ソイレント・グリーンのレビュー・感想・評価
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50年前に50年後を想像してみました。
映画『ソイレント・グリーン』50年前のアメリカ映画で、50年後の未来を想像して作られた作品。なにが当たっていて、なにがはずれているか、確かめながら見るのも面白い。でもそこにあるのは、夢とか希望とか持てない時代となおかつ生きてゆこうとする人間
15歳の時だった父と名画座で
封切りが、1973年。
東京は、有楽町の日比谷映画。
あの頃は、シネコンなるものもなく。
いわゆる単館。
日比谷の映画街には、ほかに有楽座、みゆき座、スカラ座があった。
複合ビルにはいっていたのは、スカラ座ぐらいで。
あとは、その映画館だけのたてもの。
まわりに、そんなに高いビルもなく。
いまだと、土地の有効活用とかなんとか言って、すぐ高層ビルを建てたがる。
そして、街から表情がなくなる。
どこにいっても同じような町並み。
日比谷映画は、有楽座と並んで建っていて、筒状の建物だった。
私は、ここで『007/死ぬのは奴らだ』を見た記憶がある。
1973年だったと、『ソイレント・グリーン』はその後だったか、前だったか。
友人が、一人で見に行って、隣のおじさんに膝をさわられて逃げたとか。
そんな、話をしていた記憶がある。
感受性の強い時期だったし、余計なことばかり記憶している。
実際私が、『ソイレント・グリーン』を観たのは、一年後の新宿の名画座で、父と観た。
いまは名画座なんてほとんど死滅していて。
東京に数件あるのみ。
50年たって再度鑑賞して
だいたい記憶どおりだった。
あの頃は、50年後の自分なんて想像もできなかったし。
映画の時代背景は2020年のアメリカ。
映画も50年後を想定したわけで。
当たっていることもあり、そうでないこともあり。
地球温暖化で、気温が夜でも30度あって。
食糧不足で、配給でスナックみたいなものが配られて。
ただ、当時は予想だにできなかったのが、インターネットの普及かな。
劇的に私達の生活変えたよね。
人々は、一日中暇があれば、スマホを覗き込み。
あらゆる情報の洪水。
こればかりは、『ソイレント・グリーン』は、予想できなかったのでしょうね。
私達は、幸せになったのかな。
まあ、ソイレント・グリーンのような、切羽詰まった状況でないのは良かったんだけど。
デジタルの時代が、人を幸福にしたかは疑問。
個人とデジタル社会との関わり方次第なんですが。
しかし、『ソイレント・グリーン』が仮想の2020年だとしても。
興味深いよね。
老人が、将来に希望を持てなくて、安楽死を選択できたり。
配給された「ソイレント・グリーン」なるものを食べても、人生をまっとうしようとしたり。
色々考えさせられますよね。
『猿の惑星』の続編だったか、チャールトン・ヘストンが、着陸した惑星が、実は地球だったというラスト。
海から突き出た自由の女神像を発見したときの絶望感。
そう、あれに近い絶望感がこの映画に漂っているかな。
と当時中学生の私は感じた。
五十年たって再度観てみると。
絶望感というより、まあありえるだろうなと。
六十歳を超えた今、かつてのように消費が美徳、イケイケなんて風潮ではないし。
もちろん私だって、若くない。
消費欲求はあって当然だし、若ければなおさら。
ただ、人生の価値をどこに置くかで、生きやすさはだいぶ違うはず。
ただ、生活してゆくことは、そんなこと考える暇もないのも確か。
でもね、少しは気持ちの余裕がほしいよね。
でないと『ソイレント・グリーン』が現実になるかも。
PLAN75とこの映画、悪行を働くのは民間だ。民間は司法の裁きだけで済むが 国では立法で廃案、その後、司法の裁き。どちらの話も、立法が省かれた独裁国家と言える。それを知られたくない。PLAN75は特に
高校の頃は映画ばかり見ていた。千葉の田舎から銀座、上野へ、毎週の様に見に行った。
さて、この映画は、その頃、封切りで見た映画。飛び抜けて面白い訳では無かった。
さてさて、この映画が、2022年の出来事時だとは知らなかった。また、出鱈目な話だが、あの『plan75』よりはしっかり出来ていると思う。HGウェルズは『タイムマシン』で見事にディストピアを描いたが、この映画はそれをリスペクトしていると思う。この類の話は全て『タイムマシン』が元祖だと思う。『猿の惑星』とか『カッシアの物語』とか。だから、出鱈目な話は、遠き未来に置くべきだ。2022年を迎えた今『ソイレントグリーン』は出鱈目な話だと露見してしまった。もう一つ。『アキラ』も同類だが、話の中の出来事が、直近起きるかもしれない大惨事をペシミズムすると、『アキラ』の中の社会は、現代世界の現状の誇張と感じた。
しかし、あのPLAN75は、今起きている社会問題を、ありえない話として描いてしまっている。つまり、重い現実の問題を、架空の話の中で、しかも、解決方法のない話として描いている。芸術であっても、解決しなければならない話を主題に置くならば、解決方法を盛り込まない限り、シャッターを押しただけの写真になってしまう。しかも、悪い方向ヘ歪められた、醜く映るフィルターを使っているとなれば『PLAN75』の監督は全く才能がないと断言できる。監督をやった事のある、あの芸人のレベル以下だと断言する。
ソイレントグリーンの監督はこの映画を撮った時、背景にはベトナム戦争の混迷があったと思う。『タイムマシン』の描くディストピアな世界が、ベトナム戦争の先にある。と言いたかったと考える。だが、あまりにも『タイムマシン』を意識している。また、あくまでも商業映画だ。『マンディンゴ』みたいな映画も作るけど、彼は商業映画の監督として自覚はあったと思われる。黒沢監督の代役で撮った映画が『トラ・トラ・トラ』それだ。
2022年のニューヨーク
マンハッタンだけでも失業者が2千万人。電力供給もなく自転車で自家発電する生活。金持ちも家具は豪華に取り揃えてるが、食料品だけは万人にとって貴重なもの。ちなみに“家具”というのは囲ってる女性をも意味している。暴動も毎日のように起こっていた。金持ちは殺されやすいが、葬式なんてものはく、死んでしまったら死体焼却所へ直行。
刑事ソーンは殺人現場に赴き、“収穫物”をこっそり頂戴している生活だったが、殺されたサイモンソンがソイレント社の重役だったことを突きとめる。強盗によって殺されたのなら調書だけで済ませてしまう警察だったが、暗殺の匂いがあると直感したソーンは一人で捜査しはじめた。故人の囲ってた愛人とも寝てしまうスケベなソーン。しかし正義感が強い。上からの命令で終結させる書類にも署名しなかった。
巨大会社ソイレントの内情を知ってしまった男のサスペンスが主軸となるが、それよりも安楽死施設“ホーム”が印象的だ。好きな色、好きな音楽を選んで、今では失われてしまった大自然の映像を見ながら眠りにつくという施設。ソーンと暮す老人ソルは神を信じないが、ホームにこそ神が存在すると考えていたほどだ。暴動鎮圧のためのブルトーザーのシーンも空恐ろしくなってしまうほど。人間をゴミのように扱う現場を見れば、現実の未来をも危惧してしまう。
貴重な食料である“ソイレント・グリーン”。農場は全て独占している企業だけに何でも作れるのだろうけど、原材料は一体何なのだ?!
ホームでかかる曲が「田園」。音楽の印象とグリーン・フィルターの映像。ストーリーはパッとしないが、設定のインパクトで勝負の映画。
いつかは起こるかも・・・
タイトルの響きとパッケージで興味を持って観ました! 政府が配給する食品の原料はまさか人間! 人口増加で人間だけはあり余ってますもんね・・・実際にはまずは世界中の動物たちが食料にされてしまって、その後でどうなるかですね、その頃には政府なんか機能もしていなくて、富裕層なんかいないかもしれませんね、そうなれば人間を食べるようになるのは時間の問題かも、文明社会が崩壊したら何でもありの世界になっちゃうでしょうし・・・
よかった
ちょっと前にラジオでこの映画のネタバレをしていて、分かっていても面白さはそこだけではないだろうと思っていたら、思いっきりそのネタをぐいぐい押している。この映画を見たつもりになっていたのだけど、『禁じられた惑星』とごっちゃになって記憶していて、見たのは初めてだった。 2022年の未来のディストピアで、物語はミステリーとして構成されていて面白い。人が、本や家具の役割で、奴隷のような身分制度がある。美女の家具がうらやましい。
現実的な作品
前半は大手企業の幹部殺害の真相を追求するサスペンス・刑事ものという見方もできるけれど、「人口爆発」「食料不足」「貧富の格差」こういう難題がちらついて見える・・・
食料自給率の低下、貯蓄二千万円発現、高齢化社会・・・日本でもこういう問題が挙がっているから本作の最期は現実社会でも起こるんじゃないかと考えさせられた。
こんなに人が余っているならば食料の生産をさせればいいのに
総合:40点 ( ストーリー:40点|キャスト:65点|演出:50点|ビジュアル:65点|音楽:60点 )
設定が無理がありすぎで駄目なうえに、説明不足で分かり辛い。
食べ物には色別の種類があって不足している。それなのにたくさんの人間が都市部に過密集中していて、食料の生産もしないし生産できる農村地帯に脱出もしない。
それでいて通りには飢死・病死した死体が溢れているわけでもなく、暴動も起きていない。我が子が飢死しそうならば何をしてでも食料を手に入れようとするのが人間だが、警官として普通に生活している主人公は捜査先の物を盗むのに、彼の住む建物の階段に住む浮浪者達は強盗1つしようとしない。むしろ失業者ばかりといえどもみんなそれなりに健康そうに見えてしまう。犯罪や不正しかないはずの世界が、我慢強い人々を選りすぐったかのようにみんな大人しく体制に従う。
そんな世界観には白々しさしか感じない。これではむしろ日常的に盗難・強盗が起きる現在の食糧危機の起きていない現実のアメリカのほうが余程犯罪者で満ちている。これはこんな世界なんだ、未来はこうなるかもしれないんだという興味は少しはそそるものの、演出も迫力が無いし、これでは本当に人々が困窮しているという生々しさが伝わらない。
それに作品に登場する家具・道具・部屋の作りといったものが若い女が付く以外はいかにも作品が制作された70年代のものそのままで、この作品なりに予想した2022年の未来というものがない。
そして物語の衝撃的なはずの結末だが、人口爆発で食料が無い割には穀物などの普通の食品の配給がなくわざわざ生産に手のかかる加工食品の配給ばかりになっているし、食料生産の秘密に関しては作品のかなり早い時期から予想がついてしまって全く意外性がなかった。この程度の結末のためにこんな状況設定でこんな演出でこんな映像しかないのかとがっかり。
倫理的問題をはらんだ映画
印象の「難しい」を選択したのは、食料問題の抜本的な解決法が現在でも模索中ということと、死にゆく人間を食材の一つになっている世界を倫理的にどう受け止めるか、ということを考えさせられたからである。
殆ど食べる物が無くなった地球上で、もう生きるのは十分だと思った人間たちの肉を、生きる者たちに提供するというのは、合理的なのかもしれない。
しかし、今はまだ自死を希望する者の肉だけで賄ってはいるが、ゆくゆく供給する肉が無くなってきたら、政府が行き着く先は人間の家畜化であり、待ち受けているのは人間を食べるものと食べないものにわかれる、酷いカースト制のある世界である。
主人公の危惧していた通りに。
そんな世界に生きていて、人間は果たして幸せといえるのか。
絶滅してもいいのではないかとさえ思えてしまう。
汚染されていて不毛だと言われても、都会を捨て、どこか別の場所に一縷の望みをつないで、前向きな気持ちを持ったままくたばる方がまだマシだと思う。
一際印象に残ったのは、美人女性が「家具」として、高級マンションのオプションになっていること、老人ホームのような場所が美しい光景を見ながら死んでいく施設であることなど。ディストピア映画はたくさんあるが、古い映画ながらも近未来の閉塞感を上手く表現している。
関係ないが、チャールトン・ヘストンは笑顔が下手な俳優だなと思った。苦みばしった顔が、この映画の作風にぴったりだった。
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