水平線

劇場公開日:

解説

「ロストパラダイス・イン・トーキョー」などの俳優・小林且弥が長編初メガホンをとり、「凶悪」で共演したピエール瀧を主演に迎えたヒューマンドラマ。福島県のとある港町を舞台に、大切な人ときちんとお別れできないまま立ち止まってしまった父娘の複雑な心情を描く。

震災で妻を亡くした井口真吾は、個人で散骨業を営みながら、水産加工場で働く娘・奈生と2人で暮らしている。高齢者や生活困窮者を相手に散骨を請け負う彼のもとに、かつて世間を震撼させた通り魔殺人事件の犯人の遺骨が持ち込まれる。苦しい選択を迫られた真吾は、ある決断を下す。

心に深い傷を抱える主人公・真吾を瀧が演じ、真吾の娘・奈生を「青葉家のテーブル」の栗林藍希が好演。「夜を走る」の足立智充、「ピンカートンに会いにいく」の内田慈、特撮ドラマ「仮面ライダージオウ」の押田岳、「MONDAYS このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない」の円井わんが共演。

2023年製作/119分/G/日本
配給:マジックアワー
劇場公開日:2024年3月1日

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(C)2023 STUDIO NAYURA

映画レビュー

4.5MiniTheaterで本作品を鑑賞しました。

2024年6月2日
PCから投稿

映画「水平線」を鑑賞する為、シネマ・チュプキ・タバタに行きました。こちらは、MOVIE WALKERの記事  南沙良、ミニシアターを巡るの中で取り上げられ障がいの有無にかかわらず、誰でも映画を鑑賞できるユニバーサルシアターとして知られています。映写室程度の規模だから出来るのかも知れませんが視覚や聴覚の不自由の方、車椅子の方、幼児をお連れの方が過ごしやすい様に配慮が為された設計が施されていて自分が訪れた時は介助犬を伴っている方を見かけました。国内でこの形態を執っている映画館は当館だけです。邦画の字幕は珍しいですが慣れると苦に感じません。むしろ途中から追いかけていました。鑑賞後、 とくに何かをするわけではありませんが暫く留まっていました。共に過ごす事で気付きを得るかも知れません。障がいの原因は、本人ではなく社会環境にあるという考えに接すると自分の思慮の無さを痛切に感じます。 本編は再生が主題かも知れませんがいろいろと考えさせられるものでした。大人向け?の映画ですね。割り切れない事があるのが人生なのでしょう。ピエール瀧さんの哀愁のある感じが涙を誘います。

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蒙古担々麺 大盛

4.5福島の港町、散骨業の男性とその娘、ご近所の人々の模様。 散骨業を営...

2024年5月27日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

知的

福島の港町、散骨業の男性とその娘、ご近所の人々の模様。
散骨業を営みつつ、奥様は震災後行方不明のままで。

周囲の漁師さんには、海の風評を危惧されたり、
東京のジャーナリストが町に入り込んで、被災者を代弁するとか言い出したり (←あえて横柄さが見えるように演じている様子)

人々の模様が、さらに厄介に。

ときおり映る街並みが、以前はもっと海沿いだったような記憶もあって。
震災後、街や線路ごと、すこし内陸に移設されたことを思い出したり。

風化させたくない想い、
さっさとと風化させたい思い、
各人がそれぞれに思っていること、痛切に伝わってきました。

おいら自身は被災していないですし、代弁もできませんが。
親族や友人は、結構な目に遭ったと、聞いていて
彼らはどんな思いだろうかと、想いたくなります。

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woodstock

3.5風化させない、とはどういうことか。

2024年5月15日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

小林且弥監督とピエール瀧がこの映画を語ったインタビューを少し前に読んだことがあって。楽しみにしていたんだけどわが町ではなかなか上映されずやっと観ることができた。
インタビューのなかでどちらかが「被災者の声を直接聞かなきゃと張り切って福島のロケ地に行ったんだけどごく普通の日常が流れていた」って話していてそれは当たり前のことなんだけどこの映画の本質はそのへんにあるのではと思った。
映画の最初の方、父と娘の生活が淡々と描かれる。この父娘は人は良いのだけど不器用で互いにコミュニケーションを取るのがあまり上手くない。それだけに震災で行方不明になっている妻であり母である人の存在の大きさが、2人の悲しみの深さもチラチラとみえてくる。(余談ながら、真吾がスナックで大酒飲んで深更帰宅し台所で娘の作ったおかず、恐らくは魚の煮付け、をチョイチョイつまむところ、新人監督ながら日本の映画監督はこういうところやはり上手いですね)
ところが、彼らの静かな生活というか、穏やかな歩みは、無差別殺人の死刑犯の散骨を真吾が引き受けたことにより一変する。これがこの映画の脚本の最大の瑕疵であって、ジャーナリストと称する江田という男の主張は無茶苦茶である。死刑犯に人並みの葬式を出すことには被害者家族は抵抗を示すかもしれないが物理的な遺骨処理にあれほど口を出すとは思えず、まして福島沖への散骨が震災被害者への冒涜であるとの主張は明らかに詭弁であって、ちょっとありえない話になってしまっている。
ただ江田が最後に述べた「震災の風化を避けるために被災者を代弁して主張している」という発言の意味は重い。被災者たちの悲しみや苦しみは10年や20年では薄まらない。表面上は普通に暮らし、新たな歩み、前進をしているようにみえても映画の真吾と奈生のように心の底にマグマのように思いは秘められているのである。風化するのはジャーナリズムの質や量、しいては当事者以外の人間の関心の高さのほうである。さらに風化させないといいながら被災者はこうあるべきであるという決めつけ、勝手なイメージを被災者に押し付けていないか。(そしてイメージと違う場合は風化が始まったと嘆いてみせる)
いろいろ考えさせられる作品であった。ピエール瀧、さすがの好演である。あの細やかな感情が分厚く肉を被っているような感じ、彼にしか出せないところがありますね。

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あんちゃん

4.0職務遂行!

2024年4月28日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

震災によって様々な環境に置かれた人々。
出会いと別れを心の奥底から問いかける様な雰囲気で包まれました。
人間の尊厳を妻への思い、更には依頼された訳ありの散骨を戸惑いながら罷り通した勇気に共感を持てました。

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倭