マックス・ビアッジ : ウィキペディア(Wikipedia)

マッシミリアーノ・"マックス"・ビアッジMassimiliano "Max" Biaggi、1971年6月26日 - ) は、イタリア・ローマ出身の元オートバイレーサー。

ロードレース世界選手権250ccクラスではからまで4年連続でチャンピオンを獲得、最高峰500ccクラス・MotoGPクラスでは年間ランキング2位を3度記録した。からはスーパーバイク世界選手権に活動の場を移し、には同選手権でイタリア人初となるチャンピオンに輝くhttp://www.worldsbk.com/en/news/latest-news/4444-max-the-first-italian-wsbk-champ.html。 2012年には同選手権で2度目の世界チャンピオンを獲得し、その後に引退を表明した。

ニックネームは「イル・コルサーロ(海賊)」、「ローマ皇帝」など。

経歴

125cc

ローマ生まれのビアッジは幼少からサッカー好きで、地元のASローマサポーターとして育ち、プレイすることを夢見ていたhttp://www.motogp.com/en/riders/Max+Biaggi。しかし1989年、17歳の誕生日プレゼントにオートバイを与えられるとレース参戦を始め、翌1990年には125ccのイタリアスポーツプロダクション選手権のチャンピオンとなった。

250cc

、ビアッジは250ccクラスにステップアップしてアプリリア・RSV250を駆り、ヨーロッパ選手権のチャンピオンとなった。またシーズン後半にはロードレース世界選手権250ccクラスに4戦スポット参戦し、2レースで入賞してシリーズランキング27位を記録した。

翌シーズンには、テルコール・バレージ・アプリリアチームからピエールフランチェスコ・キリのチームメイトとしてロードレース世界選手権250ccクラスにフル参戦デビューを果たした。最終戦南アフリカGPで初優勝を果たし、シリーズ5位を記録した。

にはアーヴ・カネモト率いるロスマンズ・カネモト・ホンダチームに移籍し、青木宣篤のチームメイトとしてホンダ・NSR250を駆った。ビアッジは第8戦ヨーロッパGPで1勝を挙げ、シリーズ4位に成績を伸ばした。

より、ビアッジはアプリリアのワークス・チームであるチェスターフィールド・アプリリアチームに移籍。原田哲也、岡田忠之、ロリス・カピロッシ、ラルフ・ウォルドマンらライバルに競り勝ち、までの3年連続でチャンピオンに輝いた。

はカネモト・ホンダチームに復帰。この年もビアッジはウォルドマン・原田との激しいチャンピオン争いを制しクラス4連覇を達成、アプリリアだけではなくホンダでもその強さを見せつけた。

500cc

そして、マールボロ・カネモト・ホンダチームからNSR500を駆って最高峰500ccクラスにデビューを果たしたビアッジは、開幕戦日本GPでいきなりポール・トゥ・ウィンを遂げた。同クラスデビューウィンはのヤーノ・サーリネン以来の快挙となった。その後第10戦チェコGPで2勝目を挙げ、年間ランキングではこの年5連覇を達成したミック・ドゥーハンに次ぐ2位でルーキーイヤーを終えた。

からはヤマハ・ワークスに移籍、YZR500にマシンを乗り換えた。1999年は年間1勝でシリーズ4位、は2勝でシリーズ3位を記録した。そして500ccクラスの最終年度となったには3勝を挙げ、ナストロ・アズーロ・ホンダチームのバレンティーノ・ロッシに次ぐシリーズ2位となった。

MotoGP

、最高峰クラスは4ストローク990ccマシン主体のMotoGPクラスに改編となった。ビアッジは新たに開発されたYZR-M1を駆り、第10戦チェコGP、第14戦マレーシアGPとシーズン2勝、2年連続でロッシに次ぐシリーズ2位を記録した。

4年間在籍したヤマハワークスを去り、にはホンダのサテライトチームであるキャメル・ホンダ・ポンスチームに移籍。ロッシと同じRC211Vを手に入れたビアッジだったが、ロッシとセテ・ジベルナウによるチャンピオン争いには加われず、2勝でシリーズ3位に終わった。

翌はロッシがヤマハに移籍したが、ビアッジは第11戦ポルトガルGP、第12戦日本GPと2戦連続リタイヤを喫したことでチャンピオン争いから脱落し、この年もロッシ、ジベルナウに続くシリーズ3位(シーズン1勝)に終わった。

にはワークスのレプソル・ホンダに移籍、ニッキー・ヘイデンのチームメイトを務めることになった。テクニカルディレクターにはかつての盟友アーヴ・カネモトが就く体制となり、ビアッジは有力なチャンピオン候補に挙げられた。しかし結局この年は1勝も挙げることは叶わず、表彰台もわずか4回の獲得に留まってシリーズランキング5位に沈んだ。

翌シーズンに向けて、ワークスホンダのシートはルーキーのダニ・ペドロサに奪われたため、ビアッジはスポンサーのキャメルを後ろ盾にホンダサテライト、カワサキ、スズキと交渉をおこなった。さらに2006年1月にはミッドランドF1のテスト走行をおこなったhttp://www.crash.net/f1/news/54513/1/biaggi_to_test_with_midland.htmlが、結局どのチームとも合意には至らず、1年間の休養を選択することとなった。

グランプリにフル参戦した13シーズンで、ビアッジは201戦連続出場を果たしたhttp://www.motogp.com/ja/node/488485。これはバレンティーノ・ロッシがからにかけて達成した230戦に次ぐ歴代2位の記録であるhttp://www.motogp.com/ja/news/2010/rossi+under+knife+this+saturday。

スーパーバイク世界選手権

シーズンに向けて、ビアッジはスーパーバイク世界選手権(SBK)におけるスズキのワークス・チームであるコロナ・アルスターと交渉をおこなったが、既にライダーとして決定しているトロイ・コーサー(チャンピオン)、加賀山就臣の2人と同スペックの3台目のマシンを用意することが保証されなかったため、契約は見送られていた。そしてその1年後、ビアッジはコーサーと入れ替わる形でアルスター入りし、GSX-R1000を駆ってシーズンを戦うこととなった。

ビアッジは開幕戦ロサイルのレース1でいきなり勝利を遂げた。SBKデビューウィンは史上5人目、GP500ccクラスとSBKの両方でデビューウィンを果たしたのは史上初のこととなった。その後第9戦ブルノで2勝目、第12戦バレルンガで3勝目を挙げ、ビアッジはジェームス・トスランド(ホンダ)、芳賀紀行(ヤマハ)に次ぐシリーズランキング3位でルーキーイヤーを終えた。

このシーズンの終わり、アルスターはメインスポンサーのコロナを失い、高給のビアッジを手放さざるを得なくなってしまった。シーズン、ビアッジはグレシーニ・レーシングと交渉し、契約間近というところまでになったが、HRCが横やりを入れて、破談にさせたことで、ステリルガルダ・ゴーイレブンチームに移籍し、プライベーター仕様のドゥカティ・1098RSを駆ることとなった。勝利を挙げることは出来なかったものの7度表彰台に立ち、チームメイトのルーベン・チャウスとワークスドゥカティのミッシェル・ファブリツィオを上回る年間ランキング7位を記録した。

は、8年ぶりに選手権に復帰したアプリリア・ワークスに移籍した。これはビアッジにとって250cc時代以来13年ぶりのアプリリア復帰となった。チームメイトはMotoGPから移ってきた中野真矢が務めた。ビアッジは第2戦ロサイルでレース1・2とも表彰台(3位)に立ち、第10戦ブルノではアプリリアにSBK復帰後初優勝をもたらした。この年のシリーズランキングでは4位を記録した。

もチームに残留、ルーキーのレオン・キャミアをチームメイトに、メインスポンサーにアリタリアが就いたニューカラーのRSV4を駆ることとなった。第2戦ポルティマオ、第5戦地元モンツァとレース1・2ダブルウィンを遂げてポイントリーダーのレオン・ハスラムを猛追。3度目のダブルウィンとなった第7戦ソルトレークを終えて、ハスラムを逆転しランキングトップに立ったBiaggi savours ‘perfect result’ on home soil。その後も第8戦ミサノで4度目のダブルウィンを遂げるなどチャンピオンシップをリードし続け、第12戦イモラでタイトルが確定。ビアッジはイタリア人初のスーパーバイク世界チャンピオンに輝いた。またこれはアプリリアにとっても初のSBK制覇となった。

2010年10月、ビアッジはアプリリアと2シーズンの契約更改をおこないスーパーバイク世界選手権に継続参戦http://www.crash.net/world+superbikes/news/164381/1/biaggi_aprilia_together_for_2011_and_2し、は途中欠場もありシーズン3位に終わったが、はトム・サイクスと最終戦レース2まで熾烈なポイント争いを繰り広げ、わずか0.5ポイント差で最高齢記録となる2度目のSBK制覇を果たし、その直後に引退を発表した。

人物

気難しい性格の持ち主であるビアッジは報道陣、チームスタッフや他のライダーたちと軋轢を生むことが多く、「ローマ皇帝」、「マッドマックス」等と称される。他ライダーとの関係の中では同国人のバレンティーノ・ロッシとの対立が最も有名であり、2003年公開のMotoGPドキュメンタリー映画「ファスター」でもビアッジ vs ロッシの構図が大きく取り上げられている。

、ビアッジはスーパーモデルのナオミ・キャンベルと付き合っているのではという噂が流れた。これをロッシがからかって、その後のレースで勝利した後に「クラウディア・シファー」と書かれた金髪のダッチワイフを背負ってウィニングランをおこなってみせたhttp://www.timesonline.co.uk/tol/sport/more_sport/article6726964.ece。

の開幕戦鈴鹿では、ホームストレートでビアッジがロッシを肘で押し出してコースアウトさせた。その後ロッシはビアッジをオーバーテイクすることに成功し、ビアッジに向けて中指を突き立ててみせた。第3戦ヘレスの決勝後には、ロッシがビアッジの顔を殴る騒動が起きたhttp://www.telegraph.co.uk/sport/motorsport/3007518/Motorcycling-I-saw-Rossi-hit-Biaggi-says-witness.html。この様子は「ファスター」にも音声が収録されている。 第6戦のカタルーニャではロッシに次ぐ2位となり、表彰台の上で口論を繰り広げた。

2006年1月、ビアッジは上述のとおりミッドランドF1のテストを行ったが、その翌月にはロッシもフェラーリF1のテストを行った。両者ともウェットコンディションの中の走行となったが、ロッシがスピンを喫した一方、ビアッジは問題なくテストをこなした。ビアッジは「今回は自分が勝った」「ロッシにスピンしない方法を教えてやれる」等とプレスに語ったhttp://www.timesofmalta.com/articles/view/20060202/sport/rossi-shines-in-f1-test-with-ferrari。

ビアッジは2002年のミス・イタリアであるエレオノーラ・ペドロンと長年連れ添っており、2009年9月には二人の間に長女がhttp://www.twowheelsblog.com/post/2953/max-biaggi-becomes-a-father、2010年12月には長男が誕生したhttp://www.motorcyclenews.com/MCN/sport/sportresults/World-Superbikes/2010/December/dec1610-biaggi-names-first-son-leon/。

主なレース戦績

ロードレース世界選手権

  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
クラス マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 順位 ポイント
250cc アプリリア JPN AUS USA SPA ITA GER AUT EUR Ret NED FRA 13 GBR Ret RSM 12 CZE VDM MAL 27位 7
250cc アプリリア JPN Ret AUS 8 MAL Ret SPA 10 ITA 3 EUR 3 GER 2 NED Ret HUN Ret FRA DNS GBR Ret BRA 2 RSA 1 5位 78
250cc ホンダ AUS 3 MAL 17 JPN Ret SPA 2 AUT 5 GER 4 NED Ret 'EUR' 1 RSM 5 GBR 6 CZE 2 ITA Ret USA Ret FIM 3 4位 142
250cc アプリリア AUS 1 'MAL' 1 'JPN' 4 SPA Ret AUT 2 GER 2 'NED' 1 'ITA' Ret FRA 3 GBR Ret 'CZE' 1 USA 2 ARG 2 EUR 1 1位 234
250cc アプリリア AUS 3 'MAL' 1 JPN 9 SPA 2 'GER' 1 'ITA' 1 'NED' 1 FRA 2 'GBR' 1 CZE 1 BRA 2 ARG 1 EUR 1 1位 283
250cc アプリリア 'MAL' 1 INA 2 JPN 1 'SPA' 1 'ITA' 1 'FRA' 1 NED 3 GER 4 GBR 1 AUT Ret 'CZE' 1 IMO Ret 'CAT' 1 BRA Ret 'AUS' 1 1位 274
250cc ホンダ 'MAL' 1 JPN 7 SPA 3 ITA 1 AUT 3 FRA 2 NED DSQ IMO 1 GER 4 BRA 5 GBR Ret CZE 1 CAT 2 'INA' 1 AUS 2 1位 250
500cc ホンダ 'JPN' 1 MAL 3 SPA 3 ITA 2 FRA 5 MAD 6 NED 2 GBR 6 GER 2 CZE 1 IMO 3 CAT DSQ AUS 8 ARG 5 2位 208
500cc ヤマハ MAL Ret JPN 9 SPA 2 FRA Ret ITA 2 CAT Ret NED 5 GBR 4 GER Ret CZE 4 IMO 3 VAL 7 AUS 2 RSA 1 BRA 2 ARG 2 4位 194
500cc ヤマハ RSA Ret MAL 4 JPN Ret SPA Ret FRA Ret ITA 9 CAT 5 NED 4 GBR 9 GER 4 'CZE' 1 POR 4 VAL 3 BRA 5 PAC 3 AUS 1 3位 170
500cc ヤマハ JPN 3 RSA 8 SPA 11 'FRA' 1 ITA 3 CAT 2 NED 1 GBR 2 GER 1 CZE 10 POR 5 VAL 10 PAC Ret 'AUS' 2 MAL Ret BRA 3 2位 219
MotoGP ヤマハ JPN Ret RSA 9 SPA DSQ FRA 3 ITA 2 CAT 4 NED 4 GBR 2 GER 2 CZE 1 POR 6 BRA 2 PAC Ret MAL 1 AUS 6 VAL 3 2位 215
MotoGP ホンダ JPN 2 RSA 3 SPA 2 FRA 5 ITA 3 CAT 14 NED 2 GBR 1 'GER' Ret CZE 5 POR 2 BRA 4 PAC 1 MAL 3 AUS 17 VAL 4 3位 228
MotoGP ホンダ RSA 2 SPA 2 FRA 3 ITA 3 CAT 8 NED 4 BRA 2 GER 1 GBR 12 CZE 3 POR Ret JPN Ret QAT 6 MAL 2 AUS 7 VAL 2 3位 217
MotoGP ホンダ SPA 7 POR 3 CHN 5 FRA 5 ITA 2 CAT 6 NED 6 USA 4 GBR Ret GER 4 CZE 3 JPN 2 MAL 6 QAT Ret AUS Ret TUR 12 VAL 6 5位 173

スーパーバイク世界選手権

  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 順位 ポイント 参照
R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2
スズキ・GSX-R1000 QAT1 QAT2 AUS3 AUS4 EUR3 EUR2 SPA8 SPA2 NED6 NED3 ITA3 ITA5 GBR6 GBRC SMRRet SMR3 CZE2 CZE1 GBR3 GBR8 GER2 GER3 ITA1 ITA2 FRA6 FRA2 3位 397
ドゥカティ・1098RS QAT2 QAT3 AUSRet AUSRet SPA16 SPA8 NED10 NED12 ITA5 ITARet USA9 USA4 GER13 GER7 SMRRet SMR2 CZE4 CZE3 GBR3 GBR12 EUR3 EUR6 ITA2 ITARet FRA4 FRA6 PORRet POR13 7位 238
アプリリア・RSV4 AUS11 AUS15 QAT3 QAT3 SPA8 SPA8 NED5 NEDRet ITA11 ITA5 RSA5 RSA5 USA6 USA4 SMR13 SMR10 GBR2 GBR21 CZE1 CZE2 GER5 GER4 ITA2 ITA4 FRA3 FRA2 POR3 POR6 4位 319
アプリリア・RSV4 AUS5 AUS8 POR1 POR1 SPA2 SPA3 NED6 NED4 ITA1 ITA 1 RSA4 RSA3 USA1 USA1 SMR1 SMR1 CZE2 CZE1 GBR5 GBR6 GER4 GER5 ITA11 ITA5 FRA4 FRA1 1位 451
アプリリア・RSV4 AUS2 AUS2 EUR7 EURDSQ NED2 NED2 ITA2 'ITA'8 USARet USA3 SMR2 SMR2 SPA2 SPA1 CZE2 CZE1 GBR11 GBR4 GERDNS GERDNS ITA ITA FRA FRA POR4 POR7 3位 303
アププリア・RSV4 AUS1 AUS2 ITA4 ITA4 NED4 NED8 ITAC ITA5 EUR5 EUR2 USA3 USA3 SMR1 SMR1 SPA1 SPA4 CZE6 CZE4 GBRRet GBR11 RUS3 RUSRet' GER'1 GER13 POR4 POR3 FRARet FRA5 1位 358
アププリア・RSV4 AUS AUS THA THA SPA SPA NED NED ITA ITA GBR GBR POR POR SMR6 SMR6 USA USA MAL3 MALRet SPA SPA FRA FRA QAT QAT 20位 36

外部リンク

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