン3Dシアターじゃ」(2007)などのイベント映像を制作してきた。2009年には中編フルCGアニメ「きかんしゃ やえもん」が、「ゲゲゲの鬼太郎/鬼太郎の幽霊電車」「デジモンセイバーズ3D/デジタルワールド危機イッパツ!」「デジモンアドベンチャー3D/デジモングランプリ!」と共に、「とびだす! 3D東映アニメまつり」として一般劇場で3D上映されている。
つまり東映は特別に意識せずとも、3D映画に積極的な社風が伝統となっており、最近も戦隊ヒーローの劇場版である「侍戦隊シンケンジャー銀幕版 天下分け目の戦」(2009)が記憶に新しいし、現在も「仮面ライダーW FOREVER AtoZ 運命のガイアメモリ」(2010)や「天装戦隊ゴセイジャー エピックON THEムービー」(2010)が制作されている。
■80年代を牽引していた日本
日本では80〜90年代にかけて、国際博覧会や地方博覧会が立て続けに開催された。これは、各自治体が市政100周年という節目の時期を迎えていたことと、バブル経済が重なり、世界でも類を見ない状態が生まれたためである。だが、現在でこそ博覧会の展示に3D映像は常識化しているが、実は1951年にロンドンで開催された「Festival of Britain」の「テレキネマ館」を最後に、ずっと途絶えていた。
それを復活させたのは、1983年に上越新幹線の開通を記念して開催された「'83 新潟博覧会」である。ここに出展された「あすの新潟館」の上映作品「はばたきの時 ニイガタ」は、当時盛り上がりつつあった第2次3D映画ブームや、1982年にオーランドにオープンした「エプコットセンター」の3Dアトラクション「マジック・ジャーニー」の影響もあり、日本では珍しい本格的なパッシブ・ステレオ式3D映画となった。製作は電通と電通映画社で、「メタルストーム」(1983)にも使用されたStereoVisionカメラが使われている。
そして“博覧会=立体映像”というイメージを定着させたのが、1985年に筑波で開催された「科学万博 つくば’85」である。この博覧会では、「住友館 3D-ファンタジアム」「鉄鋼館」「ソニー・ジャンボトロン」「日立館」「松下館」などが立体映像の展示を行っていたが、特に話題を呼んだのが「富士通パビリオン」で上映された「ザ・ユニバース」であった。この作品には、カナダIMAX社のOMNIMAX(R)3Dシステムが世界で初めて採用されており、博覧会の終了後も世界各地の科学館やプラネタリウムで長年に渡って公開される大ヒット作となった。
その後、「ザ・ユニバース」をきっかけとしてIMAX社は本格的に3D技術に取り組み始め、その後の博覧会に次々と新技術を投入して、現在のIMAX(R)3DやIMAX(R)デジタルに繋がるノウハウを蓄積していったのである。さらに言えば、IMAX 3Dが無ければ「ジェームズ・キャメロンの タイタニックの秘密」(2003)は作られず、フュージョン・カメラ・システムも生まれなかったわけであり、「アバター」の制作も無かったかもしれない。つまり今日の3Dブームに、日本の博覧会ブームは少なからず貢献しているのである。