宮崎清隆 : ウィキペディア(Wikipedia)

宮崎清隆(みやざき きよたか、1918年 - 2001年5月25日)は、日本の小説家、陸軍軍人。最終階級は陸軍憲兵曹長。

経歴

新潟県刈羽郡田尻村(現・柏崎市)生まれ。日本大学法学部、経済学部卒。柔道四段、剣道三段。日中戦争では陸軍憲兵曹長として、大陸で転戦し多くの戦傷を負う。戦後は戦争犯罪人として指名され「東洋の魔王」と呼ばれるが連合軍の追跡を逃れ中国を脱出し、6ヵ月の逃避行を行った。1951年日本独立に際し追及を解かれ、後にその体験などを著作としベストセラーとなった。鉄道弘済会本部会長室秘書課勤務『憲兵』東京ライフ社の奥付著者略歴鉄道弘済会にいた時に下山事件が起きた。事件前日の1949年7月4日午前、「近いうちに吉田(吉田茂首相?)か、下山のどちらかを殺してやる」という匿名電話を受けるも、夫人の実家から電報で直ぐ来るように言われ、その夜福島に向かい、10日に帰京。後に取り調べを受ける。(平正一 著『生体れき断』毎日学生出版社。69、76ページ)。

また、三島由紀夫に惚れられて、15万円のスーツをプレゼントされることや唯一の弟子とも見られていたアサヒ芸能「スクープ大事件史」Vol.7(2)“文豪”三島由紀夫がぞっこん惚れた男2018年6月7日 閲覧。2001年5月25日、腸閉塞のため死去宮崎清隆氏死去/作家 四国新聞 2001年6月3日。82歳没。

著書

  • 『憲兵』富士書房 1952 東京ライフ社、1955
  • 『続・憲兵』富士書房 1952
  • 『軍法会議』富士書房 1953
  • 『黒い声』東京ライフ社 東京選書 1955
  • 『青春監獄 初年兵日記』東京ライフ社 東京選書 1955
  • 『青春地獄 大陸・万年一等兵』東京ライフ社 東京選書 1955
  • 『0番線から降りた女 第1部 (東京の罠)』東京ライフ社 東京選書 1956
  • 『明日なき日月』東京ライフ社 東京選書 1956
  • 『あれから10年』東京ライフ社 東京選書 1956
  • 『野戦看護婦』東京ライフ社 東京選書 1956
  • 『十代の顔役 「暴力教室」日本版』東京ライフ社 東京選書 1957
  • 『0番線から降りた女 第2部 (東京無情)』東京ライフ社 東京選書 1958
  • 『支那派遣軍かく戦えり 北支電撃作戦の巻』大光社 サン・ブックス 1966
  • 『鎖と女と兵 初年兵時代』宮川書房 ミヤカワ・モルフォブックス 1967
  • 『憲兵・軍法会議』宮川書房 ミヤカワ・モルフォブックス 1967

出典

関連項目

  • 小坂慶助 - 宮崎と同じく元憲兵であり、戦後は小説家となった人物。

外部リンク

  • - 宮崎の家が改装されたカフェ

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/07/20 17:27 UTC (変更履歴
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