三崎和雄 : ウィキペディア(Wikipedia)

三崎 和雄(みさき かずお、1976年4月25日 - )は、日本の男性元総合格闘家。千葉県小見川町出身。KATORI DOJO主宰。PRIDEウェルター級グランプリ2006王者。

現役時代から長渕剛と親交があり、パーソナルトレーナーとして全国ツアーにも同行するなどしており「DEEP三崎 12・22引退セレモニーに長渕剛来る!」スポニチ、2012年11月23日。、三崎の引退セレモニーには長渕が駆けつけリング上で「STAY DREAM」を披露した。引退後も引き続き、長渕のパーソナルトレーナーを務めている「長渕剛に惚れろ!女もシビれる「THE・男」の魅力をシャウト」女子SPA!、2016年4月1日。。

来歴

中学、高校と柔道を学び、高校卒業後、総合格闘家を目指し香取道場にてキックボクシングを始める。その後菊田早苗と出会い、菊田の率いるGRABAKAに移籍した。

2000年11月26日、全日本異種格闘技選手権の75kg以下の部に出場、決勝で石田光洋に勝利し、優勝した。

2001年5月5日、ネオブラッド・トーナメント予選でパンクラスデビュー。芹沢健一に判定勝ち。7月29日の本戦では1回戦で佐藤光留にチョークスリーパーで一本勝ちすると、準決勝の梁正基戦、決勝の長岡弘樹戦と勝ち上がり優勝を果たした。

2001年10月30日、パンクラスで「東京・横浜対抗戦」と銘打たれ行われたismとの5対5の対抗戦では先鋒出場。経験に勝る冨宅飛駈と対戦し、開始8秒右ストレートでKO勝ち。

2002年3月25日、パンクラスでネイサン・マーコートと対戦。試合開始直後にスープレックスで投げられた際、左肘を脱臼してしまい、ドクターストップでTKO負け。

PRIDE

2004年5月23日、PRIDE初出場となったPRIDE 武士道 -其の参-でジョルジ・パチーユ・マカコと対戦し、判定勝ち。

2004年7月25日、パンクラスでエド・ハーマンと対戦し、肩固めで一本勝ち。

2004年11月7日、パンクラスでネイサン・マーコートとミドル級キング・オブ・パンクラス決定戦を行い、判定負けで王座獲得に失敗した。

2005年7月17日、PRIDE 武士道 -其の八-でダニエル・アカーシオと対戦し、判定負け。同年開催のウェルター級グランプリ出場を逃した。

2006年4月2日、PRIDE 武士道 -其の拾-でウェルター級(-83kg)王者ダン・ヘンダーソンとノンタイトル戦で対戦し、判定負け。

2006年6月4日、PRIDE 武士道 -其の十一-のウェルター級グランプリ1回戦でフィル・バローニと対戦。打撃戦を制し、判定勝ち。8月26日、PRIDE 武士道 -其の十二-の2回戦でダン・ヘンダーソンと再戦。王者相手に攻め続け、日本人として初めてヘンダーソンに勝利した。

2006年11月5日、PRIDE 武士道 -其の十三-の準決勝でパウロ・フィリオと対戦するも、テイクダウンからマウントポジションをとられ、脱出できずに1R終了間際に腕ひしぎ十字固めで一本負けを喫した。この試合で右肘の靭帯を痛めた。しかし、フィリオが三崎との試合で負った膝靭帯損傷のため決勝を棄権し、三崎が決勝でデニス・カーンと対戦し、2-1で判定勝ちを収め優勝を果たした。

2007年2月24日、PRIDE.33でフランク・トリッグと対戦し、再三テイクダウンを奪われ、判定負けを喫した。

2007年12月31日、やれんのか! 大晦日! 2007で秋山成勲と対戦し、KO勝ち。後日、秋山サイドからのクレームにより、ノーコンテストへ裁定が変更された。

SRC

2008年3月5日、戦極旗揚げ戦戦極 〜第一陣〜で修斗世界ライトヘビー級(-83kg)王者シアー・バハドゥルザダと対戦し、フロントチョークで一本勝ち。

2008年6月8日、戦極 〜第三陣〜でローガン・クラークと対戦し、判定勝ち。

2008年9月20日、Strikeforce初出場となったカリフォルニア州ビバリーヒルズで開催されたStrikeforce: At The Mansion 2でジョー・リッグスと対戦。2Rに左ストレートでダウンするも、直後に右ストレートでダウンさせパウンドでTKO勝ち「三崎&石田がストライクフォース参戦、揃って快勝!」MMAPLANET、2008年9月21日。。

2009年1月4日、戦極の乱2009の戦極ミドル級(-83kg)王座決定戦でジョルジ・サンチアゴと対戦し、チョークスリーパーで一本負けを喫し王座獲得に失敗した。

2009年3月19日、乗用車で走行中に携帯電話を使用しているところを警察官に見つかり、停止を求められたが無視してそのまま乗用車で走り去った。5月になって公務執行妨害で逮捕され、6月4日の起訴後に保釈された。6月25日に東京地裁で、懲役1年、執行猶予3年(求刑・懲役1年2月)の有罪判決を受けた「三崎、公務執行妨害容疑で逮捕。会見で謝罪」BoutReview、2009年6月26日。。

2009年8月2日、戦極 〜第九陣〜で中村和裕と対戦し、フロントチョークで一本勝ちを収めた。この試合は戦極ミドル級王座挑戦者決定戦として当初発表されていたが、有罪判決を受けたことで8月3日以降の無期限出場停止および当試合のファイトマネーを全額没収という処分が下されたため「三崎、中村戦の翌日から無期限出場停止処分」BoutReview、2009年7月2日。、勝利を収めたものの王座挑戦権は与えられなかった。

2009年11月8日付けでGRABAKAから独立した「【総合格闘技】三崎和雄がGRABAKAから独立!「ゼロからスタートする」」格闘技ウェブマガジンGBR、2009年11月8日。。

2009年12月11日付けでSRC(戦極)から受けていた無期限出場停止処分が解除された「三崎和雄選手の処分解除に関するお知らせ」SRC 公式サイト、2009年12月11日。。

2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜のDREAM vs SRC 対抗戦でメルヴィン・マヌーフと対戦し、左フックでダウンしたところでTKO負け。試合後、ストップが早いとしてレフェリーに対してリング上で抗議し、さらに正式な抗議を申し立てた。

2010年8月22日、SRC14のSRCミドル級タイトルマッチで王者のジョルジ・サンチアゴと再戦し、5R残り30秒というところでパウンドによるタオル投入によりTKO負けを喫し王座獲得に失敗した「【SRC戦極】三崎和雄、激闘の末に王者サンチアゴに敗れる…郷野もまさかの敗北」格闘技ウェブマガジンGBR、2010年8月22日。。

2010年12月30日、戦極 Soul of Fightでマイク・シールと対戦し、バックマウントパンチによるTKO勝ちを収めた「【SRC戦極】12・30日沖発がフェザー級王座獲得!交流戦はSRCが勝利」格闘技ウェブマガジンGBR、2010年12月30日。。

2011年4月22日、DEEP 53 IMPACTで引退する小路晃と5年ぶりに再戦し、パウンドでTKO勝ちを収めた。

2012年3月3日、オハイオ州コロンバスで開催されたで、ウェルター級転向初戦となった試合でポール・デイリーと対戦。3Rにはデイリーの肘で額を深くカットし流血にするも、激しい打撃戦を制し、2-1の判定勝ちを収めた「三崎和雄が壮絶な打撃戦制し判定勝ち」スポニチ、2012年3月5日。。

2012年10月19日、DEEP 60 IMPACTで体力の限界を理由に引退を表明「三崎和雄が引退表明。12.22 後楽園で引退セレモニー」バウトレビュー、2012年10月20日。。12月22日後楽園ホールで開催されたDEEP HALEO IMPACTで引退セレモニーを行ない、秋山成勲や白鵬翔らも駆けつけ、10カウントゴング後には長渕剛がリング上で「STAY DREAM」を熱唱した「秋山も長渕剛も来た!三崎引退セレモニーで涙の抱擁」スポニチ、2012年12月23日。。

人物・エピソード

  • 妥協を許さない性格で、日本人であるということに誇りを持っており、一般的に外国人と比べて体格的に不利な84kg級では日本人は勝てないと思われていることに対するアンチテーゼとして、試合で勝った時は「日本人は強いんです」という決め台詞がある。ダン・ヘンダーソン、フィル・バローニ、秋山成勲などに勝利した時この決め台詞を使っている。秋山戦での発言について、韓国内から、韓国系日本人の秋山への当て付けという批判が起きた。このことについて三崎は、雑誌上のインタビューで、差別的な意図はなかったが、状況的に誤解を招く部分は確かにあったかもしれず、それは本当に謝罪したいと思う、と述べた『kamipro Special 2008 SPRING』エンターブレイン、2008年1月11日。。
  • 格闘技を始めた理由は「最強のファイターになるため」だという。究極、そして極限の闘いとは「殺し合い」であると言い、「夢中になっていること(試合)で死ねたら本望」と発言している。
  • 長渕剛とは、トレーニングのサポートを行う間柄で、三崎の最後の試合の際にもトレーニングを行ったり、長渕の2015年に富士山麓で開催されたオールナイトライヴの際にも、オールナイトライヴのための肉体作りのため、50日間共にハードなトレーニングを行なった「長渕剛に惚れろ!女もシビれる「THE・男」の魅力をシャウト」女子SPA!、2016年4月1日。。
  • 格闘道場「チームHALEO」のメンバーとして、2019年ラグビー日本代表の稲垣啓太との格闘技トレーニングも行っている「稲垣啓太がハードな格闘技トレーニングを公開 “笑わない男”がにこやかな表情も見せる」SPREAD、2020年2月5日。。

戦績

獲得タイトル

  • 第1回全日本異種格闘技選手権 75kg級 優勝(2000年)
  • パンクラス 第7回ネオブラッド・トーナメント 優勝(2001年)
  • PRIDEウェルター級グランプリ2006 優勝(2006年)

表彰

  • SHERDOG ファイト・オブ・ザ・イヤー(2010年)

関連項目

  • 男子総合格闘家一覧
  • PRIDE王者一覧
  • PRIDE選手一覧
  • SRC選手一覧

外部リンク

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