佐藤亮太 : ウィキペディア(Wikipedia)

佐藤 亮太(さとう りょうた、1983年9月2日 - )は、長野県長野市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は中日ドラゴンズの打撃投手を務めている。

チーム内に同姓の佐藤充がいたので、スコアボードや新聞の表記は「佐藤亮」とされていた。

来歴

プロ入り前

小学校4年で大豆島少年野球クラブで始め、更北中学校で投手2006プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社。長野日大高では3年夏ベスト8。國學院大學へ進学。東都大学野球2部リーグで2年秋にはチームが優勝し、入替戦では先輩の梅津智弘、伊藤義弘の後に登板した。以降も2部で4年春に5勝。1年下の嶋基宏とバッテリーを組んだ。

その後、2005年の大学生・社会人ドラフトで中日ドラゴンズから7巡目指名を受けて入団。即戦力左腕として期待された。

プロ入り後

ルーキーイヤーのはチームのリーグ最終戦に登板したのみであった。は4月にプロ初先発を果たすが、敗戦投手となりその1試合のみの登板に終わった。

は最多の4試合に出場し2試合に先発。しかしプロ初勝利をすることはなく終わった。オフにはドミニカ・ウィンターリーグに派遣され、エストレージャス・デル・オリエンテに前田章宏と所属。4試合に登板した。

は、春季キャンプは一軍スタートであったが、開幕は二軍で迎える。同年11月2日に戦力外通告を受け、中日の打撃投手へと転身することが決まった。から打撃投手兼記録ビデオ担当。

プレースタイル

130km/h台後半~140km/h台前半の直球と、スライダー・カーブ・スクリューなどの多彩な変化球を投げ分ける軟投派。

詳細情報

年度別投手成績

中日100000000----61.030000200000.003.00
110000100.000152.260100400500.002.63
420000100.0005612.2132203600774.971.18
通算:3年630000200.0007716.122230312001273.861.53

記録

  • 初登板:2006年10月16日、対広島東洋カープ22回戦(広島市民球場)、6回裏に2番手で救援登板、1回無失点
  • 初奪三振:同上、6回裏に森笠繁から空振り三振
  • 初先発:2007年4月7日、対横浜ベイスターズ2回戦(ナゴヤドーム)、2回2/3を5失点(自責点0)で敗戦投手

背番号

  • 50 (2006年 - 2009年)
  • 121 (2010年 - )

関連項目

  • 長野県出身の人物一覧
  • 國學院大學の人物一覧
  • 中日ドラゴンズの選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/04/15 17:10 UTC (変更履歴
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