北別府学 : ウィキペディア(Wikipedia)

北別府 学(きたべっぷ まなぶ、1957年7月12日 - )は、鹿児島県曽於郡末吉町(現曽於市)出身の元プロ野球選手(投手)。日本プロ野球名球会理事。 YouTuber。

セ・リーグ最多タイ記録となる最高勝率を3回獲得している。

経歴

プロ入り前

宮崎県立都城農業高等学校で1年生からエースとして活躍。1974年、2年生時の夏の甲子園県予選では準決勝で延岡高に敗退。翌1975年の春季九州大会1回戦では、伝習館高を相手に完全試合を達成する。しかし同年夏も県予選準決勝で日南高に完封を喫し、甲子園には出場できなかった。

1975年のドラフト会議にて1位指名され広島東洋カープに入団した。甲子園には出場していないため、この時はまだ全国的には無名の存在で、広島スカウト陣以外には日本ハムファイターズ監督に就任したばかりだった大沢啓二が目をつけているだけだった。大沢は関係者から得た情報を基に北別府の指名を検討していたが、フロントやスカウト陣の反応は薄く、結局獲得は見送られてしまったという。大沢は後に「無名の選手だったから獲得しようと思えば簡単にできた。指名できなかったのが心残りだ」と語っている。

同期には山根和夫、長内孝、小林誠二らがおり、後のカープの主力選手が揃っている(山根は1977年入団)。

プロ入り後

入団1年目から1軍で登板し、勝ち星を挙げる。2年目の1977年から先発ローテーション入りし3年目の1978年に10勝を挙げると、この年から1988年まで11年連続二桁勝利を達成。1979年にはチームトップの17勝を挙げ、チームのリーグ優勝に貢献した。

1982年には20勝し最多勝と沢村賞を獲得。1986年には9月、10月で7勝0敗を記録しチームのリーグ優勝に大きく貢献。最多勝、最優秀防御率、最高勝率、MVP、沢村賞に輝いた。優勝した試合は8回まで投げきっており、9回も続投する予定だったが、自ら直訴し、最後は抑えの津田恒実にマウンドを任せたという美談がある。津田は家族ぐるみでも親交のあった後輩で、後に彼が脳腫瘍を発症した際にも、しばしば見舞っていた。

1989年には12年続いていた規定投球回をクリアできず、1990年も2年連続規定投球回未到達で2年連続一桁勝利に終わり限界説が囁かれたが、1991年に11勝を挙げ復活すると同時に最高勝率のタイトルを獲得し、チームのリーグ優勝に貢献。1992年7月16日、対中日ドラゴンズ戦で球団史上初の200勝を達成、これは同時に日本プロ野球における1990年代で唯一の達成で20世紀最後の200勝到達でもあった。オフの契約更改では広島初の1億円プレーヤーとなった。

尚、広島のみに在籍して200勝を記録した投手は球団史上でも北別府のみである(NPBでは広島のみに在籍した選手の中でMLBでの記録を合算すると黒田博樹が達成している)。

1994年に、この年限りでの現役引退を表明。1994年8月21日の巨人22回戦で松井秀喜から本塁打を浴び、金田正一の379を上回りセ・リーグの最多被本塁打記録となる380を記録した。またホーム最終戦となる9月20日の巨人戦では引退登板が予定されていたが、この年のセ・リーグは広島・巨人・中日の3チームが終盤戦まで三つ巴の激しい優勝争いを繰り広げており、この日の試合も展開が二転三転する状況で遂に登板の機会に恵まれず、試合後に引退セレモニーのみが執り行われた。なおこの試合は8対7で広島が勝利し、引退試合は翌1995年3月12日のオープン戦にて行われた。

現役時代に残した通算213勝は日本プロ野球歴代第18位記録、先発勝利数200勝は歴代第10位記録で、これらは共に広島東洋カープの球団記録でもある。中日戦に強い中日キラーとしても有名で、1978~80年は12連勝、1983~86年は13連勝を記録、通算52勝27敗(勝率.658)という成績を残している。なお、200勝目を挙げたのも中日戦である。

一方、日本シリーズには5回出場(1979年・1980年・1984年・1986年・1991年)し、11試合(先発は6試合)登板で防御率3.21ながら0勝5敗と一度も勝利投手になれなかった。

引退後

引退後は広島ホームテレビ・テレビ朝日野球解説者に就任し、その後2001年から2004年まで広島の投手コーチを務めた。2005年より再び広島ホームテレビ解説者を務めている。2005年から2007年まではデイリースポーツ野球評論家も兼任。2007年9月、自身の野球人生を綴った自伝「それでも逃げない」(グラフ社刊、友野康治との共著)を出版、この中で、娘が医学生であることを明かしている。2010年からは沢村賞の選考委員を務める。趣味は家庭菜園。 妻は、元ミス日本である。

2012年1月13日、野球殿堂に競技者表彰にて選出された。

2013年:広島ホームテレビ『恋すぽ』広島FMラジオ『北別府学の裏ブログ』と2本のレギュラーを持つ。寡黙な現役時代とは裏腹に野球のことには的確に厳しく述べ、私生活や日常のことは非常に楽しく語る北別府の番組の評判はとても良い。また、現役の選手の中に混ざって20位以内に入るほどの人気ブロガーとしても有名。 現在は、芸能プロダクションのホリプロ所属。

2015年:趣味の家庭菜園にまつわるコラムを『中国新聞SELECT』にて連載開始。

2017年には、貸し農園を低価格で行っている事がテレビで放送されたことがある。

2017年6月、学生野球資格を取得。

2018年5月30日、私立英数学館高校硬式野球部のコーチ(非常勤)に就任。

2019年8月からはYouTubeに「北別府学チャンネル」を開設し、YouTuberとしての活動を始めた。

2020年1月20日、2年前に成人T細胞白血病と診断されていたことを公表した。5月5日、骨髄移植を受けるために入院。

プレースタイル

直球の球威や変化球の切れ味に飛び抜けたほどのものはなかったが、それらを補って余りあるほど優れた制球力から「精密機械」の異名を取り、投手王国と呼ばれた1980年代の広島の主軸として活躍した。直球は投げる比率は低くて最高球速は144km/hで、球種はスライダー、カーブ、シュート、シンカーなどであった。特にスライダーの出し入れで内と外を使い分ける投球術が持ち味だった強気なリードと闘志あふれる投球スタイル『北別府VS達川』を語る。 - YouTube

全盛期は非常に理想的な美しい投球フォームであった。広島大学の研究者が北別府の肩の動作解析を行い、力学的にどこにも無駄な力が入っていない、自然な肩の回転に驚いたというエピソードがある週刊ベースボールONLINE“レジェンド”たちに聞け!第19回 北別府学

精密機械と呼ばれるほどの抜群の制球力を身に着けたきっかけは、プロ入りして間もなく、並み居る先輩投手の投球練習を見て、そのボールスピードに圧倒されたことだったという。速度で敵わないならコントロールを磨くよう心がけベースボール博物館『週刊ベースボール』2012年2月6日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌20444-2/6, 81頁。、3年頑張って結果を残せなかったら野球を辞めて故郷に帰ろうと考えていたと、後に本人は語っている。

そのコントロールの良さを示すエピソードとして、本塁上の三角形地点に置いた3個の空き缶を、たった3球投げただけで全て倒してのけたという話がある週刊ベースボール、引退記念の達川光男との対談で発言。。バッテリーを組んでいた達川光男もその投球について「ミットを動かさずに捕れる」と高く評価しており、広島投手コーチ時代に「筋肉番付」で「ストラックアウト」に挑んだ際には、現役選手でも中々達成できないパーフェクトを成し遂げていた。

そのようにコントロールに絶対の自信を持っていたからか、現役時代は審判の判定にクレームをつけることが多かった。野球中継の解説においても「最近のピッチャーは大人しいですね。私は審判とも戦っていましたよ」と語っている。ストライク・ボールの判定に疑問のある場合には、球審を試すように平然と続けて寸分たがわない同じコースの球を連投して球審を試すこともあった(同じくコントロールに絶対の自信を持っていた江夏豊も同様のことを行っている)。セリーグの審判部長だった田中俊幸は北別府について、「他の投手が先発した試合の倍は疲れた」と述べている。

生涯記録したボークは2で、初登板から2420回1/3イニングボークなしという記録を達成している。

完投数が著しく減少した現代の野球界には否定的であり、「今の投手は7回を抑えていても8、9回はわからんというピッチングですもの。これはつまらない野球ですよ」と批判している。

投手として200勝を挙げた一方で、打撃に関しても現役通算で5本の本塁打を放っており、これは広島に所属した投手(野手転向した選手は除く)としてはコルビー・ルイスと並び歴代最多である。

通算213勝141敗のうち、対中日戦成績は52勝27敗の中日キラーであった【vs 北別府学】精密機械の完璧な制球力!西本聖対策の応用で見えてきたもの【谷沢健一 対戦の記憶】 - YouTube

人物

愛称は「ペイNGなしの質問コーナー後編!現役時代の犬猿の仲トップ3高橋慶彦が語る - YouTube、「ぺー「ぺー、頑張れ」大島康徳さんが“がん友”北別府さんにエール「妻が奥様にお身体に気をつけてと…」― スポニチ Sponichi Annex 野球

詳細情報

年度別投手成績

広島94000210--.66712529.12851200180013134.031.36
3322300570--.417588131.2150275116900087815.521.53
39258211070--.588745175.0180275607982091894.581.35
3633123417110--.607905215.221823392151551092863.581.19
30306201250--.706766177.2210194469820086804.041.43
3232132316100--.615934226.12292843681232089833.311.20
363519552081--.7141061267.12232244561842089722.431.00
3330121012130--.480918215.222825612810610108953.961.34
32279211382--.619855203.2215184632991083753.311.28
35248321662--.727833199.0209195538853088793.571.33
303017451840--.818915230.021621304101230067622.431.07
292961410140--.417776181.120626315211920101884.361.30
2727131911120--.478861209.22242227531123287733.131.20
22211009100--.474482110.0135221804691075675.481.39
1717101840--.66742098.1115151432581052484.391.31
25243101140--.733582141.1149203122730056533.381.27
26264111480--.636735181.11791528121011061522.581.14
1313000660--.50030269.079131703380041405.221.39
1111000330--.50021550.26213902240033325.681.40
通算:19年51546013528362131415--.602130183113.0325538065648991757202139912683.671.26
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

  • 最多勝利:2回(1982年、1986年)
  • 最優秀防御率:1回(1986年)
  • 最高勝率:3回(1985年、1986年、1991年) ※セ・リーグ最多タイ記録(他は堀内恒夫、斎藤雅樹、上原浩治)、2年連続は最長タイ記録(他は御園生崇男、藤田元司、山田久志、堀内恒夫、斉藤和巳)、当時連盟表彰なし当時は最高勝率の連盟表彰はなかったが、日本野球機構オフィシャルサイトには、1985年、1986年、1991年の「最高勝率」として北別府の名前が記載されている。なお、タイトルとしての「最優秀勝率投手」および「勝率第一位投手」については、「最高勝率 (野球)」を参照のこと。

表彰

  • 沢村栄治賞:2回(1982年、1986年)
  • 最優秀選手:1回(1986年)
  • ベストナイン:2回(1982年、1986年)
  • ゴールデングラブ賞:1回(1986年)
  • 野球殿堂競技者表彰(2012年)
  • 最優秀投手:2回(1982年、1986年)
  • 月間MVP:3回(1982年5月、1986年9月、1992年4月)
  • 広島県県民栄誉賞(1994年11月10日)
  • 曽於市市民栄誉賞(2012年1月)

記録

初記録
  • 初登板:1976年9月16日、対ヤクルトスワローズ20回戦(明治神宮野球場)、7回裏2死に4番手で救援登板・完了、1回1/3を無失点
  • 初奪三振:同上、7回裏に松岡弘から
  • 初先発:1976年9月19日、対阪神タイガース21回戦(阪神甲子園球場)、5回4失点
  • 初勝利・初先発勝利:1976年10月12日、対ヤクルトスワローズ24回戦(明治神宮野球場)、6回4失点
  • 初完投勝利:1977年5月7日、対中日ドラゴンズ8回戦(広島市民球場)、9回2失点
  • 初完封勝利:1978年6月3日、対読売ジャイアンツ10回戦(後楽園球場)
  • 初本塁打:1979年4月19日、対読売ジャイアンツ3回戦(平和台野球場)、5回表に浅野啓司からソロ
  • 初セーブ:1982年9月25日、対読売ジャイアンツ26回戦(後楽園球場)、9回裏に7番手で救援登板・完了、1回無失点
節目の記録
  • 1000投球回:1982年5月4日、対阪神タイガース2回戦(広島市民球場)、5回表3死目に達成
  • 1500投球回:1984年5月23日、対中日ドラゴンズ7回戦(ナゴヤ球場)、8回裏1死目に達成
  • 100勝:1984年6月28日、対横浜大洋ホエールズ14回戦(横浜スタジアム)、先発登板で6回2失点 ※史上85人目
  • 1000奪三振:1985年8月4日、対横浜大洋ホエールズ16回戦(横浜スタジアム)、8回裏にジェリー・ホワイトから ※史上71人目
  • 2000投球回:1986年8月20日、対中日ドラゴンズ17回戦(ナゴヤ球場)、3回裏2死目に達成
  • 150勝:1987年9月29日、対阪神タイガース25回戦(阪神甲子園球場)、先発登板で5回無失点 ※史上37人目
  • 2500投球回:1989年5月31日、対中日ドラゴンズ6回戦(広島市民球場)、2回表2死目に達成
  • 1500奪三振:1990年7月30日、対中日ドラゴンズ18回戦(ナゴヤ球場)、3回裏に中村武志から ※史上32人目
  • 200勝:1992年7月16日、対中日ドラゴンズ15回戦(ナゴヤ球場)、先発登板で8回1失点 ※史上22人目
  • 3000投球回:1993年4月10日、対ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、7回裏1死目に達成
その他の記録
  • オールスターゲーム出場:7回(1979年、1980年、1982年 - 1984年、1988年、1992年)

背番号

  • 20 (1976年 - 1994年)
  • 73 (2001年 - 2004年)

関連情報

出演番組

  • スーパーベースボール
  • 北斗晶の鬼嫁運動記者倶楽部(準レギュラー)
  • 勝ちグセ。サンデー恋すぽ (レギュラー)
  • ほこ×たて(2011年9月19日、フジテレビ) - 「必ず割れる防犯ボール」を「どんな衝撃も吸収して壊さない衝撃吸収マット」に正確に投げ込む役割を担当した。しかし、3mの距離から2投なげて1球外し、4mからは1球投げて外しており、合計3球投げて1球しかマットに当てられなかった。2002年 - 2008年のユニフォームを着用して出演したが、背番号は2002年 - 2004年のコーチ時代の「73」ではなく現役時代の「20」となっていた。
  • PRICELESS〜あるわけねぇだろ、んなもん!〜(フジテレビ) - 本人の出演シーンはないが、話の中に彼のサインボールが登場しており、協力という形でクレジットされた。
  • 探偵!ナイトスクープ(2012年4月6日、朝日放送)
  • 爆報! THE フライデー(2014年8月22日、TBS) - 現在農業にハマっていることを明かし、自身が育てた野菜などが紹介された。
  • 虎バン(2014年10月5日、朝日放送)
  • 流星ワゴン(2015年3月22日、TBS)- 連続テレビドラマの最終回に漁師役として特別出演。
  • 北別府学の裏ブログ(2013年1月-2016年12月、広島FM)
  • 有吉ゼミ(2017年6月5日、日本テレビ)
  • HOME Jステーション( - 2018年4月2日、広島ホームテレビ) 月曜レギュラー
  • ひろしま深掘りライブ フロントドア(広島ホームテレビ、毎週土曜) レギュラー出演
  • みみよりライブ 5up!(2018年4月 - 、広島ホームテレビ) 月曜レギュラー
  • ジュンテンドー くらしの情報マップ(広島ホームテレビ)レギュラー出演

著書

単著
  • CARPはなぜCSに出られないのか・・・ 手を伸ばせば、すぐそこに・・・(2013年4月、ザメディアジョン)
  • カープ魂~優勝するために必要なこと~ (光文社新書)(2015年11月、光文社)
共著
  • 北別府学それでも逃げない―二十世紀最後の200勝投手(2007年9月、グラフ社) 友野康治との共著

漫画・アニメ

  • 野球狂の詩 - 漫画・アニメ双方に登場。その他の漫画にもモデルとなった人物は複数登場。

講師

  • 安田女子大学 非常勤講師デイリースポーツ広島版2018年1月9日22面「あの人〜ネクストステージ〜 北別府学」. 2018年1月9日閲覧。

関連項目

  • 鹿児島県出身の人物一覧
  • 広島東洋カープの選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2021/09/05 21:03 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「北別府学」の人物情報へ