平野和子 : ウィキペディア(Wikipedia)

平野 和子(ひらの かずこ)は1962年(昭和37年)のミス・ユニバース日本代表である。

来歴・人物

京都府京都市出身。ファッションモデルだった19歳のときミス・ユニバース、ミス・ワールド、ミス・インターナショナルの各日本代表を選ぶ「ミス日本コンテスト」に応募し、京都代表となった。1962年(昭和37年)6月14日、大阪市のフェスティバルホールで開かれた全国大会でミス・ユニバース日本代表に選出された。ミス・ワールド日本代表には兵庫代表の池田照子、ミス・インターナショナル日本代表には東京代表の牧かほるが選出された三人の「ミス日本」きまる『朝日新聞』1962年6月15日11面。平野は翌月にアメリカ合衆国のマイアミビーチで開かれたミス・ユニバース世界大会に出場したが、入賞を果たすことは出来なかった。

1967年(昭和42年)日用品の卸問屋を営む男性と結婚し、1974年(昭和49年)時点で5歳の息子と6歳と3歳の娘がいた。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/04/02 05:39 UTC (変更履歴
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