落下の解剖学のレビュー・感想・評価
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事実が力を持たない時代の法廷劇
事件の真実を明らかにしないままに終わる法廷劇というのも珍しい。しかし、極めて今の社会のあり方を的確に表出した作品と言える。要は、「人は信じたいものしか信じない」、事実が力を持たない時代になったのだということ。
夫の転落死は事故か、殺人か。決定的な証拠は見つからないまま物語は進んでいく。そして、事件をめぐる世の中の関心は、夫婦仲がどうだったかへと移り、法廷も主人公の女性に殺意を抱くような動機があったかどうかが争点になっていく。しかし、動機は事件性があったのかどうかの補強情報にはなるが、決定的な証拠とは言えない。下世話なスキャンダルのように世の中が騒ぎ立てるなか、目の見えない息子が証人となる。
タイトルには「解剖学」という言葉が使われている。解剖学は人体の構造を明らかにする学問だ。見えない人体の中身を「見える化」するものと言い換えてもいいかもしれない。
その言葉に反して、この映画で描かれる事件(事故)の真相は見えない。真相は見えないままに物語が進行し、観客である我々はそれぞれに「信じたいものだけ信じる」ように誘導される。
そんな、人の「信じたいものしか信じない」心の弱さを「見える化」している作品と言えるかもしれない。
事件と夫婦関係の解剖によって浮かび上がる奥深い人間ドラマ
雪山に建つ山荘で暮らす3人の家族がいる。絵に描いたような幸せな暮らしに見えるものの、そんな中で夫が落下死するという悲劇が発生。捜査の過程で浮上した不審点によって、妻に殺害容疑がかかり・・・と、あらすじだけを見ると、謎解き、捜査、推理といったイメージが湧き上がってきそうだが、しかしこの映画の本質は紛れもなく「家庭ドラマ」だ。あるいは家庭生活という名のサスペンス。その上、この法廷劇によって周到にメスが入れられ一つ一つ明かにされていく状況は、恐らくどの家庭や夫婦でも身に覚えのある切実かつ根源的な問題なのだ。妻であり母であり、成功した作家でもある主人公役のサンドラ・ヒュラーの表情が鮮烈で、彼女が怪しいのか、それとも我々の偏見や先入観なのか、観る者もまた非常に不可解な境地に立たされる。と同時に、盲目の息子が手探りで真相を掴み取ろうとする健気な様が胸を打つ。まさに解剖の名にふさわしい人間ドラマである。
夫婦の愛と信頼が崩れ落ちるさまが、裁判の過程で解き明かされていく傑作サスペンス
転落事故か投身自殺か、それとも殺人か。自宅山荘の窓の下で、夫で父親のサミュエルが不審死を遂げ、その妻で小説家のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)が殺人罪で起訴される。
法廷での証言や証拠で家族のこれまでが次第に明らかになる。作家として成功した妻と、教師の仕事をしながら作家の夢を捨てきれない夫。サミュエルは息子ダニエルが事故で視覚障害になったことの責任を感じ続け、山荘を宿泊施設にリフォームする目論見もうまくいかず、精神的に不安定になることもあった。
“解剖学”というと学問の語感が強くなるが、フランス語の原題Anatomie d'une chute、英題はAnatomy of a Fallはいずれもニュアンス的には「落下(転落)の解剖」が妥当だろう。第一義はもちろんサミュエルを死に至らしめた転落の真相を裁判で解き明かすことにある。だがそれだけでなく、愛と信頼で築かれていたはずの夫婦の関係が、社会的成功の差、家事育児の負担、息子が抱える障害などさまざまな要因によって崩れ落ちていったさまが裁判を通じてあらわになることも示唆するダブルミーニングになっている。
1978年に東ドイツで生まれたザンドラ・ヒュラーは、国際的な知名度を高めたドイツ・オーストリア合作「ありがとう、トニ・エルドマン」(2016)で、変人の父親に翻弄される真面目で少し不器用なキャリアウーマンを愛らしく体現。打って変わって本作では、複雑で陰のある主人公を繊細に演じ切った。昨年のカンヌ国際映画祭ではフランス製作の本作が最高賞パルムドール、さらにキャストの2番手にクレジットされた米英ポーランド合作「関心領域」(日本では5月24日公開予定)も第2席のグランプリを受賞するなど、国際派女優としての円熟期を迎えつつある。5部門にノミネートされた今年のアカデミー賞の結果も楽しみだ。
法廷物の形式であるがゆえ当然ながら裁定は下されるが、揺るぎない真実が明らかになってすっきり解決、という映画ではない。むしろ解釈の揺らぎや余白を観客側が想像で補うタイプの作品であり、いつまでも落ち続けているような、落ち着かない“もやもや”を堪能していただければと思う。
新感覚アトラクション映画
まずこの映画スッキリしない
モヤモヤしたまま終わる映画です
特にエンタメ好きな人であればあるほどスッキリしない
映画慣れしてる人であればあるほど
いつどんでん返しされるのか
いつゴーンガールになるのか
いつカイザーソゼが出てくるのか
って思っているとそのまま終わります
視聴者は拍子抜けします
その後犯人はやっぱりこうなんじゃないか?
いや旦那の自殺なんじゃないか?
みんな思い思いに考察に耽ることでしょう
ですがそれすらも監督にコントロールされているとしたら?
つまりはこの映画見た後の考察班まで
手のひらで転がされる映画なんだなと
不振な点は沢山あるけども
全部机上の空論で事実は犬がゲロっただけ
唯一の事実に基づくと無罪です
でも視聴者含め世間は奥さんが犯人だと面白い
奥さんに会いに来た女子大生が犯人だと面白いから考察をします
約1時間の法廷シーンは視聴者を混乱させるためだけの
1時間。
答えは冒頭のシーンと犬のシーンだけで十分な映画です
この映画立ち返ると
身の回りでも同じようなこと多いなと
例えばSNSで○○と○○は実は裏では仲が悪いらしいとか
ニュースの情報だけであの芸能人は実は○○らしいとか
なぜならそっちの方が面白いからです
この状況下を2時間の映画で作り出した脚本は天才的だなと新しいどんでん返しの形を見た気がします
脚本賞おめでとうって感じです
息子と犬が主役
って感じ。大人の都合、事情が夫婦関係や家族に影響する中で、純粋に真実を見極めようとする彼らのつぶらなキラキラした瞳が印象的。
付添人の意見を発するのは発言自体とその内容のは非常に違和感を感じた人は少なからずいらっしゃったのではと思います。
自身を省みる教訓にもなる
スリリングな法廷劇としても、夫婦関係の崩壊を描くメロドラマとしても、息子の成長物語としても、如何様にも味わえる濃厚な作品でした。
152分と長丁場ですが、それ相応の見ごたえがあります。
証拠としてあげられる「事実のようなもの」は、ある人やある出来事の一面でしかない。
群衆は正確な事実よりも、より面白いものを信じたがる。
劇中で語られる言葉ですが、とても納得できます。
我が家のある日のエピソードを友人に話すと「家族で仲がいいね」と言われるのですが、また別の日のエピソードを同じ友人に話すと「家族仲、悪いの?」と心配そうに言われたことがあります。
私にとってはどちらもありふれた日常の一コマですが、その部分だけ切り取ってみると、とても良好/険悪なものに見えてしまうこともあるのだなと体感したことがありました。
手に取った石ころ一つで山のすべてが分かるものだろうか。
そんな裁判で、人を裁くことに意味なんてあるのだろうか。
事実らしいものはたくさんあるし、どれもそららしく思えるけれど、重要なのは何を信じると決めるか。
本作で起きた出来事の真実、事故か自殺か殺人かは、まったく重要ではないように思えてきます。
エンターテイメントとしてだけでなく、自身を省みる教訓としても非常に参考になる、おもしろい作品でした。
芳醇のコクと旨み
雪山に住む3人の親子。
落下死した夫。
容疑者となる妻。
そして視覚障がいの息子。
物語は事件の真実が何かではなく、
その人は何を思ったのか、
世間からどう見られているのか。
人間という生き物の真相を淡々と解剖してゆく物語
真実を追求しない法廷作品。
アカデミー作品賞ノミネート。
これね、完全な玄人向けです。
起承転結に波が欲しい
ハリウッド映画大好きさんには
この芳醇のコクと旨みを楽しめるのか。
これを楽しめる大人になって欲しい。
落下の解剖学
生々しい。と言った表現が1番しっくりくるけど、そんな一言で終わらせられるほどのものではない。映画の中にいろんな感情が思惑が、ものすごい密度で埋められていた。
主人公が無罪を勝ち取るまでの話かと思いきや、裁判によって隠していた事実や他人には言えない彼女の全ての感情、感覚、生き方まで全て解剖されていく。この解剖で彼女の1人息子は何を選択し、何を守り、両親の真実をどう受け止め、どう決断していけばいいのか学んでいく。
「落下の解剖学」とはいいタイトルをつけたものだ。
あらすじ
夫の不注意で事故に遭い、視覚障害を患った息子を持つ主人公のサンドラは、ある日雪山の上にある自宅のそばで血を流して死んでいる夫の姿を発見する。
やがてサンドラの殺人が疑われ、彼女は無罪を主張していたが、数々の証拠と合致しない彼女たちの証言は意味をなさなくなっていく。
そして、事故の前日の喧嘩の内容の録音や、夫が薬を飲んできたことを法定内で知った息子は、父が自殺したのか、母が夫を殺したのか、疑心暗鬼になっていく。
また、撮影、編集にもこだわりを感じた。突然現れるfixの主観カットや、徐々にカメラが寄っていくじっとりとしたドリーイン、かと思いきやズームで勢いよく寄っていくスピード感は、キューブリックを思わせる。雪山というものと、息子の髪型のせいか、途中からシャイニングを見ているのかと思ってしまった。
リアルで人間くさい
人間が持つ愛情とエゴを表裏一体で見事に表現しきった作品。視覚障害の子供への愛情、事故で視覚障害にしてしまった悔恨、その子供のために自らのやりたいことが出来ず子供への煩わしさがあからさまになるさま、全てがリアルに描かれる。そして、どの側面も想像の範疇だが自分自身に置き換えられることが出来、すんなりと受け入れられてしまう怖さもあった。
全てが善人の人間などいないと、改めて実感させられた。
もう少し短くてもいいかも…
結末で回収される昨今の作品に慣れてしまったこと、それがいいと思ってしまっていたことに気付かせてくれました。ラスト、すっきりしないけれど犬が寄り添っていったのが一つの示唆なのかなと…
食べたいものじゃなかった
悪くはないんです。
ただ「焼肉」を食べに行くはずが「うどん」かよ、みたいな。
決してうどんが嫌いなわけじゃないんです。でもガッカリしたのも事実で。
こんなはずじゃなかった、と。だって焼肉の口になってるんだもん、と。
この責任を誰かに取ってもらいたい(笑)
確かに事前情報を入れずに観たけどさ。その方が良いかと思って。
でも何となくミステリー味だって想像してしまうじゃんか。
そりゃどうしたって「そういう口」になっちゃうってば。
分かっていても「焼肉」のつもりの「うどん」は喜べないって。
せめて「うどん」のつもりが「焼肉」だったならOKなんだけど、
濃い味を期待してる時の薄味はさすがに受け入れがたい。
おっさんだけどまだ味覚はお子ちゃまですから!
ただこれは宣伝も悪かったんじゃない?と思わずにはいられない。
TVなどで流された予告は完全に濃い目のミステリー味だったよね?
だけど蓋を開けたら質素な「ヒューマンドラマ味」だったわけよ。
子供だったらショック過ぎてきっと大泣きするぞ。
そういう意味では宣伝に「誠実さ」が欠けていたように思うんだよね。
客を呼びたいのは分かる。でも作品に敬意は払うべきじゃないかな。
この映画でとにかく言いたいのはそれだけです。
大人げなくてスミマセン。
#09 他人にはわからない家庭内事情
一見上手くいっていそうな夫婦の実情は他人には誰にもわからない。
最近はあえて結婚という形を取らない人が多いフランスでさえこうなんだから、結婚しないと一緒に暮らすことさえほぼ許されない日本だと、各家庭に色んな事情があるんだろうなあ。
150分という長尺ながら裁判の過程が楽しめて見応えがあった。
田舎の平日昼間の上映回の割に結構人が入っててビックリ。
多分映画好きならはずせない作品なんだろう。
1日1回だけだけど、上映してくださってJMAXシアターさん、ありがとう。
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