エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのレビュー・感想・評価
全692件中、1~20件目を表示
家族間のいざこざを最大限に拡大解釈する試み。
親子のいざこざを描くためには、これだけの大風呂敷が必要である!というダニエルズの居直りが素晴らしい。家父長制や古い文化の継承、親に認められたいというコンプレックス、クイアへの不寛容などなど、この家族もさまざまな問題をはらんでいるが、ひとつひとつは決して特殊なものではない。しかし当事者にとっての苦悩は、他人の目には取るに足らなくても、全マルチバースの存亡と同じくらいのレベルでデカくて深い。正直、所見のときは王道の家族ドラマとしてまとまっているので、ダニエルズのメジャー化戦略かと疑ってしまったが、見返すほどに真摯さや細やかな配慮が伝わってきて、ケツネタに代表される悪ふざけメインの作品ではない。
カットされた未公開シーンを見ると、ダニエルズが完成形に落とし込むためにどれだけ大鉈を振るったのかがわかる。ハチャメチャでやりたい放題に見えるかも知れないが、編集段階で考え抜き、物語を伝える上でノイズになるものを慎重に排除している。映画は完成形で判断すればいいが、製作の過程を知ると、ダニエルズがこの物語にいかに真剣に向き合ったかがわかる気がして、作品のことがさらに好きになった。
マルチバースの虚無感との戦い
マルチバースは数多の可能性に想いを馳せる物語装置だ。だが、あらゆる可能性があるということは、不老不死が空しいみたいなことと似ていて、虚無へと通じる何かでもある。この作品は、そんなマルチバースの虚無との戦いが描かれ、最終的には、ぱっとしない自分の唯一の人生もまたかけがえのないものだという着地をする。
主人公は、コインランドリーの経営が火の車で、確定申告に悩んでいる。娘が同性愛者であることも彼女には受け入れにくいものとして悩みの種になっている。税務署でマルチバースのいざこざに巻き込まれて、別次元の自分と接続されてすごい力を発揮しながら、自分の人生の分岐点に想いを馳せる。自分にはこんな可能性もあったのだなと。対して、あらゆる次元を経験してしまった娘の方は、この世界がどうでもよくなり、消滅させようともくろむ。
哲学者の千葉雅也的に言うと、過剰な接続を「切断」することが幸福につながる、というような、そういうメッセージがここにはあると言える。一度しかない冴えない人生であっても、他のどの次元とも異なる唯一性を慈しむこと。幸福の秘訣はそれだと本作は描いている。
ミシェル・ヨー×キー・ホイ・クァンで感涙
本作のヒーローは、家族の問題やコインランドリーの赤字経営に頭を悩ます普通の中年女性であるのが画期的だ。そんな彼女が、全宇宙にカオス(混沌)をもたらす強大な悪を倒せる存在というのだから奇想天外な展開が待っている。しかも、生活に追われて疲れ果てていたその女性エヴリンを演じるのが、約30年前、ジャッキー・チェン主演の「ポリス・ストーリー3」(1993)で鮮烈なアクションを披露したミシェル・ヨーである。彼女が主演ということであれば期待が高まる人もいると思うが、マルチバースにカンフーアクションが掛け合わされる展開に、香港映画ファンならずとも歓喜しないわけにはいかない。
さらに、優しいだけで頼りにならないエヴリンの夫ウェイモンドを演じたのが、1980年代の大人気作「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」(1984)や「グーニーズ」(1985)で、天才子役として一世を風靡したキー・ホイ・クァンである。この2人の共演というだけで胸アツになる世代、映画ファンは多いはず。長い間俳優業から離れて助監督やアクション指導をしていたクァンが、本作で復帰を遂げたことは非常に感慨深い。中年になった彼が息をのむカンフーアクションを決める姿に、「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」でスクリーン内を飛び回っていた姿がオーバーラップし、それだけで目頭が熱くなる。
過度な期待をせずに見るのが正解だと思う、奇抜で独創的なアクション・エンターテインメント映画。
本作は、第95回アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞(ミシェル・ヨー)など最多の10部門11ノミネートを果たしています。
そのため、見る際には期待値が上がると思いますが、個人的には、そこまで期待値を上げずに見るのが正解だと考えています。
というのも本作の監督・脚本は、あの奇想天外な「スイス・アーミー・マン」(2016年)を生み出した(ダニエル・シャイナートとダニエル・クワンの)コンビ「ダニエルズ」だからです。
ちなみに「スイス・アーミー・マン」はポール・ダノが死体(ダニエル・ラドクリフ)と共に旅をするという風変わりなサバイバル映画です。
そして、その「ダニエルズ」が湯浅政明監督作「マインド・ゲーム」や今敏監督作「パプリカ」などからインスパイアされ、カンフーとマルチバース(並行宇宙)の要素を掛け合わせるという独特な世界を表現しています。
イメージとしては「マトリックス」が近いのかもしれません。
情報量はとても多いので、キチンと睡眠をとってから見るのがおススメです。
20年以上前にアメリカに移民した中華系の家族の物語ですが、主役のエヴリン(ミシェル・ヨー)がマルチバースを行き来することになり、様々な分岐点にいる自分を見つけます。
そして「もし、あの時、こっちの選択をしていれば、こうなっていた」というエヴリンが登場し続けるのですが、これがミシェル・ヨー本人が辿ってきた現実とリンクもするので、ミシェル・ヨーが、これ以上は考えられないくらいの「ハマり役」となっています。
また、様々な世界を見せ続けていく、カオスでありながらも視覚的に理解できる領域にまで整理した編集能力は秀でています。
では、本作で描かれた結論的なテーマは何なのかというと、これがかなり「普通」なものなので、「Don't think. Feelな映画」として捉えるのが多くの人にとって楽しめる見方だと思います。
カンフー、多元宇宙、家族の危機、名作パロディ、下ネタジョークまで全部盛りのメタメタでカオスな爆笑活劇!
あいにくオンライン試写での鑑賞だったが、自室でこれほど何度も大笑いした映画は久しぶり。映画館の大スクリーンならさぞかし盛り上がることだろう。
今年のアカデミー賞の最多ノミネートと、ミシェル・ヨー主演ということぐらいしか事前情報をチェックしていなかったので、いろんな設定をもりもりに盛り込んだ奇想天外なストーリーと、「変な行動をすると、別の宇宙にジャンプするパワーを得る」といういかれたルールにより繰り出されるおバカなシーンの数々に爆笑しつつ、こんなヘンテコ映画を一体誰が作った!?と考えながらの鑑賞だったが、「スイス・アーミー・マン」の監督コンビ“ダニエルズ”と聞いてなるほど納得。あのカルト的作品も、死体内の腐敗ガスが屁になってジェットスキーのように海を進むなどという馬鹿馬鹿しすぎるアイデアが最高だった。
ブルース・リーが映画の世界に持ち込んだカンフーに、ジャッキー・チェンが加えた笑いの風味と、「マトリックス」が重ねたメタバースなどのSF要素が、昨今のハリウッドにおける多様性尊重の波にもうまく乗り、この“エブ・エブ”に合流して結実したといったところか。
ただこれ、映倫の区分が「G」になっているけれど、家族やカップルで鑑賞するつもりなら要注意。アダルトグッズそのものや、それを模した物を使った下ネタジョークのアクションシーンもいくつかあり、下ネタに対する受容度やリアクションが大きく異なる同伴者と観ると、「あんなネタでこんなに笑うなんて…」と呆れられるリスクがあるからだ。気心の知れた仲間と行けるなら、きっと愉快な鑑賞体験になるだろう。
イマジネーションと映像力が大爆発している
これは凄い。イマジネーションが大爆発している。これまでも既成概念の枠組みを超えた秀作を手掛けてきたA24だが、ここにきてマルチバースを扱うなんて想像もしなかった。それも驚きの発想でいくつもの次元を股にかけ、あらゆる可能性の限界を取っ払っていく。言うなれば『マトリックス』と『ドクター・ストレンジ2』を掛け合わせ、さらに量子論と『2001年 宇宙の旅』を融合したかのような・・・いや、やめよう。こんな言葉の説明なんて全く役に立たない。要はビッグバン級の奇想天外な映像世界を物の見事にビジュアル化し、それでいて何が起こっているのかを観客がきちんと理解できる。これが本当に信じがたく、凄いのだ。怒涛の展開に翻弄されまくりのミシェル・ヨーと魅力全開のキー・ホイ・クワンをはじめキャスト陣も宝石のよう。こんな楽しく、笑えて、涙さえこみ上げる家族アクション、壮大な洪水のようなアイデンティティ・ドラマは初めてだ。
誰もが抱える孤独と愛
誰もが抱える孤独と愛を端的に表現する物語
家族や恋人との関係に必ず訪れる孤独な気持ち。
わかってもらいたい。わかってもらえない。
大切だからこそ言えない。積もる孤独感。
そこから生まれる、自己防衛の心理からなる攻撃的な言動。
そしてさらに深まる溝。
結局それらを解決したのは、自分の気持ちを知ること。自分がどうしたいのかという本質に向き合うこと。そして優しさを持って愛する人と接し、受け入れる事。
そんな「愛」のテーマをマルチバースと中国移民というトリッキーな設定とコミカルなアクションであえて複雑にしながら描く。
脚本・製作はアベンジャーズエンドゲームのルッソ兄弟。
素晴らしい内容だった。
演技派を揃えつつ、俳優のビジュアルで勝負しない作風も、映画の内容をより引き立てている気がした。
素晴らしい。人に勧めたくなる映画だった。
No. 1442
母と娘を中心とした家族愛のSFコメディ
泣いて笑えるSFでした。家族って良いね。
はじめの頃、防犯カメラの映像にカンフーお父さんが映っているシーンから、笑えます。
好みなのかなあ
賛否両論のレビューをあらかじめ目にしていてアカデミー賞受賞作ということも踏まえてあまり深く考えず楽しく観ようとそれが結果として身構えてしまったのかわかりませんが、なんと鑑賞中に2回も寝落ちという失態、見終えるのに翌日に持ち越すという失態、カオスではあるが難解でもなくくすりと笑わせてもくれるのだが、自分の好みではなかった、それだけですかね
こりゃ最低最悪!酷い・酷い・酷よ、駄作やん (。-`ω-) ★0 だわ~
TV予告見て、”エブエブ~”って 石に目が有って
少し話してるの見た時、嫌な予感は既にしていたのだが。
こんな作品がアカデミー賞11部門ノミネ-トってさ
完全に各賞本命の当て馬じゃん。オッズ操作としか思えんなぁ。
今日は そんな思いを抱きながら
「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を
観たよ。 "(-""-)" タイトル長げ~んだよ!
(ノミネ-ト枠)
・作品
・監督(ダニエル・シャイナート&ダニエル・クワン氏)
・主演女優(エヴリン・ワン・クワン役/ミシェル・ヨーさん)
・助演男優(ウェイモンド・ワン役/キー・ホイ・クァンさん)
・助演女優(ジョイ・ワン役/ステファニー・スーさん)
(ディアドラ・ボーベアドラ役/ジェイミー・リー・カーティスさん)
・脚本・歌曲・作曲・衣装デザイン・編集
配給:A24
この中でまあ有るかもと思えるのは、編集ぐらい。
こんな内容で脚本は無理だな。
またしても 怪しい闇パワ-仕掛けを感じるよ。
チャイナマネ-がハリウッド権力を買い込んでそう。
特筆すべきは、キー・ホイ・クァンの復帰ぐらいだろうか。
メッチャ大人になっててビックリ。51歳だとさ。
昔、日本に来て本田美奈子さんと
「パッセンジャー 過ぎ去りし日々」で
共演してたのが懐かしい。 今作 彼が出てたから★1に。
後は ミシェール・ヨーさん(60歳)ぐらいかな。
久し振りに観たかな。”シャン・チー”以来かな。
まあ、しかし 全体的に酷いねコレは。
何やってるんだ~の心の怒りが 4回出たわ。
こんなの初めてかも。
”プリズナーズ・オブ・ゴーストランド”でも2回までやったけど。
まず説明が杜撰すぎて。色んな所からのマルチバースで
本人が入れ替わってるとか、分かりにくいよ。
並行世界の出入り口の絵も無いし。まるで霊魂乗り移り替わり描写。
特別な演出も無く俳優の演技変化だけで 分かれと言われてもね。
雰囲気で感じろ~っていう強制力が頂けない。
マルチバース 時間の変化描写も メッチャ微妙っすわ。
アメリカ人はどうか知らんが、日本人はアニメとかで斬新な
話展開に慣れ過ぎてて、今作程度のやり込みでは全く動じないと思う。
あと、カーティスさんはOKなんやけど、ステファニー・スーさんは
あれでは全く魅力を感じんね 残念やけども。
出だしから ワクワクして見ようとしたけども、
ずっと同じような 撮りと、カット編集繋ぎが多く 目が飽きる。
しかも パッパと素早く切り刻んで 連続的に。
しかも 色だけ変えてたり。
内容と絵と 遣りたい事が一体化処理できてないかな。
だから 情が湧いてこない。
笑いを創ろうと お尻に棒入れるとか・・・
指長人とか、アダルトおもちゃ出したり
アクビと失笑しか湧いてこないよ。
総てに措いて 丁寧さが欠けてると思う。
雑過ぎる展開と撮りと編集とで 観てる方は
疲労感しか残らない。
まだ、YoutuberとかTikTokのノリの方が
シッカリしてる感じと思うよ。
終盤際に 涙っぽくさせようと、アザトク時間が延ばして有って
娘の傷んだ心を修復して 家族の絆が戻ったように
見せてるけども 何も感情も感動も起こらない。
急にそこだけ ロングカット入れて持ってきてもね。
こっち側の観ていくリズムってのを
どう捉えてるんだか。
極め付けは 石2個 同士の会話。
あれ見て もう終わった~と 思ったネ。
劇場側に損失出なきゃ良いけども
早期に別プログラムにチェンジが
宜しいかと感じました。
======
(追記:)
「エブエブ事変」
2023年3月12日 映画は死んでしまった!
私達の人生を励まし何度も勇気付けてくれた 敬愛なる映画が
無残にもその命を奪い取られてしまった様だ。とても悲しい。
驚いた事に、そうしてしまったのはオスカ-そのものだった。
血塗られ汚れてしまったオスカ-。彼をそのように仕向けたのは
世界を牛耳る少数の評論家達であった。
映画は何時も同じでつまらない。時代を変える革命が必要だ!
そうさせた彼等は既に病にかかってしまっていた。
ポリコレ病だ。
数年前から摂取していたが とうとうポリコレ中毒になってしまっていた。
もはや取り返しがつかない。100年近い神聖なる歴史に
彼等はオスカ-を投げつけてしまったのだ。
恍惚なまばゆい光が世界全体を輝くように照らし
やがて ス-っと 静かに陰が 外縁から包み始めた。
そして・・・静寂となった薄暗い世界に、取り残された数多くの民。
涙も流れない やりきれない思い。
私は そこに 一人たたずんでいた。
3月12日は「映画の命日」として
毎年、この日は映画鑑賞をする事を取りやめ
映画に感謝し哀悼の意を表したい。
黒いベーグル化に対抗するために
泣かせるなバカヤロウ!!!
なんでフツーのおばさんが国税局に税の申告に行ったら、マルチバースの世界を知ってしまい、意味が分からない超能力で巨大な悪に立ち向かう物語に涙するのか。
それがきっと平凡な人生を肯定する物語だからであろう。
前述のように意味がよく分からない話であるが、結局のところ壮大な母娘のケンカ話なのである。母・エヴリンの理想とかけはなれてしまった娘・ジョイ。思春期にグレて、大金をはたいて進学させた大学は中退し、おまけにレズビアンに「なってしまった」娘。そんな娘の「ガールフレンド」を父に単なる友達と紹介したことで関係はさらにこじれていく。エヴリンは娘に後悔する。そして夫に父に仕事に人生にも。もしも夫と結婚していなかったら、駆け落ちしても引き留めないほど忌み嫌われた父から生まれていなければ、破産寸前のコインランドリーなんて経営していなかったら、こんな平凡な人生でなければ私は幸福だったのではないか…。ありえたはずの人生と幸福を彼女は想像するのである。
それがきっと本作にマルチバースの世界が登場する意味なのだろう。誰しもがありえたかもしれない幸福な人生を想像するはずである。もしも今日、映画をみにいっていたら、この仕事を選んでいなければ、この人と結婚していなかったらと日常のささいな選択から、もしもハリウッドスターになっていたら、凄腕の料理人になっていたら、人類の指がソーセージである世界があったらと壮大なものまで。またグローバル化とSNS全盛時代であることも関係するだろう。私たちは容易に他者の人生と幸福のありようを可視化することができ、そこにありえたかもしれない人生の可能性を見出すのである。
そんなありえたかもしれない人生の可能性が可視化された世界で、改めて自らの平凡な人生を振り返れば虚無に陥ることは否めない。可能性はゼロではないのに、結局のところつまらなく平凡な人生なら無意味でありカオスに陥っても問題ない。そのような発想になってしまったのが精神が壊れるほどバースジャンプしたジョブ・トゥパキであり、彼女がつくった黒いベーグルはカオス化した世界なのである。その黒いベーグルで最も理想的な世界は、目玉をつけた石だけが存在する世界。つまり人類が生まれなかった世界なのである。そこには平凡な人生を後悔する発想がない。そもそも人間が生まれていないのだから。それは反出生主義の世界でもある。
だがエヴリンは抵抗する。例え自分の理想とする人生ではないとしてもそれを黒いベーグル化はしないのである。ではエヴリンがジョブ・トゥパキに抗うために何をするのか。それはジョブ・トゥパキ≒ジョイを娘だと認めることである。それはありきたりな答えかもしれない。けれど家族であることは幾多の可能性の中で偶然そうなった奇跡のようなものである。と同時に家族とはそうなったに違いない統計的必然とも呼べるに違いない。だからこそ今の家族を、娘を、そして人生を肯定しようとするのだ。本作のバトルアクションに殺傷が少ないのも、ジョブ・トゥパキがエヴリンを殺せる場面はたくさんあるのに殺さないのは、彼らのバトルが友敵に分かれて敵を打ちのめすのではなく他者の理解や肯定を目的にしているからといってよいだろう。そしてそれは夫の日和見主義な優しさとも違う。他者の理解や肯定のためには、傷つける可能性があるほど他者と関わらなければいけないのだ。
自らの人生を肯定することは、他者の人生を肯定することにもつながるはずだ。〈私〉が他者と家族になったり、関わることは幾多もあった可能性の中で実現された奇跡と捉えることができるし、名前も顔もしらない他者についてももしかしたら家族になったかもしれない存在、関わることになったかもしれない他者と捉えることができるはずだからだ。
現代はニヒリズムの闇が広がっている。自らの人生を他者や別の人生と比べ虚無化させ、他者に不寛容で抹消しようとする世界が。そんな黒いベーグル化に対抗するために。私たちには本作を肯定しようとするバースジャンプが必要なのである。
宇宙規模の陰謀が渦巻いてる?
ミシェル・ヨーとキー・ホイ・クアンの顔合わせがすべて。この二人が出てなかったら、まず見てない。
どぎつい下ネタの辺りでだいぶ集中力が失われた。
なんで鉄板ステーキ職人がナイフ使いの達人になるのか納得できなかった。
生物が進化できなかった星で、丸い石同士で字幕で会話するシチュエーションでは、石の周辺に草が生えている。
生物が進化できないのに?
石が丸いということは、水が豊富にあるということで、植物は生い茂るであろう。
とにかく細かな矛盾が気になりすぎる。
要は、「受け入れたくない人生の蹉跌を受け入れることで道が開ける」という教訓を中国系アメリカ人の家族を題材にして描いただけのことなのだが、マルチバースというSFチックな設定を駆使して、なにか強大な宇宙規模の陰謀を阻止するかのような錯覚を抱かせるという、個人的には大嫌いな味付けだった。
人生がうまくいかないのは、裏で糸を引いている見えない力の影響だと思いたい人がどんだけいるんだよ。基本的に人のせいにしておけば、何も頑張らなくていいもんね。
それと、映画賞を総なめしたのも納得がいかない。特にアカデミー賞は、投票方式を本気で見直した方がいいと思う。あれだけ場面展開がたくさんあったら、俳優たちは自分が何のためにソーセージの指で演技しているか理解できてないはずだ。
編集賞はアリだとしても、主演女優、助演男優は無いだろう。
2024.4.11
エヴリン百面相
日常の家族のぶつかり合いとそこにある愛をものすごいスケールで描いた
あまりに突飛かと思わせるが、物語がバラバラにならず、スケールの境界を実は丁寧に広げている
コインランドリー前の駐車場のシーン、本当に日常に転がっているだろうこのシーン、非常に良い演出だった。ここで一気に自分ごとになった。
とても面白かっただけに惜しい。
穴を突けばキリがありません。突くのもヤボと思うほど穴だらけです。
なのでそういうSF的緻密さを要求するようなものではないのだと思います。
むしろテーマ自体は単純で、
自分の人生こんなはずじゃなかった!
だから死のうと思う人と、
だけど幸せって思う人と、
2種類いるよねという話。
マルチバース云々は飾りに過ぎないと思います。
マルチバースを知らなくても、あり得たかもしれない人生を夢想することは誰にでもあると思うからです。
それがマルチバースだろうがパラレルワールドだろうが素人にはどうでもよい話です。
劇中でも一切説明はありません。
主人公エブリンの、本当はあったかもしれない別の人生が次々に登場します。
それぞれの人生において、生まれてから大人になるまでの記憶が走馬灯のように流れ、やがて現実に引き戻されます。
正直このあたりは泣きそうでしたが、そこに次々と放り込まれるネタに笑わせられて、感動と笑いの混じった何とも言えない幸福感に包まれました。
これ系の映画は過去にも腐るほどあったと思います。
『スライディング・ドア』とか。
ただこのデタラメさとジェットコースター展開は見ていてとても気持ちが良く、今まで見た中でもトップクラスに面白いと思いました。
唯一解せなかったのはエブリンやジョイが改心する過程です。
あれほど人生に絶望した人間が、あの程度のことで戻ってくるのでしょうか?
セリフで説明されればされるほど、改心の動機が嘘臭く聞こえてきて、ゲンナリさせられました。(エヴァンゲリオンを思い出します。)
あれで納得するのは元からよっぽど幸せな人だけではないでしょうか?
しかしそこさえ目を瞑れば、とても良い映画だと思います。
コインランドリーを経営する一家が確定申告に悩まされるという設定なんかはなかなか良いところをついてくるなと思いました。
個人的にはとても好きな映画です。
革新的映画、きっとあなたの心にも届く
臭いタイトルになってしまっている。それほどまでにこの映画は自分の心をえぐってきた。
この映画には、賛否両論のレビューがついている。その気持ちもわかる。なんなんだこれ、と思ってしまうのもわかる。ただそれでも私は100%の賛を送りたい。
おそらく、パラレルワールドというものの概念を理解していないと難しいだろう。この世は決断の連続で、その決断がいまの自分を作っており、少しでもそれが違ったものであれば、それは大きく人生への影響を及ぼす。
私は時々こう思うことがある。あんときああしていれば、あの日あの時あの場所で~♪といった具合で過去を振り返り後悔するのだ。自分語りになって申し訳ない。ただ、そういったことを思うこともみんな誰しもがあるんじゃないだろうか?そういった気持ちをこの映画は肯定してくれる。
過去に対しての悔いは確かにわかる。ただ、それを考えたところでどうにもならない。さらに、過去のその決断で得たものだってあるはずだ。例えば今周りにいる友達、家族、なんでもいい。それらはあの時私たちがああしていたからこその産物である。過去の自分を否定することは今の自分を否定することにもなる。楽観的になれと言っているのではない。ただ、今の自分を愛してあげて、そんな気持ちにこの映画はさせてくれる。
また、もう一つとてもよかったのは、アジア系の家族の形をすごく詳細に表していること。
他のハリウッド映画を見ていると、このようなシーンがよくある。I love you, mom/dad. I love you more!
は?と私は思う。両親が日本人で育ってきた私は、親に愛してるなんて言われたことがないし、言ったこともない。口が裂けても言えない、いや、言わない。それは自分が愛のない家庭で育っているというわけでは全くない。断じて。ただ言わないだけなのだ。照れくさいのだろうか?そこらへんはわからない。
本題に戻ろう。この映画では、私のような家庭(東アジア系)?をよく描いていると思う。ひとくくりにするのは憚られるが、少なくとも私はそう感じた。ぎくしゃくとした親子関係を鮮明に映し出す、それは今までのハリウッド映画が無視し続けていたものを取り込んでいるともいえるのではないだろうか。素晴らしいよ、この映画で自分もまきこんでくれるかのような包容力さえ感じた。ポリティカルコレクトネスがなんだとかいうやつがいるが、黙ってみとけ。そう思う。
総じて、最高の映画。ちょっと下ネタ要素が強い気もするけど、そこも含めて好みだった。
高熱の時に見る夢の中をジェットコースターで走り抜けていくような映画。
マルチバースものと聞くとありがちな印象だけど、その描き方が独特で面白かった。
統計学的にあり得ない行動が別次元へのジャンプ台になるとか、指が○○○○○の世界線とか!
主人公と同じ目線で、「なになに、どういうこと!?」と楽しめる。
キー・ホイ・クァン演じる元の世界の夫のキャラが自分の夫と少し似ていて、ちょっと泣けた。
まだ見てない人の人生を無駄にしてほしくない為に書く
これを見てあなたの人生の139分を無駄にしてほしくない。
これを面白いと言う人も信じては行けない。
これを面白いと言う人はきっと「私は映画を知ってるよ」と自慢したいだけの無責任な人だから。
もっと他に良い139分の使い方がある。
もっと違う139分を過ごして欲しい。
人生のたった139分ではない。
人生の中の重要な139分を無駄にして欲しくない。
そのくらいの駄作。
全692件中、1~20件目を表示