高橋二三 : ウィキペディア(Wikipedia)

高橋 二三(たかはし にいさん、1926年2月3日 - 2015年5月5日)は、日本の脚本家。本名:高橋 幸人(たかはし ゆきと)。群馬県佐波郡玉村町出身。

来歴・人物

1960年代の大映や松竹映画で活躍し、84本の映画脚本を手がけた。特に1965年から6年続いた特撮怪獣映画の「ガメラシリーズ」では、科学考証を無視したキャラクタライズしたシナリオで、「怪獣ガメラ」を東宝の「ゴジラ」と双璧をなす人気怪獣へと伸し上げた。1970年代に入るとテレビ番組を数多く手がけた。

「ガメラシリーズ」の湯浅憲明監督は、「怪獣の登場する映画で科学考証など意味がないと、高橋さんと打ち合わせて脚本作りを行った。子供が楽しめるファンタジー、童話として、監督が驚くようなアイディアを生みだす高橋さんは天才だ」と語っている。

『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(1967年)では公開後、東宝のゴジラシリーズで知られる本多猪四郎監督から「素晴らしい内容だった」と絶賛激励され、「ゴジラシリーズ」に対する負い目が吹き飛んだと語っている。また、高橋が1991年にビデオ企画に合わせて『ガメラ対不死鳥』というオリジナル脚本を奔放なイメージで書き上げ、複数の特撮関係者に送ったところ、本多は「作品は大事になさってください」と丁寧な感想文を添えて送り返してくれたという。このオリジナル脚本は後年、新作小説の形で出版されている。

ジャン・ギャバン主演ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『我等の仲間』を好きな映画と公言し、特に『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』に強い影響があるという切通理作『怪獣少年の〈復讐〉 70年代怪獣ブームの光と影』洋泉社。2016年。55p。

2015年5月5日、脳幹出血のため死去脚本家の高橋二三氏死去 時事通信 2015年5月14日閲覧。。

執筆作品

映画脚本

  • 泣き笑い地獄極楽(1955年)
  • 銀座の女(1955年)
  • おヤエのママさん女中(1959年)
  • おヤエの家つき女中(1959年)
  • おヤエの身替り女中(1959年)
  • 若いやつ(1963年)
  • 大怪獣ガメラ(1965年)
  • 大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン(1966年)
  • 大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス(1967年)
  • ガメラ対宇宙怪獣バイラス(1968年)
  • あるセックス・ドクターの記録(1968年)
  • ガメラ対大悪獣ギロン(1969年)
  • ガメラ対大魔獣ジャイガー(1970年)
  • ボクは五才(1970年)
  • 樹氷悲歌(1971年)
  • ガメラ対深海怪獣ジグラ(1971年)
  • 悪名尼(1971年)
  • 宇宙怪獣ガメラ(1980年)

テレビ脚本

  • 松本清張シリーズ・黒い断層「偶数」(1961年)
  • しゃあけえ大ちゃん(1964年)
  • わんぱく砦(1966-1967年)
  • 無敵!わんぱく(1968年)
  • サンダーマスク(1972年)
  • 走れ!ケー100(1973年)
  • 電人ザボーガー(1974年)
  • 座頭市物語(1974年)
  • みつばちマーヤの冒険(1975年)
  • 痛快!河内山宗俊(1975年)
  • アラビアンナイト シンドバットの冒険(1975年)
  • ふしぎ犬トントン(1978年)
  • はいからさんが通る(1978年)
  • 若さま侍捕物帳(1978年)
  • 伝七捕物帳(1979年)
  • 走れ!熱血刑事(1980年)
  • 忍者ハットリくん(1981年)
  • ふしぎの国のアリス(1983年)
  • へーい!ブンブー(1985年)

著書

  • 『ガメラVS不死鳥』(1995年) ISBN 4094404112

参考文献

  • 『ガメラを創った男―評伝 映画監督・湯浅憲明』(アスペクト刊) ISBN 4893663682
  • 『ガメラクロニクル』(ソニーマガジンズ刊) ISBN 4789713547
  • 『大映特撮映画大全 大怪獣空想決戦 ガメラ対大魔神』(角川映画刊) ISBN 4048545116

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