安田匡裕 : ウィキペディア(Wikipedia)

安田 匡裕(やすだ まさひろ、1943年11月14日 - 2009年3月8日)は、日本の映画やCMのプロデューサー・ディレクター。兵庫県香住町出身。

経歴

明治大学卒業後に電通映画社に入社、ディレクターとして多くのテレビコマーシャルの企画・演出に携わる(レナウン「シンプルライフ」高倉健出演他)。

同社退社後、CFプロデューサー檀太郎と1984年に株式会社スケールを設立する。

1987年にテレビコマーシャルの制作を中心とする制作プロダクション、株式会社エンジンフイルムを設立する。

設立後、現役の演出家としてテレビコマーシャルの制作に関わる一方で、映画のプロデュースにも意欲を示し、親交のあった相米慎二監督の『東京上空いらっしゃいませ』で初の企画、プロデュースを果たす。

以降、相米監督作品『お引越し』、『夏の庭 The Friends』をプロデュースし、映画の製作に本格的に携わりだす。

1999年には是枝裕和監督作品『ワンダフルライフ』をプロデュースし、続いて『誰も知らない』、『歩いても 歩いても』など、『空気人形』に至るまでの是枝監督作品の企画・製作者として欠かせない存在となる。

また、西川美和監督のデビュー作『蛇イチゴ』をプロデュース、以後『ゆれる』、『ディア・ドクター』を企画・製作し、映画監督としての西川監督の成長を支援する。

これまで企画・製作で関わった映画は24作品。 なお2009年、『歩いても 歩いても』の製作に対し、第28回藤本賞特別賞を、『ディア・ドクター』企画に対し、日本映画製作者協会 (協同組合)主催の新藤兼人賞SARVH賞2009(年間最優秀プロデューサー賞)を受賞する。

2009年3月に脳梗塞による急性心筋梗塞のため死去(享年65)。

人物

  • 師匠にはテレビCFの青春時代を築いたディレクターである松尾真吾(レナウン「イエイエ」他)。
  • 松尾氏のCFに込められた「いつもよい日は明日」とのメッセージの影響は、後年映画製作に携わった時の「ラストは希望」という企画の信念に通底している。
  • 同僚や後輩に、川崎徹、関谷宗介、弟子に本田昌広、左近充秀一、黒田秀樹などのディレクターがいる。

受賞

歩いても 歩いても

  • 第28回藤本賞・特別賞

ディア・ドクター

  • 2009年度日本映画製作者協会SARVH賞(年間最優秀プロデューサー賞)

作品

映画

  • 東京上空いらっしゃいませ  プロデューサー(1990年)
  • お引越し  製作(1993年)
  • 夏の庭 The Friends  製作(1994年)
  • 四姉妹物語  製作(1995年)
  • MISTY (1997年)
  • ワンダフルライフ (1999年)
  • ホワイトアウト (2000年)
  • はつ恋 製作(2000年)
  • ekiden 駅伝 製作(2000年)
  • 好き (2000年)
  • DISTANCE (2001年)
  • Quartet カルテット 製作(2001年)
  • ココニイルコト 製作(2001年)
  • カクト 企画(2002年)
  • ソウル (2002年)
  • 卒業 (2002年)
  • 蛇イチゴ 製作(2003年)
  • ジャンプ 製作(2003年)
  • 深呼吸の必要  製作(2004年)
  • 雨よりせつなく 製作(2004年)
  • 誰も知らない 企画(2004年)
  • 亡国のイージス (2005年)
  • 花よりもなほ 企画(2006年)
  • ゆれる 企画(2006年)
  • 地下鉄(メトロ)に乗って (2006年)
  • 幸福な食卓 (2007年)
  • 鳳凰 わが愛 (2007年)
  • 伝染歌 (2007年)
  • 歩いても 歩いても  企画(2007年)
  • ディア・ドクター  企画・製作(2009年)
  • 空気人形  企画(2009年)
  • おにいちゃんのハナビ  企画(2010年)

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/02/23 07:50 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「安田匡裕」の人物情報へ