小坂巌 : ウィキペディア(Wikipedia)

小坂 巖(こさか いわお、1931年 - )は長野県須坂市出身のフリーアナウンサー、競馬ジャーナリスト。

経歴

1954年、日本短波放送にアナウンサーの第1期生として入社。1956年の『中央競馬実況中継』開始に伴い、実況アナウンサーを務めた。

東京優駿(日本ダービー)では1年おきに実況を務めたほか、1964年の菊花賞ではシンザンによる中央競馬史上2頭目のクラシック三冠達成の瞬間を伝えた。このときは道中での様子から「シンザン、どうやらこれで、三冠馬ダメか」、「シンザン、どうやら三冠できそうにない」と実況してしまい、忘れられないと語っている。また、俗に「シンザンが消えた」という文句で知られる翌1965年の有馬記念の実況も小坂が担当している。

1970年公開の東映映画『日本ダービー 勝負』では実況アナウンサー役として出演した。

1971年に日本短波放送を退社し、フリーアナウンサーとしてラジオ関東や朝日放送ラジオで活動。1975年からはテレビ東京の『土曜競馬中継』にキャスターとして携わり、1992年まで務めた。

日本中央競馬会による衛星放送「グリーンチャンネル」開局後は、日曜午後の中継キャスターを務めた。

フリーとなって以降は『競馬ニホン』や『ダービーニュース』等に取材記事を寄稿する競馬記者としての一面もあった。

また1974年には、当時の競馬ブームの主役となっていたハイセイコーの引退を記念し製作された楽曲「さらばハイセイコー」の作詞を担当、45万枚を売り上げるヒット曲となった。

主な実況歴(判明分)

日本短波放送時代

GI級レース
  • 桜花賞(1961年、1965年)
  • 皐月賞(1966年、1967年、1970年)
  • 優駿牝馬(1961年、1964年、1966年、1968年)5月と言えばオークスとシンガポール
  • 東京優駿(1961年〜1963年、1965年、1969年)
  • スプリンターズステークス(1969年)
  • 菊花賞(1964年)
  • 有馬記念(1965年、1968年)
GI級レース(海外)
  • ワシントンDCインターナショナル(1969年)
その他
  • 京成杯(1966年)
  • 福島記念(1965年)
  • 毎日王冠(1969年)

フリー転向後

GI級レース
  • 優駿牝馬(1975年)
その他
  • 京王杯スプリングハンデキャップ(1982年)

注釈・出典

参考文献

  • 『優駿』2000年7月号(日本中央競馬会)
    • 結城恵助「小坂巖氏に聞く - 21世紀に語り継ぎたい名馬100選(5)」

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/09/10 00:37 UTC (変更履歴
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