劇場公開日 2002年2月2日

「芸術における精神活動は、ギリギリの精神崩壊と裏腹なのだ。」ピアニスト きりんさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0芸術における精神活動は、ギリギリの精神崩壊と裏腹なのだ。

2023年9月4日
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鑑賞方法:DVD/BD

ふるい落とす。ふるい落とす。そして徹底的にふるい落とす。

欠点を探し、弱さをあげつらい、決して人を認めたり褒めたりすることなどしない、それがピアノ教師イザベル・ユペール (エリカ) だ。

自分をふるい落とし、他者をもふるい落とす。
彼女は、自らの不安と、いずれ訪れるだろう”精神の破滅“よりも先んじて、自分で自分を傷害し、始末をしようとする。
その墜ちる猛スピードの様が痛い。

父親は精神の療養施設におり、
毒親の母は娘に寄生して依存。この母親が凶暴なステージママとして娘を支配し続ける。

リストカットならぬワギナカットでメンスを装い、干渉する母親との間合いを創出。
自身の性欲への抑圧も刑罰も、バスルームで加えられる自傷シーンがいたたまれない。
一瞬の正気にしがみつき、発狂ラインに接近する「精神のたそがれ」というユペールの表現が耳に残る。
自らの将来の発病を予感して生きる、そんな子供たちの、現実の恐怖感が残響のように耳に残るのだ。

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「作曲家シューマンの精神の病」についての研究は
アドルノも、そして精神科医にして指揮者でもあるジョゼッペ・シノーポリもやっている。
シノーポリなどは交響曲2番のスコア譜からシューマンの異常が見いだせる部分をマークし、修正せずに、却って誇張してタクトを振る実演をしているほどだ。

ところが溢れ出す。溢れ出す。溢れ出す。
好青年ワルターとの衝撃的な出会いで、エリカの感情とホルモンが溢れ出し、彼女の横顔を変える。化粧が、髪が、ブラウスが美貌へと変わる。

萎える、萎える、萎える。
これでは男は駄目だろう(笑)
ハッタリを噛ませて年上の彼女に猛烈にちょっかいを出していた若者ブノアの姿が最高に可笑しくて、その「手紙事件」への戸惑いがまた滑稽で、あれは何度も声を出して笑った。

見込み通りだ。ブノワ・マジメル。
若い頃から本当にいい役者だ。こんなに豊かに表情のバリエーションを持ち、自由にそれを繰り出せる役者も そうはいない。
「王は踊る」、
「愛する人に伝える言葉」、そして本作
「ピアニスト」。
ブノワ・マジメル集中鑑賞月間の
望外の収穫でした。

線の細いイケメン俳優としては、ギャスパー・ウリエルを失ったことの喪失の大きさを改めて思い出してしまうけれど、残されたマジメルの存在の貴重さをも感じた。

そして、なんとここまで“境界線”を演じ得るイザベル・ユペールの、彼女が一級だと言われる所以が、この昔の作品を観ることで 僕は初めて分かった。

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余計なBGMが使われずに鍵盤と手が映る撮影。
バッハ、シューマン、シューベルトと、たくさんのレッスンシーンが見られて満足だ。
音大のピアノ専攻の学生たちも、指導する教師たちも、この表題=「ピアニスト」に誘われて多くがこの映画を観るに違いないが、恐怖に侵されずにピアノを楽しんでもらいたいものだ。

下痢をするほど緊張しいの生徒アンナと、干渉(応援)するそのお母さんの関係を見れば、これは主人公エリカと母親だけの特殊なストーリーではない。
みんなにも心当たりのある、どこにでもある 家族と音大生の物語なのだ。

親子、音楽、
それらへの愛と憎。愛憎。
自分の中の表と裏。表裏。
対外的なフォーマルな顔と、個室に戻って内鍵をかけた時の私たちの顔。
そこ、えぐり出す監督の露悪趣味と、けれどもそんな人間たちへの限りないいたわりと優しさ。
その二つの面が切々と迫る秀作だった。
だってハネケ監督は、エリカと、エリカの破れを決して切り捨てず、こんなにも彼女の全てを包みこんで、優しく撮ってやったではないか。

ヤバいヤバいヤバい・・
サスペンスの終幕になだれ込んでゆくけれど。

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追記2024.1.28.
ブノワ・マジメル「ポトフ」鑑賞。

きりん