エディ・クレイマー : ウィキペディア(Wikipedia)

エディ・クレイマー(Edwin H."Eddie"Kramer, 1942年4月19日 - )は、南アフリカ・ケープタウン出身の音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニア。

経歴

幼少~1960年代

幼少期からピアノ、チェロ、バイオリンを習い、名門南アフリカ音楽大学でクラシック・ピアノを学ぶが、徐々にジャズに傾倒。19歳の時にイングランドに移住すると、ハイ・ファイ機器を導入したホームスタジオで、趣味として地元のジャズ・バンドの録音などを手がける。

1964年にパイ・スタジオのスタッフとなり、サミー・デイヴィスJr.ペトゥラ・クラーク、キンクスなどのレコーディングに関わる。1965年にはKPSスタジオを設立、また新しい4トラック・スタジオ建設のためにリージェント・スタジオに雇われた。 その後、ロンドンのオリンピック・スタジオに参加、トラフィック、スモール・フェイセズ、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ジミ・ヘンドリックスらの録音に参加。とりわけ、『アー・ユー・エクスペリエンスト?』から『クライ・オヴ・ラヴ』までのすべてのアルバムの制作に関わったヘンドリックスとの仕事は有名で、ヘンドリックスの死後も、ダガー・レコードから発売された『レインボウ・ブリッジ』('71年)、『戦場の勇士たち』('72年) 、『ヘンドリックス・イン・ザ・ウエスト』('72年)などのプロデュースを手がけた。

1968年にニューヨークのレコード・プラント・スタジオに移り、ヘンドリックスの『エレクトリック・レディランド』のエンジニアリングのほか、ヴァニラ・ファッジ、ジョー・コッカー、NRBQなどのアルバム制作を担当。

1968年からはフリーとなり、『レッド・ツェッペリン II』のエンジニアリングを手がける(このアルバムでの仕事を皮切りに、クレイマーは計5枚のレッド・ツェッペリンのアルバムに関わることになった)。 1969年中頃には、ウッドストック・フェスティバルのアルバム、映画両方を担当した。

1970年代

クレイマーは1970年から1974年にかけてエレクトリック・レディ・スタジオのプロデューサー、エンジニアを務め、ジミ・ヘンドリックスの作品のほか、カーリー・サイモン、シャ・ナ・ナ、ピーター・フランプトンなどを手がけた。

1975年には、キッスの初のライヴ・アルバム『地獄の狂獣 キッス・ライヴ』のプロデュースを担当。その後永く続くキッスとの関係が始まったほか、レッド・ツェッペリンの『永遠の詩』、フランプトンの『フランプトン・カムズ・アライヴ!』などのエンジニアリングを担当した。

1980年代~現在

80年代にはファストウェイ、アンスラックス、トゥイステッド・シスター、LOUDNESSらHR/HM領域のアーティストを多数手がけたほか、1993年には、ザ・キュアー、エリック・クラプトンバディ・ガイジェフ・ベック、プリテンダーズ、スラッシュポール・ロジャースパット・メセニーら豪華な顔ぶれが参加した、ジミ・ヘンドリックス・トリビュート・アルバム『[[:en:Stone Free: A Tribute to Jimi Hendrix|ストーン・フリー]]』に収録されたいくつかの曲をプロデュースした。

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2021/09/03 14:32 UTC (変更履歴
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