アルバート・リー : ウィキペディア(Wikipedia)

アルバート・リー(Albert Lee、1943年12月21日-)は、イギリス出身のギタリスト。カントリー、R&B、ロック等の分野で活動。卓越したテクニックと幅広い音楽性から、「Guitar player's guitar player」と評されたCountry Boy: A Biography of Albert Lee: Amazon.co.uk: Derek Watts: Books - 2013年6月15日閲覧。

来歴

アルバートの父はピアノとアコーディオンを弾き、アルバートも7歳でピアノを始めるが、その後バディ・ホリーに影響を受けてギターに転向し、16歳でプロとしての活動を開始。

1960年代には、ニール・クリスチャンのバック・バンドにジミー・ペイジの後任として加入した後、クリス・ファーロウ(後にコロシアムやアトミック・ルースターで活動するシンガー)のバック・バンドであるサンダーバーズの一員として名を高める。サンダーバーズには、カール・パーマーも一時在籍していたCarl Palmer Biography(allmusic.com)

1970年にヘッズ・ハンズ&フィートというカントリー・ロック・バンドを結成。また、1970年にはグリーン・ブルフロッグという覆面セッション・バンドに参加し、1971年に同名のアルバムが発表される。グリーン・ブルフロッグにはリッチー・ブラックモア、ビッグ・ジム・サリヴァン、イアン・ペイス等も名を連ねていたGreen Bullfrog(allmusic.com)

ヘッズ・ハンズ&フィート解散後の1974年、アメリカ合衆国カリフォルニア州に渡る。同地でもセッション・ギタリストとして高く評価され、ジョー・コッカーエミルー・ハリス等と共演。また、ソロ・アーティストとしてA&Mレコードとの契約を得る。

1979年、エリック・クラプトンのバック・バンドに加入。同年、A&Mから初のソロ・アルバム『ハイディング』を発表。同作収録曲「カントリー・ボーイ」は、1984年にリッキー・スキャッグスにカバーされ、翌年にはリッキーのシングル・バージョンがビルボード誌のカントリー・チャートで1位となった。クラプトンのライブ・アルバム『ジャスト・ワン・ナイト〜エリック・クラプトン・ライヴ・アット武道館〜』でも、『ハイディング』収録曲「セッティング・ミー・アップ」(ダイアー・ストレイツのカバー)でアルバートのリード・ボーカルが聴ける。

1983年、エヴァリー・ブラザーズの再結成コンサートでバックを務める。1990年代以降は、ホーガンズ・ヒーローズや、ビル・ワイマン率いるリズム・キングスで活動。2002年、ジョージ・ハリスンの追悼コンサート「コンサート・フォー・ジョージ」に出演。

ディスコグラフィ

ソロ・アルバム

※はAlbert Lee & Hogan Heroes名義。

  • Hiding(1979年)
  • Albert Lee(1982年)
  • Speechless(1987年)
  • Gagged But Not Bound(1988年)
  • In Full Flight: Live At Montreux(1994年、※)
  • Tear It Up(2002年、※)
  • Heartbreak Hill(2003年)
  • Live In Paris(2004年、※)
  • Road Runner(2006年)
  • In Between The Cracks(2007年、※)
  • Live At The New Morning(2007年、※)
  • Like This(2008年、※)

ヘッズ・ハンズ&フィート

  • Heads Hands & Feet(1971年)
  • Tracks(1972年)
  • Old Soldiers Never Die(1973年)

注釈

外部リンク

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