日日是好日のレビュー・感想・評価
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樹木希林から黒木華へ日本的美意識の継承
多くの映画ファンにとって心の母、心の祖母であった樹木希林。昭和顔で親しまれ高い演技力が内外で評価される黒木華。この二人が茶道を介して対峙する。なんとも贅沢な企画ではないか。茶道の先生から決まりごとと所作を教わる長い年月の中で主人公が人生の大切なことを学ぶという物語だが、撮影現場での演技のやり取りを通じて、樹木から黒木へ、女優としての矜持、いち人間としてのあり方が伝授されたようにも見えた。それはきっと、茶道の根本にある日本的な美意識とも相通じるものだ。
大森立嗣監督は、過去作と照らして考えると、初めて「美」に真正面から取り組んだように感じた。俳優たちの所作はもちろん、茶の道具、和菓子、和服、庭の自然などをとらえた映像もみずみずしく、ため息が出るほど美しい。大森監督の新境地であり、将来のスケールの大きな傑作につながるステップとしても位置付けられそうだ。
ゆっくりとした静かな日常の物語
この作品の起承転結とは永い人生の物語。
同じ場所で同じ仲間が集まっても、同じものなど決してない。
武士道と同じ。「武士道とは死ぬことと覚えたり」
だからこそ、この二度とない今この瞬間を精一杯五感で感じようではないか。
日本のすべての教えのジャンルの中にある考え方であり精神文化であり、奥義。
しかし、いい話を聞いたと思っても、それを実行に移すことができない難しさ。
日常の習慣化された生活や、ルーティーンやタスク管理社会。
忘れてしまうのか、思い出せないのか、とにかく必要な瞬間にそれが出てこないほど、主人公にとって茶道が身に付いていないのだ。
ある日突然割り込んでくる些細な出来事はいつも「次回」に先送られる。
そしておそらく、前触れは必ず起きる。
試されている。私たちは常に「試されている」のだ。
頭の奥で感じる違和感。
気になるが、もうどうしようもない。
そしてそれは的中する。
後悔、慚愧の念。
もう一度出直さなければならない。
主人公のノリコにとって、お茶は人生を考えるためのアイテムだ。
彼女の人生の軸だ。
ノリコはそこまで認識していないが、頭の中がすっきりすることでお茶を続けている。
悩むときにはまたそこに戻ってくることで気分がリフレッシュされるが、さすがに婚約者の浮気と破断から立ち直るには時間がかかった。
しかしやがてまた新しい出会いがあった。
日日是好日
最後にノリコは「毎日がいい日」と心の底からそう思えた。
私はその解釈を「あるがまま」と捉えた。つまり、「何があっても大丈夫」という心構え。
ノリコとの比較でミチコが登場するが、ノリコはミチコと比較してしまうことで自己否定感を覚えるが、人生の長い時間の中でそれは解消されていくのだろう。
物語として、これといった出来事もないまま、この作品は終了するが、最後に24年後となる。
あの犬の茶碗。12年に一度しか使わない茶碗。先生が次回遣うときは100歳。
「次回このお茶碗を使える時、どんな世の中になっているのかしら?」
どうしても思い出さずにはいられない「JIN-仁」の武田鉄矢さんのセリフ「南方先生のいた世界は、太平の世ですか?」
思わずこみ上げるものがある。
そして二度とない今この瞬間を、毎年同じことのように繰り返すことのできる幸せ。
受け継がれていく精神。
少し敷居の高い世界であるかのようなお茶を、入門したての失敗を交えてコミカルに描いている。
茶道は、
ノリコの人生の中心軸。
自分軸。
そこに戻ってくるための手段がお茶。
それがやがて身に付き、どんな出来事があっても「大丈夫」になって行くのだろう。
樹木希林さんの遺作になったことで話題にもなったが、共演者たちは彼女のセリフがそのまま現実化したことに驚愕しただろう。
樹木希林さんとの共演は二度とないだけに、作品への想いも一入だろう。
二度と見ることのない樹木希林さんを偲びながら見させていただいた。
やわらかく優しい良い作品だった。
本筋と違うかもしれないけど
お父さん役の鶴見辰吾さんが、典子ちゃんが立ち直ってお茶のお稽古に出かけるときに、お母さんと、お昼だけどお酒を飲もうといったシーンで、ものすごく涙が出てきました。
時間も適切で、見てよかった映画でした。
典子の若干ふがいない人生
黒木華扮する二十歳の典子は大学生になったが何がやりたいか分からなかった。とにかくお茶を習う事になった。
多部未華子と姉妹役で、お茶の先生に樹木希林。お茶の先生のところにかけてあった額が日日是好日。黒木華のロングヘアは初めて観たんだが、どうしても多部未華子の方が派手に見えたけど清楚な感じでいいね。でもふたりとも初々しかったよ。樹木希林の茶道の先生ぶりが板に付いてたね。ずいぶん茶道の事が分かってきたよ。でも最終的には典子の若干ふがいない人生だったね。
とってもとっても美しい映画
BSプレミアムにて鑑賞。
お茶の世界を通しながら、四季二十四節気の移り変わりを、登場人物たちの日々の暮らしと重ねつつ味わう、とってもとっても美しい映画。
原作は未読なのだが、プロデューサーや大森監督が心からこの原作に惚れ込んで、大切に脚本を書き、映画化したのだろうということがあふれ出ている。
観ているうちに、映画の向こう側に、原作者の森下典子さんそのものの姿が立ち上がってくる感覚を覚えた。
それにしても、黒木華、多部未華子、樹木希林の表情や立ち居振る舞いを観ているだけで、自然と涙が滲んできてしまったのは、自分でも驚いた。
形の美しさが、こんなにもこちらの心を動かしてくるとは…。
この映画で何よりも大切にされているのは、観客の五感が最大限に働くようにすること。特に音を本当に大切にされているところが素晴らしく、自分も記憶を揺さぶられた。
公開時に、タイミングが合わず鑑賞機会を逃していたので、今日こうして出会えたことにも感謝。
これもまた、大切な一期一会。
<追記>
妻が原作を持っていたので、早速読了。
原作も間違いなく素晴らしかったし、今度は、黒木華と多部未華子と樹木希林と…というように、映画の登場人物たちの声と姿が浮かび上がってきた。
森下さんの文は、すうっと心に入り込んでくる。
原作未読の方は、是非。
美しい小さな世界を感じさせる原作の空気そのままだった。映画館でじっ...
美しい小さな世界を感じさせる原作の空気そのままだった。映画館でじっくり音に浸って観てみたかったな。
浜辺で雨に打たれながらありがとうございまーす!だけ意味が分からなかった笑
高砂の尾の上の桜咲きにけり 外山の霞たたずもあらなむ
同じ事の繰り返し。それが良いんだよね。だから、
『ひさかたの光のどけき春の日に
静心なく花の散るらむ』
よりも、
『高砂の尾の上の桜咲きにけり
外山の霞たたずもあらなむ』
の方が合ってるかなぁ。僕には。
建仁寺の桜見たいね。
お茶の事は何も知らないけど、一期一会ッて言葉が良いね。映画で言えばオフビート。
この映画は男目線ではあるが、恋愛もなく仕事の屈強な諸悪もなく、淡々と毎年桜が散ってゆく。
『死ぬまでにこの茶碗何回使うか』と言ったセリフが出てくるが、僕の年になると、
『花の散る季節が毎年一期一会になって、違ったものに感じて来る』ッて、嘘話。そうなりゃ良いなぁって事かなぁ。だって、桜が散ってゆく姿を見て、静心なくなって見たいものだ。と考えている。
だから、『高砂・・』の桜一首が好きかなぁ。
雨水の頃が仕事が一番大変で、啓蟄になると、空気の匂いが変わって思っていた。しかし、長年喫煙者だった影響で、暫くそれが分からなかった。しかし、煙草を止めて、それが戻った時は嬉しかったね。
山のイクイップメントは
池袋の好日山◯へ行く事にしている。もっとも、池袋の西口は昔と今は違い過ぎる。
徒然なるままに色々書いたが結局所作だよね。朝飯作るにも人参の切り方とか所作はあるもの。手際だよ手際。それが良く分かった。
エンドロールで確認 この映画の教室は裏千家なのに、協力は表千家だね。表千家でも、『最後にすするのかなぁ』日本人が外国人から見た時に『マナー悪い』と思われる事でもあるので”郷に入っては郷に従え“で参りましょう。だいたい、器を手で持つのは日本人だけかも。それが当たり前だと思うけど。
日本的美学
樹木希林さんに黒木華さん、さらに多部未華子さん。
日本が誇る演技派女優様たちの演技光る。
決して華やかとは言えない、
だが美しい。
日本はやはり美しい。
そう感じる他ない。
樹木希林さん演じる武田先生、
所々で典子へ鋭い言葉を投げかける。
相手を傷つけるわけではなく、考えさせるために発せられた言葉たちには愛がある。
すぐ分かることと、すぐ分からないこと。
鋭い言葉の中にはすぐ分からない言葉もあるのだろう。
時を経てやっと本質に気付かされる。
きっと私の周りにもすぐ分からないことが隠れている。
「分かるようになる」その日を楽しみに今日も生きていこう。
なんでもない一日が、好い日
日々を大切に生きていっても良い事ばかりの人生が送れる訳じゃない。悪い事も辛い事も、起きた事をただ受け止めて生きていく。五感を使って、感じたままを受け入れる、という事かな。
どちらかというとゼロからプラスになるよりはマイナスをゼロに戻す様な映画だと思った。
『半落ち』を見た時も思ったけど、樹木希林さんの演技はいつも思わず泣いてしまう力がある。凄い俳優さんだ。
女優はいいが
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ふとしたきっかけで従妹の多部と共に茶を習うことになった黒木。
先生の家には日日是好日と書いた掛け軸があった。
やがて紆余曲折を経て24年が経ち、教える側に回ることになる。
その頃に改めて日日是好日の意味を理解する。
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昔よく使ってた表現で言うところの徘徊型映画。
特に目的もないままに時が流れ、何と24年も経ってしまう。
その間にお茶以外のプライベートでも色んなことが起こる。
多部の退職と結婚、高校生の天才現る、恋人との結婚直前での別れ、父の死。
ただどれもサラッと触れられるだけやから、盛り過ぎな感じはした。
全ては黒木が自分を不幸と感じてしまったり自分を責めたりしてしまう出来事で、
でもお茶があったから心が揺れまくる中にも平常心を持て、乗り越えられた。
だから全体を通して禅を学んでるようなところがあって、
どんな時にも今ここを意識するってことで幸福を感じられるという話やったな。
日日是好日は、そうすればどんな日でも好い日と解釈できるという象徴的な言葉。
主人公の黒木は真面目なのに要領が悪過ぎて何をやってもうまく行かない。
そういうのに感情移入できる人からしたら最高の作品なんかもなあ。
ただおれはデキが良過ぎて、そこがちょっと共感できんかったな。
でもそのへんをうまく表現できる黒木はええ女優やなあって思った。
もちろん希林もええ味出してた。見終わった後は妙に清々しかった。
「道」を観てから観るといいかも
「日日是好日」はお茶を通してある女性の人生の起伏を魅せる映画だ。
何の気なしに、母の勧めるままに、お茶を始める二十歳の典子。多分、お母さんにしてみれば「ただ者ではない」武田のおばさんの、佇まいの欠片でも、娘の人生の財産になれば良いな~、みたいな軽い提案だったんじゃないだろうか。
「真面目で不器用な」典子は、従姉妹の美智子と違い、好奇心や積極性で自分の人生をグイグイ切り開いていく様には思えない。
親心から来るさりげないアシストだ。
真面目が功を奏した形で、典子は少しずつお茶の楽しさに目覚め、人生の浮き沈みの傍らにいつもお茶があった。
美味しいお茶と、季節の移ろいと、自然と五感がもたらす感動が、典子の人生の道筋を確かに彩っているのだ。
さらにこれは一つの「世界」を極めようとする映画でもある。
些細なきっかけで始めたことでも、続けていくうちに朧気ながら輪郭が掴めてくる。茶碗、掛け軸、お菓子のしつらえに、一体となった「世界」が見える。
現実の枠を飛び出すような、心に広がる壮大な「世界」を感じる瞬間。その静かな高揚が、典子の表情や仕草から伝わってくる。
作法を意識せずとも所作をこなせるようになっても、亭主の意匠を感じられるようになっても、油断はならない。
間違えたり、雑さが抜けなかったり、精進に終わりはない。長い長い道のりだ。
そしてお茶の精神とは、「一つとして同じお茶はない」ということだ。またご一緒しましょう、の約束が叶わないこともある。
人との出会いも、季節の巡り合わせも、幾筋もの道が折り重なった産物だ。その日は一生に一度しかない日なのである。
ここまで書いて気がついた。
この映画は「道」を見立てたお茶室だったのだな?
フェリーニの「道」、茶道という「道」、そして典子さんの人生という「道」。3つの道が重なりあい、響きあう監督のしつらえだったのか!
フェリーニの映画を掛け軸に、典子さんの淹れてくれたお茶を楽しむ。
是非とも心までポカポカするような、温かいお茶をお供に観賞して欲しい。
結構な御点前でした。
日本人の感性の磨かれ方
樹木希林の遺作となった作品。黒木華と多部未華子がお弟子になって、茶道を指南されるのが微笑ましい。最初に形だけなぞっておいて、後から心を入れるという考え方。これは、日本文化の隅々まで行きわたっていたのではないか。型から入って、十分に習得したら、型を崩してよい。
何年も茶道に親しむことで、少しずつわかってくることがある。「茶道」を習慣にすることで、それが自分の日常に必要なもの、時間になっていく。恋人に裏切られたり、父が亡くなったり。そんな悲しいことがあっても、型を覚えていることで、気づいたり、救われたりすることもある。フェリーニの名作映画「道」を以前に見た時は、まったくわからなかったけれど、その凄さがわかるようになった。「道」は、「茶道」に掛けた言葉だろう。人としての良さは、毎日の積み重ね、習慣に心を入れていくことで培われるのだよって言われているかのよう。
「一期一会」「聴雨」、冬は冬の良さを夏は夏の良さを味わう、その時、その時の瞬間を味わい楽しむ。そんな禅の世界をも表しているように見える。
樹木希林が癌を患い、痛みに耐えながらも、次の映画界を担う若手女優二人に、「茶道」や「日々是好日」の考え方やら女優としての有り方を伝授したのではと考えさせられる作品。
日本の細やかな感性で
とても好きな作品。
配信で2回目の鑑賞。
1度目も好きだった印象はあったが、すっかり忘れていた。
淡々とした毎日でも、季節の移り変わりや、小さな生活の音や目にするもの、ひとつひとつを大切にして生きて行きたいと思える作品。音楽もとても心地よい。
日本人ならではの感性で楽しめる良さだと思う。
海外では、虫の声も雑音に聞こえるらしい。
虫の声を楽しめる世界で生きてることに感謝。
黒木華さんが素晴らしい。
ちょっとした表情や、声のトーン、話し方、全てがこの作品にピッタリだ。多部未華子さんも良かった。
何よりも、樹木希林さんが素晴らしい。
この作品の後すぐに、この世を旅立たれることになったことでさらに、セリフのひとつひとつが心に響く。
最近、マインドフルネスで瞑想をしているが、それと同様、今、この時を精一杯味わうこと。そういうことだ。
お父さんが急に亡くなり、海で「お父さん、ありがとう!」と典子が雨の中で叫ぶシーン、心にグッときて涙が溢れた。私も2年前に父を亡くした。映画とは違って、急ではなかったし、高齢だったので覚悟はできていたけれど、それでも、今も、父にありがとうと伝えている。生きている時も、もっともっとありがとうと言いたかった。
忘れがちな、毎日を大切にすること。
今いる場所で、自分らしく生きること。
そんなことをしみじみと感じることができて、2回目を見てよかった。またいつかリピートしよう。毎日の忙しさに、また大切なことを忘れた頃に…。
すごくいい作品、大満足です
25年間の春夏秋冬を優しくしっとりと描いた秀作
お茶をたてる時のお湯の音
木々を打つ雨の音
柔らかく部屋の中まで照らす陽の光
素敵な器に入った個性的な和菓子の数々
脳を刺激する掛け軸の字や絵とダイナミックな筆圧
温かそうで今にも畳の匂いがしてきそうな綺麗な和室
等々が全編通して五感を気持ち良く刺激してきます
黒木華さんの自然で悩める主人公の好演も良かったですが、やはり本作は樹木希林さんが素晴らしかった
先生だけども「私もいつまで経っても上手にできないのよ」なんてたくさんの生徒の前で言っちゃう所や生徒に作法の意味や必要性を聞かれても「そんなこと聞かれてもねえ、知らないわよ、考えるもんじゃないの、感じなさい」みたいなことを言われます、とにかくすごく自然体で余裕、大きい、大きすぎる
でもって所作が綺麗、静かに流れるような動きは到底 一朝一夕では成し得ない技、苦労と努力を重ねてきた大女優の貫禄を目の当たりにし圧倒されました
掛け軸の解説をしてくれたりするのも良かったし、こういう有意義で幸せな時間を過ごせると本当に心が豊かになるだろうなと思いました
”日々是好日”、毎日毎日 来る日も来る日も同じことを繰り返し過ごせるのは喜ばしいこと、人間それが一番幸せなんだろうな、と樹木希林さん演じる先生が語るくだりが一番グッときました
ジュリーの「土を喰らう12ヶ月」や富司純子さんの「椿の庭」と同系列のしっとりとして五感を刺激してくる名作群の一本です
すぐに分かることと時が経って分かること
頭で考えずに体で覚える。慣れれば勝手に手が動く。五感を使って季節や音を感じる。同じ日は二度とない。
最近樹木希林の言葉に感銘を受けることが多く見てみたかった作品をやっと見た。もうすでに他界されていることが本当に惜しい。
幼少期に少し茶道をやっていたこともあって序盤から入り込んだ。一つ一つの動作が懐かしくこんなことやったなぁと自分の体験に重ねながら見た。
幼い頃はその所作の意味もお道具の種類もわからずただ言われるがままやっていたからお稽古に行くのがつまらなかったが、大人になってふとした自分の仕草にあの時のお手前の意味を感じることが多くあった。流れるような品のある仕草。一つ一つの所作に意味があったことを後から知る。道具も季節によって使うものが多くとてもお稽古で覚えきれなかったがなぜその茶器を使うのか、季節ごとの掛け軸や茶菓子の意味、全てのものに意味があって奥深い世界。貴族の道楽と言えばそれまでだけど、ただただ現代では必要のない手技をわざわざ習う人が絶えず継承されていくのはそういうことなのだろう。
黒木華の成長していく姿、特に自信がついてきてからのお手前中の姿はハッとするほど美しく流れるような所作に吸い込まれるようだった。師範を務めた樹木希林、視聴後知ったが茶道は初めてで稽古をしたことはなく直前に見本を数回見ただけで完璧にコピーして演じたというからすごい。それであの貫禄。名女優と言われ人々を魅了する理由がよくわかる。セリフは少ないが会えば包み込むような雰囲気と笑顔、そして一言一言に重みの意味のある言葉。同じ人が集まっても二度と同じ日はない。【どのような日も自分にとってかけがえのない一日である】という教えという掛け軸の言葉。刺さる。
『私は不器用で機転が効かない。ここにも私の居場所がない』何年も続けているお稽古なのに自分より後輩が自分より出来て自信を無くしたり恋人との結婚が白紙になり人生の真冬期状態の典子の呟き共感した。何もかも上手くいかず誰からも必要とされてないような目の前の道が見えなくなるような不安孤独。そんなシーンも淡々と流れ季節は春に向かう。
作中、父親が倒れるくだりはベタな流れだったが人生そういうものなんだろう。樹木希林と黒木華以外の脇を固める人物の描き方は少々雑だった感は否めない。特に美智子はもう少し何とかならなかったのかという感はある(少々デリカシーにかける点。毎週会っていたのに距離のある感じ)
淡々として盛り上がりはないが私は好きな作品だった。
考える前に、先人の知恵にゆだねる
これは原作がでたときに、
本屋さんで手にとってひきこまれて
その場でほとんど読んでしまい、
その後も心に残っていた本なので、
今回の映画化は
とてもたのしみだった。
形をくりかえして心を入れる。
それは、先生もそうとしか
教えようがないのだと思う。
私は学生時代、能楽を
やっていたけれど、
舞や謡などは理屈抜きに繰り返して
覚えるしかない。
自然に動けるようになってはじめて
自分なりの解釈などを
すこしづつ入れられるようになる。
その頃茶道を習っていて、
能の舞の姿勢や足運びと、
お茶のお運びの姿勢が
よく似てることに感動した。
あるとき、ふっ、と
腑に落ちる瞬間がある。
もちろん、全てではないけど、
典子が掛軸をみて滝をかんじたように、
水や雨の音をききわけたように。
それは不思議な快感だ。
そしてそれは、無心な繰り返しの中で
初めて得られる。
「こんなことしてなんの意味が
あるんだろう」とか、
「何の役に立つんだろう」
という前に
素直に繰り返す姿勢は美しい。
「稽古」とは古いことをなぞることだ。
ひたすら体に覚えこませる。
そうしてはじめて見えてくることがある。
まず形を作って、そこに心を入れる
自分が、自分が、という個性の主張、
自由という言葉に
かえって縛られてやしないか。
我、というのは尖った形だ。
尖ったところをすこしづつ
丸くしていけば動きやすくなり、
色々なものが
見えてくるのかもしれない。
茶室は狭いけれど、
精神を解き放つことができれば、
大いなる宇宙である。
人智を超えた大きな営みの流れに、
自分を合わせることができるのかも
しれない。
心静か、ということは
なんと幸せなことか。
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