オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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映画作家ノーランのネクストレベル。
ちょっと偉そうな物言いになってしまうのだが、ノーラン、脚本の腕が上がったんじゃないか。いままではノーラン特有の理屈っぽさと、それを凌駕するロマンチスト気質がうまくブレンドされておらず、どこかチグハグな印象を受けることが多かった。しかしこの映画、相変わらず時系列は入り組んでいるものの、ひとつひとつのシーンに多層的なニュアンスがあって、次のシーンに繋がっていく推進力がある。3時間、初見ですべてを理解できなくとも、観客を否応なしに引き込む巧みさが備わっているのだ。
そして、原爆被害を直接見せなかったことに対してモヤモヤする気持ちはあるのだが、オッペンハイマーが原爆の衝撃を感覚的に理解してしまうシーン(ロスアラモスで科学者仲間を前にスピーチする場面)を、映像はもちろんだが音響の力を駆使して表現していて圧巻だった。確かにあの演出を成功させたら、それ以上の描写は説明のための説明になってしまうような気がする。IMAX云々よりも、音を浴びせられるような設備がある劇場で観るのが一番なんじゃないだろうか。
水素爆弾を作ったのは、テメェのメンツのことしか考えてない忘八者共でした
この映画、広島や長崎の被爆者団体が指摘している「原爆の被害を描いてない」ってのは確かにその通りです。しかし、はっきり言いますがそれよりも何十倍、何百倍も大事なことを描き切ってくれました。
原爆開発に成功したオッペンハイマーは、水素爆弾の開発には消極的……というより明らかに反対していました。それは、水爆を作ってしまった後の世界情勢を見通していたからなのですが、オッペンハイマーよりも大きな功績を上げたいテラーやらローレンスやらが当時アメリカ国内に吹き荒れていた赤狩りを利用して公聴会を開きました。これはもしも裁判にすると、原告側は立証責任を果たさなきゃいけないという事情もあります。
で、その公聴会を主導していたのが、オッペンハイマーに対して個人的な恨みを持ってるストローズです。
つまり、水爆なんていう人類を滅ぼす力を持った兵器を作った連中は、嫉妬だのあの時恥をかかされただのに顔を真っ赤にするようなケツの穴の小さな雑魚だったというわけです。
そんな喧嘩はバーでやればいいのに、奴らはオッペンハイマーの上にのし上がる手段として水爆を開発しました。
「嫉妬に狂った中年男」は、本当に怖いと改めて思い知らされる映画です。
人間、J・ロバート
原子爆弾を開発した男の人生。
同時期に生きた科学者たちとの邂逅や憎悪、そして信じるものへの執着が絡まり描かれる。
科学者としての好奇心が興味が先行し作られた原子爆弾。それがもたらす世界の秩序の変化とは?
そして成し遂げた者のみがたどり着く孤独と絶望。
そんな孤独な彼がアルベルトと交わす会話がとても印象的だった。
彼自身の純粋さと物事の捉え方、そして赤狩りが横行する時代を生き権力者や同じ科学者たちに翻弄された彼。これは彼が正しかったのか?間違っていたのか?という視点で描かれたものではなく途方もないものを作った男の中を覗き込んだ様な作品だと感じた。
原爆開発という白羽の矢が立った研究者の運命
5月の頭に1回目の鑑賞、その後パンフレットを読んでから2度目の鑑賞。NHKBSのオッペンハイマー特集を見て、なんとかコメントを書くまでこぎつけました(笑)。重大な史実を元にした映画なので、基本的な事実も理解せずにいい加減なコメントを書いてしまってはいけないな、と思いまして、少しだけ勉強してみました。
ちなみに映画館での2度の鑑賞は、どちらも満員で色んな年齢層の方が観に来ていて、本作に対する日本での関心の高さを感じました。
物語は、物理学者オッペンハイマーが、学生時代、大学での教員時代を経て、マンハッタン計画で原爆開発を成功させるまでの人生を順を追って描きつつ、その時代と行きつ戻りつしながら、次の2つの場面も描きます。1つは、原爆投下を経て終結した第二次世界大戦後に、オッペンハイマーにかけられた「ソ連のスパイ容疑」をめぐる聴聞会の様子(1954年。オッペンハイマーが狭い部屋の中で聴聞を受け、研究者仲間や妻、マンハッタン計画の責任者である軍人グローブスなどの関係者も同室に呼ばれて証言を求められる)。もう1つは、オッペンハイマーの因縁の相手となり、戦後に水爆開発を推進してオッペンハイマーとも対立したストローズが、商務長官として任命されるにふさわしい人物かを問う公聴会の場面です(1959年。この中でストローズは、戦後一度は国民の英雄となったオッペンハイマーを国の安全保障を脅かす存在であるとして失墜させたことについて、追及を受けます)。
この映画を観て個人的には、もとは純粋な理論物理学者であったオッペンハイマーの悲劇は、国から「原爆を開発せよ」という白羽の矢が立ったことにあったように感じました。もちろん国からの命を受けたのは彼の意思ですし、マンハッタン計画に関わり始めた当初から彼は、自分が開発する技術が大量破壊兵器に使われることは理解していました(オッペンハイマーが、これから、マンハッタン計画に関わろうとする自分になぞられて「ノーベルは偉大な科学者だが、彼が開発したダイナマイトが大量破壊兵器となった」と口元に笑いを浮かべながら話す場面があります)。その意味では、「悪いのは自分ではなく、国が自分に白羽の矢を立てたこと」とは言い切れず、自分が研究に関わったことが、原爆という凄惨な兵器の使用につながり、その後の核開発競争を招いています。それでも当時の視点で見るならば「ドイツに開発される前に、なんとしてもアメリカが核兵器を開発しなければドイツを阻止できない」「アメリカが開発しなければ、ドイツあるいは他の国が開発するだけ。オッペンハイマーが指揮をとらなければ、遅かれ早かれ他の国の別の科学者が核兵器を開発するだけ。」という考え方も道理があるように思いました。
そう考えると、オッペンハイマーは、兵器開発競争の激しい戦時中、優秀な頭脳があったがために、その後一生悔いるような使命を背負ってしまった…私にはその苦しみは想像を絶するものに感じられました。私自分の小さな人生を考えてみたら、こういう戦争に関する苦しい使命を国から背負わされるようなことがないのは本当に幸せなことだと思いました。平和が保たれて来た今の日本だからこそ、戦争に関係のない「何か」を自分の生業や使命として選ぶこともできるわけですし、ありがたいなと思いました。
「歴史は繰り返す」という言葉があって、人間の愚かさに対して「(愚かな)人間は全然進歩しない」という意味合いでよく使われるように思いますが、「繰り返す」かどうかはさておいて、歴史というものは決して「後戻り」しないものだと思います。今から大量破壊兵器が生まれる前の時代に戻ることはできませんし、すでに地球上に沢山配備されている核弾頭が、ビデオテープを巻き戻すように前の状態に戻って、跡形もなく姿を消すこともありません。けれども、人間が「さらに進歩する」ことによって、今意味を持っている核兵器が、意味を持たなくなるように出来るかもしれないし、そうなったらよいな、と思いました。
本当に夢物語かとは思いますが、もし科学技術が進歩して、今配備されている核弾頭を無力化するような技術が出てきたら(迎撃ミサイルなんかも、ある意味、無力化する技術なのかな、と思いますが)、時代は今とは全然違う、新しいものになる、、、そうなったりしないかな…そんな想像を未来にめぐらした今回の映画鑑賞でした。
過去のことを振り返って、あの時何が悪かったのか(あるいは正しかったのか)を問うのではなく、原爆開発、原爆投下をオッペンハイマーという科学者の立場に立って追体験し、「それで、あなたは、未来に向かってどうして行きたい?」とノーラン監督に問われていると感じました。考えさせられる良作でした!
予習しといた方がいいと思う。
カットや時間軸が入り混じっていても違和感なく見れるのは流石。
あと音楽、さらにいうと振動音やSEがドクドク身体に伝わってきて映画の世界に没入できるのも良い。
YouTubeで予習してから観たので特に駆け足の序盤などは脱落せずに見れた。それが無かったら難しいかもしれない。
やはりどうしても日本の話題が出るとセンシティブな気分になるが、なるべく冷静に見ようと思った。だけどやはり心の奥にザワザワしているのも感じた。
主人公は「偉大な」業績を挙げつつも後悔の念や周囲の裏切りに合い、使い捨ての扱いになった。形では業界から認められた存在ではあるが、挙げた成果に対して本質的にはその責任だけがのし掛かった。
上映時間ほど長さはそこまで感じなかったし、動きが少なくなんだか難しい会話だらけの後半も退屈なく観れた。
日本人からして中々センシティブな題材で、一時期日本上映はどうなんだ?という話題になったと思う。
いや、日本人だからこそ見ておくべきだ。的な主張もあったという記憶がある。
個人的な総括としては、別にその日本人としてのセンシティブさ、切なさを感じながら、もしくは耐えてまで観るようなレベル感の作品でもないように思えた。
あくまで「主人公の人生」がメインに思えたし、なにか反戦要素や原爆投下に対するメッセージ性もそこまでではないし。
映画の最後に伏線や謎が回収されてドヤって終わる演出。またそれかってなる。
映画館で観てほしい
池袋グランドシネマIMAXにて鑑賞。
何から話せばいいのか、、たっぷりどっしりの3時間でした。
原爆という、言葉そのものがネガティブなイメージであるのにそこに引っ張られず、あくまでオッペンハイマーの主観、作り上げた科学者視点を貫いた映画となっていました。
映画を鑑賞する際、先入観を持たないよう前知識をあまり入れずに観ることが多いのですが、この映画は時代背景だけでも知っておけばよかったかなと思いました。
まずまず、怖い!!!本当に怖かった、、、。
1人では本当に辛かったかもしれない。それは観終わった後に感想を共有する相手が欲しい!という意味でも誰かと行くのをおすすめしたいです。
IMAXはすっごく音の振動がくる!!!
もう五感に響く恐怖がやってきました、、。
どなたかのレビューに、原爆の表現は弱かった、が、他国が思う原爆や核に対する考えを知ることができた、とありました。
原爆と関わりの深い日本に生まれて、小さい頃から戦争について学び、長崎や広島は修学旅行先でもよく選ばれます。
確かに、本物の核爆発はあんなものではないと思いますし、原爆投下後の被害は全く映されておらず、日本の被害が無かったかのようにも思います。
しかし、原爆に対して使用した国と、使用された国とでの捉え方はこんなものだろうと感じました。
対岸の火事です。(もうそんな規模ではないが)
これは原爆、戦争の話ではなく、あくまでもオッペンハイマーの物語でした。
そこが崩れなかったところが、私のように鑑賞後悶々と映画について考え、鑑賞後考察を見まくるのような、一回で終わらない映画であったと思います。
映画に対していろんな意見があると思いますが、どんな感想を持っても、みんなが「原爆」「戦争」「核」について関心を持ち、意見を交わし合うことにこの映画の意味を感じました。
広島や長崎の地名を知っている外国人はどのくらいいるのでしょうか?悲惨さは映されていなくとも、この映画をきっかけに耳に入るだけで原爆について知る大きな一歩だと思いました。
原爆に関する歴史があり、それを後世の私たちがどう感じるか?にノーラン監督は託して、反戦の気持ちを込めたと受け取りました。
祝賀会にて皮がめくれた女性を自分の娘にしたこと、人型の炭をオッペンハイマーに踏ませたこと、ここにぎゅっと原爆に対する悲しみ、苦しみを込めたんじゃないかなと思いました。
祝賀会で、本当にこれはみんな喜んでるの?と感じました。祝いの会なのにどんどん不安がつのっていく映像に(足音でつくる拍手のような音や、誰かが泣いていたり、吐いていたりなど)混乱しました。
これはオッペンハイマーが後悔や、自分に対する非難、原爆完成を道徳的に過ちだったと感じているシーンと聞きました。
原爆完成後、原爆の1000倍の威力がある水爆も続いて完成され、各国が保有するようになりました。
世界はいつでも自分たちで終わらされるものとなりました。
恐怖は映画の中だけでなく、それが今も続いていることにあります。
オッペンハイマーが原爆を作らずとも、遅かれ早かれこの現実になっていたのではとも思いますが。
知ることは怖いことだけど、1人でも多く核について知り、オッペンハイマーやアインシュタインが恐れていた未来にしないこと、それを繋げていくことが私たちの使命かなと感じます。
映画館でしっかり3時間観て、考えて欲しいという意味で、おすすめの映画となりました。
あーーーー言語化難しい!!!!自分の能力が!!
みなさんのレビュー素晴らしすぎる!!!!!
社会的制裁と向き合う科学者の苦悩
彼自身の科学者としての探究心、そして何よりオッペンハイマーとも交流を持っていた優秀な科学者を多く抱えるナチスドイツよりも早く核実験を成功させなければならないというプレッシャーがオッペンハイマーを嫌でも駆り立てる。
けれど、結果的にはナチスドイツは降伏し、後は破滅的な状況ながら降伏する気配のない日本のみ。
米国兵を守るため、という大義名分の基に一度猛烈な勢いで走り出し始めてしまった核開発という名の列車は止めることはできない。
そして、否応なく巻き込まれる利権争い。
前半部分が締めへの伏線になっており、気を抜いて観てはいけないので注意。
恐ろしい物を作って色んな意味で後悔した人の話
オッペンハイマー博士は理論の人で実践は苦手な人です。
ですが天才なので一般人には理解出来ないことを理解出来る特殊能力を持ち、人を説得、やり込める能力も持ち合わせています。天才は常識や倫理観など持ち合わせていません(笑)
そんな彼は数式を見るだけで何が起こるのかが解ります。音楽家が楽譜を読まないで聴いただけで演奏を再演出来るように。
彼には原子爆弾、アトミックボムがどういう結末を招くかをマンハッタン計画が始まった時点で理解していたのです。
本来研究が先行していたと見られていたナチスドイツが降伏した時点で造らなくて良かったと彼も了解していたが、ソ連がそのうち作ってしまうのなら先に造ってしまえと流されてしまいます。
アインシュタインに数式を持って相談に行く場面が最初にあります。
この場面がハイライトだったと思います。
この作品はオッペンハイマーの核開発を描いていると同時に彼と彼を取り巻く人々のサスペンス劇とも言えます。
オッペンハイマー博士は自分の立ち位置を理解した人ではない為率直な意見を言いがちのようであらぬ敵を作ってしまいます。原爆開発はやり遂げますが、水爆は拒みます。これが原因で敵を作ってしまいます。彼は天才で常識人ではありませんが悪魔にはなれなかったし、なりたくなかったんですね。
倫理観は持ち合わせてませんでしたが理性はあったのです。
出演者は豪華、何処で見た人、映画に詳しくない人でも分かる俳優が出演しています。必見の価値ある作品です。
公開後に被爆国である日本、広島、長崎に配慮が無いと意見がありましたが、そんなことはないと思います。
劇中に広島長崎の名は頻繁に台詞に出てきますから。
あと原子爆弾の爆破テストをCGでやらなかったのが失敗とする意見も散見されますが、この作品の主題は核爆弾の開発、プロジェクトX的なものより群像劇、サスペンス劇によせた物ですからそこは重要ではないと思います。
劇中のオッペンハイマーも爆発威力よりもキチンと爆発するかを心配していました。威力は彼に初めから分かっていたのですし。
オッペンハイマーがアインシュタインに数式を見せた時にアインシュタインが言ったようにドイツの科学者と共有して、核開発をお互いに行わなければ原爆、水爆は無かったかと言えばそうではないと思います。
愚かな人類は誰かが同じ物を作ったでしょうね。
それがオッペンハイマー博士だったというだけでしょうね。
あとR15指定なのは観れば分かります(笑)
カ◯ティス◯ルメイに勲章を送っている。
「策士でなければ、この国(ワシントン?)では生き残れない」と言う台詞。
ここまで、臭い台詞を言わせて、水爆の製造に反対する議員がJFKとは、僕はこの映画にこそ!策士と言いたい。更に、
元副大統領が「日本人はそれを作った者よりも、それを使った者を恨むだろ」なんて、稚拙過ぎる台詞♥
この計画がなぜ極秘だったか?
つまり、仮想敵国はこの段階では日本。日本に知れては困るのだ。では、なぜ知られては困るか?
投下する前に「降伏」されては最終的成果が得られないからなのだ。
「ドイツ」「ソ連」には使うつもりなど最初からない。日本へ落すのは最初から決まっていた。この映画から、それがよく分かる。アイゼンハワーの名を出すが、ドイツ系アメリカ人なのは誰でも知っている。また、フォードもドイツ系(?)で、親ナチス。若しくは、反ユダヤ主義(?)だ
民主党主導のアメリカ合衆国が、「自由と民主主義を守る為の行為」として「正当化して来た経緯」がよく分かる。ルーズベルトは何も知らなくて、後を継いだ間抜けな大統領が平然と愚行を冒した。
さて、東京大空襲(原爆以上の10万人を一夜)の爆撃の計画を練ったカーティス◯ルメ◯に勲章を送っている。
あの間抜けな大統領よりも我々はもっと空気が読めていないのかもしれない。
ネタバレあり
最後の場面を見て、
追記
原子爆弾、水素爆弾の問題では無い。それを利用したエネルギー政策に一石を投じている様に僕は感じた。
この当時のアメリカ合衆国を描いている様だが、黒人が1人だけ手てくる。史実かどうか理解し難いが、なんかわざとらしい。
追記
オッペンハイマーさんの山高帽。
どっかの国の誰かに似ているのが、何か狙いがあるのかなぁ?まさかね。
使い捨ての英雄になるまで
恐怖をみせつけ相手を降伏させ平和を守るという大義のもと、政府の計画の主役になった天才の頭脳。
そして日本への原爆投下を遂げアメリカの英雄となるオッペンハイマーはその一方で成功の罪に苛まれていく。
幻想シーンは自分自身を追い詰める様子が見事に表現されており彼の苦悩の程がよくわかり苦しい。
いや、罪なき命を一瞬にして奪う兵器の開発をすすめてしまった報いならばそれは甘いくらいなのかも知れない。
なぜなら現地には比べようもないくらいの地獄が広がっていたのだから。
しかし、彼がどんなに悔もうがその危険を止めるボタンはすでに手元にはない。
これが一番の恐怖なのは、世界の現在、未来に続く〝脅威〟だからだ。
英雄を賞賛する関係者や民衆が喜ぶシーンのおぞましさを味わうのはそのことを知っている私達ならではだろう。
鑑賞後、レビューを書くにも気持ちが前を向かずにいるなか、オッピー、オッピーと歓喜と感動に浸る人々の笑顔が瞼の奥にこびりつく。ダンダンダンと賞賛をあらわす重い音が耳のなかでリフレインする。自己中心性と想像の欠落した熱いコールのうねりが人間によって迎えるこの星の終焉の可能性を告げていることに震えるのだ。
そして物語が進む中、そこに至るものがみえてくるとさらに唖然とする。
より強く、より速く相手を凌ぐために〝陰にとどまる権力〟の陰謀に包囲された使い捨ての英雄オッペンハイマー。
本質を見抜く目が茫然と自分から去ったあの時、水面に歪む自分と背後の世界にとりかえしのつかない未来が渦巻いたのを彼はみたのだろう。
答えを出された蒼白の顔を思い出しては考える。
人種や思想の差別、国同士の権力争い、とまらない確執…次の開発に反対した彼の人間性をそこに垣間見れたものの時既におそし。
悪意を帯びて転がっていく悲劇の過去から人はなにを学んだのか。果たしてここからの希望をどうつなげていけばいいのだろうか。でも諦めたら最後だ。もはや瓶のなかの蠍が2匹だけではないことをわかっていても。
修正済み
アメリカ本位
成功した実験でやめておけば良かった。
日本人なら皆そう考えるだろう。
科学者初め携わった人々皆の
成功感達成感満足感を満たす必要はあったか。
元々政治が絡む。
実験製作に着手したのも国家や軍からの要請である。
戦時下でありこの世界大戦は、
ヒトラーを皆の敵としてナチスよりも先に、と
つくり始めた、らしいが。
ドイツ近隣でなくともユダヤ人として人ごと
でなく捉えていた人々も多かっただろう。
と言っていたにもかかわらず、
ヒトラー亡き後、
中断されるどころか、
標的が日本に移ってしまった。
やはりどこかに落とさないと気がすまない、のだ。
そして、白人には落としたくないのだ。
実験だけでは
世界に知らしめることができない、
アメリカが君臨する為には、
落とすべきと至ったのだろう。
戦争終結?違うだろう。
もちろん、当時の日本陸軍等も非難されて
当然ではある。
が、しかし、となる。
びっくりしたことに、オッペンハイマーが
ソ連のスパイだと⁉️
どこをどうすればそうなるのか。
つくづく人とは恐ろしいもの、だと思った。
女と見ればすぐ手を出す節操の無さと
自身の量子力学を思う存分研究し
できれば形として表したい科学者特有の
願いを持つだけの男だ。
結局ストローズに嵌められていた。
ストローズいやらしい人間だが、
こうしないと生きられないのか。
周りにたくさんいるかも。
いくら科学の産物といえど、戦争の兵器と
なれば別物だ。
憎い日本やドイツに落としたとして、
被害を受けるのは、兵士よりも民間人。
女性や子供や高齢者が大半となる。
これまでのアメリカの中東への爆撃を見ても
同じことをしている。
核爆弾か爆弾か、大規模か小規模か、の違い。
アメリカは敵なら関係ない人々を殺すことなど、
何も感じないようにとれる。
ましてや戦時下なら日本の犠牲者のことなど、
意に介さないだろう。
オッペンハイマーが協力者に演説した時や
トルーマン大統領にけなされた時に、
原爆の犠牲者の被爆の有り様を目の当たりに
見てしまったり
黒焦げの子供の遺体を足で踏んでしまったような
幻覚を見たようにしたりして
被爆の現実を表しただけ
マシかと思った。
物理学賞受け取ったが、やっと
名誉回復を成し遂げたか。
事前に情報を入れて観た方がよい作品
念願の「オッペンハイマー」。残念ながら時間が合わず、IMAXGTレザーでは観れなかったが、まあまあ大きなスクリーンだったので、由としたい。
映画には事前に情報を入れて観た方がよい作品と、逆に事前情報がない方がよい作品の2つがあると私は思っている。本作は事前情報なしではさっぱりわからなかったに違いない。事前に解説動画10本くらいはみて、おまけに量子物理学や原子爆弾のことなども十分勉強してから観たおかげで、全編3時間、じゅうぶんに堪能出来た。さすがはクリストファー・ノーランである。
3時間、ずっと会話が続く。時系列が次々に転換する。カラーと白黒。たくさんの登場人物。難しい物理学の専門用語・・・・。予見なしで観たなら、理解不能で、寝落ちしたかもしれない難解な映画。でも、よく出来た映画だと思う。情報さえ持ってみれば、ほんとに面白い映画である。評価は★4つ、かな。
「日本も核兵器を持つべきだ・・・」という感想を書くと、あんたはなにを観てきたのだと言われそうだ。そうだよね。でも・・・日本も戦時中、核兵器開発に手を染めていた事実を知る私は、すでに地球を何度も破壊できる数の核兵器が世界中に拡散するおぞましい現状に、底知れぬ恐怖を覚えるしかない。広島に落とされたリトルボーイの3300倍といわれる世界最大の核爆弾であるツァーリ・ボンバは、日本の隣国ロシアが持っている。北朝鮮、中国も核保有国。そんな反日の核保有国に囲まれる日本は、いまさら核の是非など、言うてる場合ではない。相手に使わせないためには自分で核兵器を持つ以外にない次元にすでに私たちは暮らしている・・・。
核兵器はそれぞれ自国の勝手な事情で使われる可能性はゼロではないのだ。それが心に沁みた映画でもあった。広島・長崎・・・そして全てはオッペンハイマーから始まった、というべき、映画だったと思う。
観た後で読んでください
面白かった。そろそろ終演の週、TOHOシネマズで鑑賞。大部屋で時間帯が遅く、そこそこ入ってるくらいで、快適だった。
オッペンハイマーの過去から入り、ロスアラモス研究所、実験の成功、原爆投下後の栄光から一転、ソ連のスパイではないかと疑われ、委員会から無意味で長い尋問を受ける、という展開になっている。
アインシュタインとの会話や他の科学者たちとの関わり、才能のある者だけが参加できるところをいいなと思って見ていた。
爆音もすごくて迫力があった。
原爆投下計画については、私も日本人であるし、複雑な思いだった。結果日本は世界で唯一の被爆国となった。日本軍の圧力と政府の対応が甘かったせいでもある。戦争で被害を受けるのはいつでも一般人だ。
ロスアラモスでも、研究中に被爆した人がいるかもと、検索してみたら、科学者の中に被爆して死んだ人がいたらしい。
ロスアラモスでの展開はテンポが良くて面白かった。爆音は何故か無音にしていた。しかし後半の尋問場面は長く退屈だった。史実を忠実に表現したかったのだろう。本当にバカバカしい質問ばかりだった。
トルーマンがバカっぽく描かれていたのは、当時の政府への皮肉の様に思えた。ゲイリー•オールドマンどこに出てたっけと思ったらこの役だった。
委員会からの尋問のシーンで裸の二人がイメージで出てたけど、これはいらないんじゃないかと思った。そこまでプライベートに立ち入られてたという表現かもしれない。ポール・トーマス・アンダーソンの「マスター」でもそんな幻想シーンがあったけど、いる?そのシーン。印象づけしたいだけでしょう?
ストローズ役の俳優が受賞して、アカデミー賞でアジア系のプレゼンターと目を合わせなかったことが話題になっていたが、彼は役に忠実に振舞ったのかな。
核が地球を滅ぼす。そんな日が来ないことを祈ります。
待望
アカデミー賞とったのに日本では避けられていた映画
1年ほど?待って待望の上映!!
GWに見に行ったからかもしれないが、上映から1ヶ月経ってるのに満員だった。
3時間と長丁場の映画だが、最近は3時間台の映画が多いため特に心配なかった
原爆の話だから日本で公開しないっていうのはおかしいって思ってたけど、いざ見てみると日本人にはちょっと辛いシーンがあった。まだ20歳前半だけど何故か少し悔しくて泣けた。
本当はドイツに落とす予定だったが、完成間近でヒトラーが無くなったため、「じゃー日本で」って感じで日本に原爆を落とすことが決まってたのはびっくりした。
マルタ会談?ヤルタ会談?でソ連も日本に落とすこと賛同してたらしい。(学校で習ったかもだけど忘れてた)
社会派の映画だが映画館で見た方が迫力あっていいと思う。
キャストも豪華でびっくり。
一緒に行った連れがレオナルド・ディカプリオいたよね?って言ってた。確かに似た人いたけど、、!笑
原爆の父オッペンハイマー自体習った記憶はない。
映画のワンシーンで、矢面に立たされるのは原爆を作った科学者ではなく、私(大統領)だと言ってたのはその通りだと思った。
重いテーマだが良い映画だと思った
アカデミー賞にぴったりなんだろう
この映画を見事にしている3つの柱
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
この映画『オッペンハイマー』を見事な作品にしている要因に、以下の3つの柱があると感じられました。
1.ナチスの原爆開発に対抗するための、核分裂による兵器(原爆)の開発を量子力学の物理学者として陣頭指揮する姿
2.妻や恋人(愛人)との悲劇的含めた関係性
3.赤狩り(共産主義者の追放)により、戦後にソ連・共産党との関係を疑われ事実上に公職追放される聴聞会の場面
これら3つの、原爆開発での物理学者の振る舞い、妻や恋人(愛人)との関係、共産主義者としてのスパイ疑い、にまつわる不安や深刻さは、時系列が織り交ぜられることで、それぞれの場面で溶け合い錯綜し、映画で人間の矛盾に満ちた深さを表現することに成功していると思われました。
私個人も、当時のアメリカによる焼夷弾による日本の都市への焼き払い空爆や、原爆の投下は、明らかな国際法違反だと思われています。
であるので、この映画が原爆被害を直接描いていない批判があることも理解します。
ただ一方で、日米の当時の戦闘で、特にペリリュー島や硫黄島や沖縄戦での日本軍の激しい玉砕的な抵抗で、日米双方に多大な犠牲が出ていたこと、沖縄戦での多大な犠牲が出ても日本は(沖縄戦と同様の)本土決戦をあきらめる気配がなかったこと、そもそも日本が中国や東南アジアを侵略的に民衆含めて攻撃していたこと、もっと言えば当時は国際法違反である民間人への攻撃をさしてどの国も考慮していなかったこと、元はと言えば西欧もアジアを植民地的に支配していたこと、など、双方の積み重ねられたそれまでの経緯描写が出来ない限り、この映画で1つの場面だけ切り取って一方的な加害者/被害者の描写をしなかったことは、私には許容範囲で理解は出来ました。
よって、映画としてこの『オッペンハイマー』を、原爆・水爆への強い拒否感も含む複雑な対峙を含めて、見事な作品であると私的には思われました。
多くの日本の観客も、一方的な加害者/被害者には分けられない、その複雑さを受け取ったと思われています。
緊張感ある伝記映画
オッペンハイマーをIMAXで見た。
正直大雑把に映画の情報を見ていたので、会話劇が中心とは思いませんでした。
正直前半2度ほど気を失いかけました。中盤から実験のシーンの流れの緊張感には見入ってしまいました。
印象にあるのはやはりアインシュタインとの会話これがのちに重要な出来事を招いてしまうきっかけとなってしまうのだが。
広島長崎の描写が足りないという声もあるが、私的にはサラッと流してしまうのかと思っていたので、想像以上に出ていたと言う印象です。批判覚悟で言うならアメリカが作ったアメリカ人物理学者の伝記映画であるのだから仕様がないのかなと思う、そして中途半端に語るくらいであれば、映画で描かれくらいでいいのではと言うのが正直なところです。自分が思っていたより日本への投下の過程がでてたような気がする。原爆投下後記録の映画を見たオッペンハイマーが目を背けるシーンがある。そこに写っていたであろう映像は写真などで見た惨状だと想像できる気がする。自分の想像以上の被害に絶望する彼に、追い打ちをかける結論の決まっている公聴会見ていてイライラしてしまい、イライラするシーンになると鳴らされる行進するような、足音の演出に私もイライラして見てました。
最後のアインシュタインとの会話とその後の絶望した顔、天才同士通じるところがあるのでしょう、そして天才になりきれない普通の学者は嫉妬などで、本来の自分がなすべき目的を見失うのでしょう。と考えながら見ていました。
また、終映後友人と昔も今も女性は強いねと言う話になりましたオッペンハイマー夫人が夫に放つ「戦うのよ」は妙に印象に残っています。
この映画で、個人的に驚いたのは、オッペンハイマーの敵役ルイス・ストローズ役がロバート・ダウニー・Jrだったんだと全く気づきませんでした。
それが一番ビックリでした。
ほんとはどんな気持ちなのか気になる
気になってた映画だったので鑑賞!
第二次世界大戦下、アメリカで立ち上げられた極秘プロジェクト「マンハッタン計画」
これに参加したJ・ロバート・オッペンハイマーは優秀な科学者たちを率いて世界で初となる原子爆弾の開発に成功する
しかし原爆が実戦で投下されると、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩するようになる
冷戦、赤狩り一激動の時代の波に、オッペンハイマーはのまれてゆくのだったー。
世界の運命を握ったオッペンハイマーの栄光と没落、その生涯とは
今を生きる私たちに、物語は問いかける
というのがあらすじ!
カラーとモノクロに分かれてましたけどモノクロが過去かと思ってたら逆でした笑
3時間はちょっと長かったかも…
それに映画にしたことで話の展開が早かった感じ🤔
ちょっとわからなくなった時もありました笑
ドラマでじっくりと描いて欲しかった
オッペンハイマーが核を作ったことでその連鎖で他の国も作りいつか世界を焼き尽くすんでしょうね
あと最後のアイシュタインとの会話は衝撃でしたね
それとオッペンハイマーが実際はどんな気持ちだったのか気になりますね
結果と責任
原爆を作る過程の話と
オッペンハイマーとストローズの委員会での戦い
メメントに似た構成で時系列が交互にでてくる。序盤が長い。ストローズとのバトルがメインの気がするがラストで自分が行った結果から逃れないことを思い知る。
賞賛は贈られる人のため出なく、贈る人や周囲の人のためであって、爆発は大気まで連鎖したで終わり。
鑑賞後感傷に浸ってもむなしさが残る。
採点の通りとても素晴らしい映画でした。主に興奮させられたところ、映画後半にかけて複雑な気持ちになったことの2つに分けてレビューを書きたいと思います。
前者についてはストーリーの点で自身が工学を大学で学んでいることもあり大変興奮させられた。アインシュタイン、ボーア、(マクスウェルというセリフもあった気がしないこともない)など高校物理にも名を見せる科学者の名前があがり、ほんの70年前までアインシュタインが現実に居たなど想像もできず思わず笑みがこぼれてしまいました。
また近現代ということもあり当時の世界に入り込め、70年前の科学者たちが今につながる科学を歴史背景があるとはいえ、作り上げていったのかと思うと胸が熱くなりました。
回想的な映画の作りになっていったせいか、慣れるまでついていくのにも精一杯でしたが、後半になるにかけオッペンハイマーの微妙な心理変化や政治、当時の歴史背景などが自分の中でまとまっていってとても満足感あふれる映画でした。
後者について、後半の特にトリニティ実験前後にかけては涙がでてきて、考えさせられる内容でした。もしかしたら映画としてのメッセージは人の人生の頂点とその後についてかもしれないですが、日本人バイアス的なもの抱えながら鑑賞してしまいました。
本映画では広島、長崎に投下される直接的にシーンはありませんでしたが、トリニティ実験のような爆弾が70年前、普通に生活する人々の上に降りかかってきたんだと想像するとなんとも言えない気持ちになりました。普通に生活する人々とは当時の人々にとっては自身であり、親であり、友達であり、知り合いであり、本当に回りを歩いている普通の人なのだろうと思います。
もちろん東京大空襲など民間人の被害はありますが、トリニティ実験の映像と、自身の記憶に残る原爆ドームの皮膚がただれた蝋人形とのイメージとが重なり、鬱々とした心苦しい気分でした。
またその後のトリニティ実験成功、広島長崎での成功にかかるアメリカ人の反応は映画が終わった後も考えさせられました。
核抑止で収まる現在、人の命だけは団結して守ろうよという理想論も心をよぎるが、日常生活に置き換えて、そのような誰とでも仲良く、コミュニケーションが取れているような状況が身の回りでも取れていないのに、どうしてその理想論の着地点が考えられようかとむなしさが残りました。もしかしたら、そのように悶々と考え続ける程度が正義であり正しいのかもしれない。
工学者としては、科学者が使用についてどこまで関わるべきかという点にも少し考えさせられました。科学は科学そのものが単純にとても面白いですし、より深く探求しようと時間が進むにつれ発展してしまうものだとは思いますが、IPS細胞にかかる特許などその扱い方については少しは考え続けれたらいいなと思いました。
アメリカ人観客の心には何が残りましたか?
興行的にも成功し、アカデミー賞も受賞したこの作品、この時代に原爆をハリウッドがどう描くのか大変興味深かったです。
感想としてはやっぱり被爆国の人間としては複雑ですね。
ハリウッドが作って米国の観客がギリギリ受け入れられるラインがこの程度だったんかな?まぁこんなものかなと…。
そりゃ流石に米国が、ゴメンやっぱ原爆投下はやり過ぎだったわ〜と認める事など期待はしていませんでしたが、原爆投下に対する作品としての見解がイマイチ釈然としない印象です。(それは見た人が決めることという演出方針があったとしても)
被爆国に生まれた一個人としては原爆を作った事よりも(米国が作らなくても他の国がいずれ完成させたんだろうなと思うから)、実際に人に対して使った事に対してどういう気持ちなの?という方が気になるのですが、それを上手くはぐらかされた感じです。
映画の中盤で日本に原爆が投下された後、オッペンハイマーは自分の所業に打ちひしがれ、国の軍拡路線に反対の立場をとります。ここから映画は反軍拡派のオッペンハイマーと彼の失脚を企てる軍拡推進派の陰謀によって法廷サスペンスの様相を呈し(裁判ではありませんが)、それがなまじ面白いので原爆の是非という部分がなんか印象が薄くなります。
法廷サスペンスパートが落ち着くと再び原爆の是非という主題が明瞭になりますが、その頃には原爆を使った事より作った事にテーマが絞られていると感じました。これは主に米国の観客に作品への拒絶反応が出ないように考えた結果のような気がしますが、その配慮が被爆国の人間からすると歯痒いのです。(広島・長崎の被害を直接的な映像で演出しなかったこともこの歯痒さの一因です)
さらにこの主人公のオッペンハイマーが一見、物静かで繊細で思慮深い人物なのですが、冷静に見ると、
・女性関係がだらしない!特に妻が育児ノイローゼになると不倫相手に子供を預けに行くのが凄い!
・同僚が止めるのも無視して研究所内で共産主義の啓もう活動や学者の労働組合を組織したりする筋金入りかと思いきや、恋人、結婚相手、弟夫妻もみんな共産党員なのに自分だけはなぜか党員じゃない!
・トップシークレットの国家事業をしているのに素性もろくに調べず(気にせず)にドンドン人員をスカウトして事業に加えていく。(案の定ソ連のスパイが紛れ込む)
・『300年の物理学の成果が爆弾づくりか?』と乗り気じゃない学者に対して『まぁいいじゃん、そういうの。ノーベルも爆弾作ってたんだし』と説得(こんな適当な台詞では無いが印象としてはこんな感じ)
・プロジェクトを一緒に指揮する陸軍将校に軍服を着るよう要請され、特に抵抗なく着ているのを、他の学者に『お前は学者だろ!?そんなもん脱げよ!』と指摘されると、これまたあっさり軍服を脱ぐ
というように、わりと行動が軽くてあまり信念のようなものを感じないフワフワした人物なので、彼が苦悩する姿も演技や演出の切実さとは裏腹に何とも軽く見えます。
あくまでも劇中で描かれたオッペンハイマーから受けた印象で、実際の彼がどうだったのかは知りませんが、人としては『原爆落とされた人間が恨むのは作ったお前じゃなく、落とした俺だ!』と言い放つトルーマン大統領の方がなんか原爆投下の責を一身に背負う覚悟を感じて、信念がある人物に見えてしまいました。(あくまで映画のキャラクターとしての印象で…)
かつて見たマンハッタン計画のドキュメンタリーでは、原爆開発はアメリカ人にとっては輝かしい栄光の一ページであり、それによって出た犠牲者など全く視野に入っていないのだなと、複雑な気持ちになりましたが、それに比べれば決して単純なアメリカ礼賛、原爆全肯定映画ではありません。
映画はオッペンハイマー自身の苦悩だけでなく、彼を英雄と祭り上げ、ソ連のスパイとして追い落とした後、賞を与え彼の名誉回復を祝した人々に対してもその欺瞞を指摘してみせるというように、一個人ではなく人々全体が自分たちの行いを省みる姿勢を提示している気がします。
こんな感じで多少軽い印象はありますが、戦勝国側がここまでやったんなら十分なんじゃないか?と納得しようとしてしまうのは、自分が期待したものとは多少違っていても3時間の長尺を苦も無く見せられ、終始興味深く、鑑賞後に何かしら言いたくなる映画だったからです。
この作品を支持したアカデミー会員や米国の観客はどんな感想を抱いたのか、それがこの作品の意義を決めるのかな?と思いました。
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