第39回 日本アカデミー賞特集(2016年)日本アカデミー賞の誕生(1978)から今日まで

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映画.com 日本アカデミー賞 特集

日本アカデミー賞の誕生(1978)から今日まで

JAPAN ACADEMY PRIZE

1970年代は日本映画界にとって苦難の時代でした。1958年に11億2745万人を記録した入場人員は1972年に2億人を割り、1960年には78.3%あった邦画のシェアが1975年に初めて洋画に逆転され44.4%にまで落ち込んでいました。そのような逆風の中、「日本映画界の復興のために何かをしなければ」という機運が高まりました。

「日本映画人による日本映画人のための日本映画の祭典を」

米国アカデミーAcademy of Motion Picture Arts and Scienceの正式許諾を得て(世界で許諾を得ているのは日本とイギリス・アカデミーのみ)、日本アカデミー賞協会Japan Academy Prize Associationが発足。こうして米国と同様に映画人が選ぶ映画賞・日本アカデミー賞Japan Academy Prizeが誕生したのです。

設立にあたっては今日出海氏(文化庁初代長官・文化功労者)が名誉会長に就任、初代会長は大谷隆三(松竹社長)が務め、岡田茂(東映社長)ら関係者は映画各界の幅広い賛同・参加を得ることに奔走しました。

第1回日本アカデミー賞授賞式は1978年4月6日、帝国劇場で開催されました。選考方法は映画各分野から選ばれた60名の委員による第一次選考で10部門(作品・監督・脚本・主演男/女優・助演男/女優・音楽・技術・外国)の5作品(5人)をノミネート、組織委員会から委嘱された1200人の投票委員の投票で受賞作品(受賞者)を決定するというものでした。授賞式の模様は日本テレビで放送され、以降毎年放送されてきました。

第2回目からは年会費を支払った会員1058名による投票がおこなわれ、文字どおり映画人が選ぶ映画賞となりました。それと同時に会員の年会費で運営がおこなわれるという協会の基本理念も打ち立てられました(2012年正会員数3931名)。

第5回からは一次選考も会員全員の投票によっておこなわれる事となり、これを機にノミネートから<優秀賞>に格上げされた5作品5人すべてに対して、賞金・表彰状・ブロンズ像が贈賞されることとなりました。この結果授賞式は<最優秀賞>を競う場として今日に続いています。

司会者は岡田真澄(第1回)・宝田 明(2回)・山城新伍(3~6回)・フランキー堺(7回)・武田鉄矢(8~12回)・西田敏行(13・19~20回)・高島忠夫(14~18回)・関口 宏(21~32回)・関根 勤(33-36回)と受け継がれて来ました。女性司会者を前年の最優秀主演女優賞受賞者が務めて下さるようになったのは第15回の田中好子(『黒い雨』)からでした。

会長は映連各社代表が務めてきました。第1回 大谷隆三(松竹)、第2~11回 岡田 茂(東映)、第12~18回 松岡 功(東宝)、第19~26回 髙岩 淡(東映)、第27~34回 高井英幸(東宝)。そして第35回からは岡田裕介東映社長が指揮を取っています。

開催地は東京を中心に第15・18回は京都、第19回は横浜でおこなわれました。

会場は第1回が帝国劇場・帝国ホテル、第2~3回京王プラザホテル、第4~14回東京プリンスホテル、第15・18回国立京都国際会館、第19回国立横浜国際会議場、第20回東京国際フオーラム、第16~17・21~36回新高輪プリンスホテル(第33回よりグランドプリンスホテル新高輪に呼称変更)です。レッドカーペット入場は第29回から始まり、授賞式の開幕とクロージングに華を添えています。

映画人が選ぶ映画賞として多くのスタッフ・キャストのプロフィールを華やかに彩る日本アカデミー賞。第39回の今年も新しい感動と歓喜がそのページに刻まれることでしょう。

©日本アカデミー賞協会 Photo:Getty Images/ロイター/アフロ

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