ホイットニー・ヒューストン : ウィキペディア(Wikipedia)

ホイットニー・エリザベス・ヒューストン(、1963年8月9日 - 2012年2月11日)は、アメリカ合衆国の歌手・女優・元ファッションモデル。

人物

著名なソウルシンガーを親戚に持つ。11歳の時にジュニア・ゴスペル・クワイアに入り、ニュージャージー教会で歌い始めた。ニューヨーク市地域のナイトクラブで、母親とパフォーマンスをしていたところをアリスタ・レコードの社長クライヴ・デイヴィスにスカウトされた。

1985年、デビュー・アルバム『そよ風の贈りもの』は大ヒットとなった。1987年に発表した2枚目のスタジオ・アルバム『ホイットニーII〜すてきなSomebody』は、ビルボード200チャートに初登場1位を記録する(女性歌手では初)。1992年には、初主演映画『ボディガード』が公開される。映画のサウンドトラックは1994年のグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞するなど、高い評価を受け、アルバムからのリカット・シングル「オールウェイズ・ラヴ・ユー」は自身最大のヒットとなった。

ホイットニーは世界で最も売れている歌手の1人である。累計セールスはアルバムが1億4,000万枚以上、シングルは5,000万枚以上で、アメリカ合衆国のRIAAより「アメリカ合衆国で(女性アーティスト史上)4番目に売れている歌手」と評価されている。また、音楽雑誌「ローリング・ストーン」によりその声を「強力で鋭いポップ・ゴスペル」といわれ、オール・タイムの素晴らしい歌手100人の内の1人であると評価された。

『ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー』において第34位。『Q』誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガーにおいて第98位。

来歴

出生・幼少期

1963年8月9日、ニュージャージー州ニューアークで、父ジョン・ヒューストン(1920〜2003)と歌手の母(1933〜)の3番目の子供として生まれた。母シシーは、60年代に活躍したスイート・インスピレーションズのリード・ボーカルで、後にはエルヴィス・プレスリーアレサ・フランクリンのツアーにバック・コーラスとしても参加している。シシーがツアーに出ている間、父親ジョン・ヒューストンが育児を担当した。従姉には、ディオンヌ・ワーウィックや、など、ゴスペルやR&B、ポップ、ソウルなど多くのジャンルでヒットを持つ歌手がいる。ダーレン・ラヴが、ホイットニーの名付け親であり代母であり、アレサ・フランクリンは名誉伯母(honorary aunt)である。

1967年にニューアーク暴動が起こるとイースト・オレンジに引っ越した。幼い頃にニュージャージーのニュー・ホープ・バプティスト教会の聖歌隊に加わり、ゴスペルを学ぶ。11歳の時には聖歌隊のソリストとして活躍。教会での最初の単独パフォーマンスは「ガイド・ミー、オー・ゾウ・グレイト・ジェホヴァ」という曲であった。これより少し前にピアノも習い始めた。

ホイットニーが10代の時に両親が離婚、母シシーが養育権を得た。ホイットニーはカトリック系の女子校に通った。そこで、親友となると出会う。クロフォードはその後、個人秘書となり、バイセクシャルであったホイットニーはクロフォードとレズビアン(同性愛)関係になったとされる。高校に通う間も母シシーがホイットニーに歌を教えた。

デビュー・絶頂期

10代の頃にモデルとして活動したり、チャカ・カーンらのバックボーカルを務めるなどして頭角を現した。1983年に敏腕プロデューサーのクライヴ・デイヴィスの目にとまり、アリスタ・レコードと契約した。翌年にはテディ・ペンダーグラスとのデュエット曲がヒットした。

1985年にデビューアルバム『そよ風の贈りもの』をリリースし、いきなり爆発的人気を獲得した。2作目のシングル「すべてをあなたに」から7曲連続で全米シングルチャート1位の記録を打ち立てた。この記録はビートルズの6曲連続を超える新記録であり、2012年現在いまだに破られていない。

1987年の2枚目のアルバム『ホイットニーII〜すてきなSomebody』は、日本のオリコン洋楽アルバムチャートでも1987年6月15日付から通算11週1位を獲得した。

1991年の第25回スーパーボウルで試合前に国歌を斉唱。この斉唱は史上最高の国歌斉唱と絶賛された。後にシングルとしても発売され、またその10年後にアメリカ同時多発テロ事件のチャリティとして再リリースされ、ヒットしている。

1992年ケビン・コスナーと共演した初主演映画『ボディガード』が公開され、成功を収めた。彼女の新曲6曲を収録したサウンドトラックは全世界で4,200万枚を売り上げ、日本でも当時洋楽史上最高の280万枚マライアが日本洋楽史上最高売り上げ、ZAKZAK、1998年12月17日。(インターネットアーカイブのキャッシュ)を売り上げる驚異的なヒットとなった。カントリー歌手、ドリー・パートンのヒット曲をカバーした主題歌、「オールウェイズ・ラヴ・ユー」は全米シングルチャートで14週連続No.1を記録する自身最大のヒット曲になった。

同年R&B歌手、ボビー・ブラウンと結婚。翌年には一人娘ボビー・クリスティーナ・ブラウン(1993年3月4日 – 2015年7月26日)を出産した。

その後も主演映画『ため息つかせて』(1995年)、『天使の贈りもの』(1996年)が公開される。『ボディガード』には遠く及ばないものの成功を収め、サウンドトラックもヒットした。

1998年、オリジナルアルバムとしては実に7年ぶりとなる『マイ・ラヴ・イズ・ユア・ラヴ』をリリース。翌年にはVH1 Divas Live 99に出演して高評価を得るなど、再び歌手活動を本格化させた。

低迷・復活〜晩年

2000年にベスト・アルバム『ザ・グレイテスト・ヒッツ』を発売したが、時期を同じくしてハワイの空港で大麻所持で拘束された。激しく体重の落ちた姿が度々見られるなど健康を害し、その後テレビ番組で大麻やコカイン等の常用を告白している。夫が暴行などで度々逮捕され、離婚説が幾度も報じられるなどのトラブルもあり、週刊誌やテレビ等で私生活を取上げられる事が多かった。

2001年映画『プリティ・プリンセス』の音楽製作に携わる。

2004年から翌年にかけてリハビリ生活を続けた。2006年9月13日、ボビー・ブラウンとの結婚生活に終止符を打つべく離婚申請書を裁判所に提出し、同年10月に離婚が成立した。

2008年6月には年末にクライヴ・デイヴィスのプロデュースの元、ニュー・アルバムをリリースすると発表した。しかし、この発売は延期され、翌2009年6月になって同年9月1日にリリースすることが報じられた 。実際には8月31日(米国)にアルバム『』が発売され、1週目で30万枚以上を売り上げビルボード200の初登場1位を獲得、復活を果たした。2010年2月の東京公演を皮切りに11年ぶりのワールドツアーも実施した。 しかし英国でのコンサートで息が切れたり、パリ公演では呼吸器の感染症で入院するなど、トラブルが相次ぎ、2011年7月にアルコール・薬物依存からの復帰プログラムを再開 し、2012年1月には破産寸前であると報じられる など、さまざまな問題が続いていた。

2011年、マイケル・ジャクソンの人生を振り返ったドキュメンタリー映画「マイケル・ジャクソン ライフ・オブ・アイコン 想い出をあつめて」に出演。

48歳での急死

2012年2月11日に、カリフォルニア州ビバリーヒルズにある4階客室の浴槽の中に倒れていたところを発見され、救急隊が20分間にわたって蘇生処置を施したが、同日午後3時55分(現地時間)に死亡が確認された。。ホイットニーは、グラミー賞の授賞式を翌日に控え、クライヴ・デイヴィスが主催する恒例の前夜パーティに参加するために、同ホテルに滞在していた。

2012年3月22日、ロサンゼルス郡検視局は会見を開き、死因は不慮の溺死であり、遺体からコカインが検出されていることから、入浴中にコカインの影響で心臓発作が起こったため、浴槽に沈んだ可能性が高いという検視結果を発表した。検死報告書によると、歯が11本失われ、眉毛の大部分が抜け落ちていたホイットニー・ヒューストン、死亡当時11本歯を失っていた 熱湯に沈み皮膚剥離/海外スターバックナンバー/芸能/デイリースポーツ online

2012年8月に公開された映画『スパークル』が映像作品としての遺作となった。

その後

2019年にはカイゴとのコラボレーション・シングル『ハイヤー・ラブ』が発表、元は『アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト』の日本盤ボーナストラックとして発表されていたもので、今回カイゴによって再構築された新たなヴァージョンとなる。イギリスでは2位を記録するヒットとなった。

2022年、彼女の生涯を描いた映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』が制作され、ナオミ・アッキーがヒューストンを演じた。

アルバム

アルバムの下に代表的なヒットシングルを記述。

(ホイットニー・ヒューストン、日本語題:そよ風の贈りもの)(1985年)
(ユー・ギヴ・グッド・ラヴ、日本語題:そよ風の贈りもの)
(セイヴィング・オール・マイ・ラヴ・フォー・ユー、日本語題:すべてをあなたに)
(ハウ・ウィル・アイ・ノウ、日本語題:恋は手さぐり)
(オール・アット・ワンス)
(グレイテスト・ラヴ・オブ・オール)
(ホイットニー、日本語題:ホイットニーII〜すてきなSomebody)(1987年)
(アイ・ワナ・ダンス・ウィズ・サムバディ、日本語題:すてきなSomebody)
(ソー・エモーショナル、日本語題:やさしくエモーション)
(ディディント・ウィ・オールモースト・ハヴ・イット・オール、日本語題:恋のアドバイス)
(ホエア・ドゥ・ブロークン・ハーツ・ゴー、日本語題:ブロークン・ハート)
(アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト)(1990年)
(アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト)
(オール・ザ・マン・アイ・ニード)
(ザ・ボディガード:オリジナル・サウンドトラック・アルバム、日本語題:ボディガード:オリジナル・サウンドトラック・アルバム)(1992年)
(オールウェイズ・ラヴ・ユー)
(アイム・エヴリ・ウーマン)
(アイ・ハヴ・ナッシング)
(ため息つかせて オリジナル・サウンドトラック)(1995年)
()(ため息つかせて)
(天使の贈りもの オリジナル・サウンドトラック)(1996年)
(アイ・ビリーヴ・イン・ユー・アンド・ミー)
(ステップ・バイ・ステップ)
(マイ・ラヴ・イズ・ユア・ラヴ)(1998年)
(ホエン・ユー・ビリーヴ)
(ハートブレイク・ホテル)
(イッツ・ノット・ライト・バット・イッツ・オーケイ)
(マイ・ラヴ・イズ・ユア・ラヴ)
(アイ・ラーンド・フロム・ザ・ベスト)
(ザ・グレイテスト・ヒッツ)(2000年)
(クッド・アイ・ハヴ・ディス・キス・フォーエヴァー)
(イフ・アイ・トールド・ユー・ザット)
(ラブ・ホイットニー)(2001年)
(ジャスト・ホイットニー)(2002年)
(ワッチュルキナット)
(ワン・ウィッシュ:ジ・ホリデイ・アルバム)(2003年)
(アルティメイト・ホイットニー)(2007年)
(アイ・ルック・トゥ・ユー)(2009年)
(ミリオン・ダラー・ビル、日本語題:100万ドルの恋)
(アイ・ディディント・ノウ・マイ・オウン・ストレンス、日本語題:夢をとりもどすまで)
(オールウェイズ・ラヴ・ユー〜ベスト・オブ・ホイットニー・ヒューストン)(2012年)
(ホイットニー・ヒューストン・ライヴ)(2014年)
(愛よ永遠に〜ボディガード25周年記念盤)(2017年)
(ジャパニーズ・シングル・コレクション-グレイテスト・ヒッツ-)(2022年)
(ゴスペル・オブ・ホイットニー・ヒューストン)(2023年)

ビデオ

  • VHM28012 Whitney Houston The #1 Video Hits VHD

出演映画・関連映画

  • ボディガード(1992年)
  • ため息つかせて(1995年)
  • 天使の贈りもの(1996年)
  • シンデレラ(1997年、TV)
  • ホイットニー・ヒューストン/スパークル(2012年)
  • ホイットニー 〜オールウェイズ・ラヴ・ユー〜(2018年)
  • ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY(2022年)

プロデュース

  • シンデレラ(1997年、TV)
  • プリティ・プリンセス(2001年)
  • チーター・ガールズ(2003年、TV)
  • プリティ・プリンセス2/ロイヤル・ウェディング(2004年)

公演

日本

1986年11月4日フェスティバルホール 11月5日大阪城ホール 11月6日愛知県体育館 11月8日横浜文化体育館 11月10日、11日、12日日本武道館

1988年9月21日広島県立体育館 9月22日福岡国際センター 9月26日、27日、28日日本武道館 10月1日、2日大阪城ホール 10月5日、6日名古屋市総合体育館 レインボーホール 10月7日静岡県草薙総合運動場体育館 10月11日真駒内屋内競技場 10月13日仙台市体育館 10月15日横浜文化体育館 10月16日、17日日本武道館

1990年1月1日、2日横浜アリーナ 1月5日北海道立産業共進会場 1月7日、8日横浜アリーナ 1月12日、13日、14日大阪城ホール 1月17日、18日名古屋市総合体育館 レインボーホール 1月20日福岡国際センター 1月21日広島サンプラザ 1月23日仙台市体育館 1月24日横浜アリーナ

1991年3月14日、15日横浜アリーナ

1993年9月1日、2日大阪城ホール 9月6日、7日、9日、10日、13日、14日日本武道館 9月16日、17日名古屋市総合体育館 レインボーホール 9月19日、20日横浜アリーナ 9月22日福岡ドーム

この公演は当初1月に予定されていたが、本人の体調不良により延期・振替となった。振替前の公演日は、東京…1月7日・8日、大阪…不明 1997年5月5日、7日、8日大阪城ホール 5月13日、14日東京ドーム

2010年2月11日、13日、14日さいたまスーパーアリーナ 2月17日、18日大阪城ホール

日本以外

注釈

出典

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/12/31 01:26 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「ホイットニー・ヒューストン」の人物情報へ