桑島正美 : ウィキペディア(Wikipedia)

桑島 正美(くわしま まさみJAF 国内競技検索 ドライバー詳細(カテゴリ別) - 2011年10月13日閲覧、1950年9月14日 - )は、日本の元カーレーサー。埼玉県出身。1970年代に国内外のレースで活躍し、「黒い稲妻」の異名をもつ。

略歴

レース活動

1969年、不動産業を営む父親の支援を受け、富士フレッシュマンレースにデビュー。黒いヘルメットで黒塗りのフェアレディZ432に乗り、ワークスマシンを食う走りをみせ、トニー・ザイラーの映画にちなんで「黒い稲妻」と呼ばれる。

1970年、柳田春人とともに招待選手としてブラジル・インテルラゴスでのレースに出場した(優勝者はエマーソン・フィッティパルディ)。これ以後、海外レース挑戦を志望する。1972年にイギリスに渡り、プライベートチームを結成。イギリスF3選手権に参戦し、シルバーストンのレースで優勝する。1973年はイギリスだけでなくフランスF3選手権にも参戦。モナコGPの前座F3レースでは一時3位を走行した。イギリスF3で順位を争った選手にはトム・プライスアラン・ジョーンズ、ロジャー・ウィリアムソン、ジェームス・ハント、ブライアン・ヘントンなどのちにF1世界選手権にデビューする選手が多くいた。

1974年にはヨーロッパF2選手権にステップアップし、パトリック・デパイエ、ハンス=ヨアヒム・スタック、ジャック・ラフィーらと競い合った(最高4位、年間14位)。この年富士スピードウェイで行われたF1デモンストレーション走行では、ブラバムに乗る機会を得た原富治雄 ヘルメットに描いた挑戦の証 STINGER blog(2012年8月11日)2012年12月5日閲覧。。

1975年半ば、活動資金が苦しくなりヨーロッパでの活動を終え、以後は日本国内の富士グランチャンピオンレースや全日本F2000選手権、全日本F2選手権に参戦する。甘いマスクで人気を博し、芸能人との交遊関係もあった。岩城滉一主演映画『爆発! 暴走遊戯爆発! 暴走遊戯(Movie Walker)』(1976年)への出演やレコード吹込みなど芸能活動も行った。

1976年、日本初開催のF1世界選手権イン・ジャパンへの出場を計画し、ウィンライターの支援を得る。RAMからブラバムのマシンをレンタルしようと交渉し、その後ウィリアムズからスポット参戦することになるF3時代の1973年にもウィリアムズからテスト参加を誘われたが、この時は当時のウィリアムズの窮状を知る知人からの助言で断った。。予選初日に走行したが、チームに支払うスポンサーマネーが持ち逃げされるというトラブルにより、予選2日目にシートを失う。ともにヨーロッパで戦った生沢徹、風戸裕と同じく、念願のF1デビューは果たせなかったF1では決勝出走しなければ公式戦デビュー扱いとならない。。

1979年、覚醒剤取引きに関与したとして摘発され、競技ライセンス3年停止処分を受け、レース界から去った。事件の真相については、芸能界に顔が利くようになっていた桑島が知人から「覚醒剤の売りさばき先を見つけてくれ」と依頼され、会社経営者を紹介して見本を渡した井出耕也 『むかし、狼が走った サーキットの青春群像60's〜70's』、双葉社、2000年、230-231頁。。桑島は後に「自分は仲介役だけだったが、有名人になっていたので大きな事件にされてしまった」と述べている。

引退後

元トヨタワークスの大坪善男やビクトリーサークルクラブ (VICIC) の本田耕介らが桑島のレース界復帰を後援しようとしたが「ノスタルジックピープル第7回 桑島正美 PART2」『ノスタルジックヒーロー 2002年4月号』 芸文社、2002年、108頁。、桑島自身が覚醒剤中毒になって療養施設へ入院したり、タクシー運転手への暴力沙汰を起こすなど、私生活のトラブルにより実現しなかった。その後は家庭を持って更生し、調理師免許の取得や、いくつかの事業に関わったりした。

2012年6月、大磯ロングビーチ駐車場にて行われた「第47回SHCC大磯ミーティング」にゲストとして招かれ、クラシック・チーム・ロータス・ジャパンが所有するロータス・78をドライブした第47回SHCC大磯ミーティング 3rd JUN.2012 - CLASSIC TEAM LOTUS(2012年7月2日閲覧)。レーシングカーに乗るのは33年ぶり、F1マシンに触れるのは1976年以来という久々の走行となった。また、同年11月のJAFグランプリ 富士スプリントカップで行われたレジェンドカップに参加した。

レース戦績

イギリス・フォーミュラ3選手権

BRSCC Lomberd North Central Formula 3 Championship

チーム シャシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 順位 ポイント
1972年 GRSインターナショナルGRD・372フォードBRHSNERUF 7位 17
Reystan RacingOULTHRBRHBRH MALBRHOULSILCADBRH
1973年フォード・TCBRHSILSNE 11位 7
マーチ・733BRHSILSNE MALOULMALSILOULBRH
  • 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ (key)。

BRSCC Formula 3 Championship

チーム シャシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 順位 ポイント
1972年 GRSインターナショナルGRD・372フォードBRHOUL MAL NC 0
Reystan RacingSILZANMON MAL ANDBRHLECOUL MALSNEBRH
1973年フォード・TCSILOULOUL 6位 76
マーチ・733MAL'ZAN'MONLECSILBRHLECBRHOUL MALBRH

※1972年のシリーズ名称はShellシリーズ、1973年はJohn Playerシリーズ。

BARC Forward Trust Formula 3 Championship

チーム シャシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 順位 Pts
1972年 Reystan Racing GRD・372 フォードMALSILSILSILTHRCADTHRTHRPALTHRTHR 19位 3
1973年THRSNEMALBRHSIL10位11
マーチ・733THRCADTHRCROBRHCASSILTHRTHR

ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権

チーム シャシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 順位 ポイント
1973年 Reystan Racing マーチ・732BMW M12/6 MAL HOC THR NÜR PAU KIN NIV HOC ROU MNZ MAN KAR PER SAL NOR ALB VLL NC-
1974年 マサミ・クワシマ・レーシング マーチ・742 BAR HOC PAU ZOL HOC MUG KAR PER HOC VLL14位4
1975年 マーチ・752ESTTHR HOC NÜR PAU HOC SAL ROU MUG PER NC 0
Fred Opert Racing シェブロン・B29 コスワース SIL
プロジェクトスリー・レーシング マーチ・752 BMW・M12/6 SIL ZOL NOG VLL

フォーミュラ1

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 WDC ポイント
1976年 ウィリアムズ/ウルフ FW05 BRA RSA USW ESP BEL MON SWE FRA GBR GER AUT NED ITA CAN USA JPNDNS NC 0

()

全日本F2選手権

所属チーム 使用車両 エンジン タイヤ 車番 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
1974年 SANYO マーチ クワシマ マーチ・742 BMW M12/6 10SUZSUZSUZSUZ3位12
1975年 エレクトロラックス クワシマレーシング マーチ・742 8 FSW SUZ FSW SUZ SUZ4位30
1976年 エレクトロラックス 酒井レーシング マーチ・752 BMW M12/7 6FSWSUZFSWSUZSUZ 11位 8
1977年 スリーボンド 酒井レーシング ノバ・522 12SUZSUZNISSUZ FSWFSWSUZSUZ 5位 46
1978年 ワールドモーターSPL 酒井レーシング ラルト・RT1 66 SUZ FSW SUZ 11位 11
シェブロン・B40 SUZ SUZ
ノバ・532P SUZ
1979年 ウォルター・ウルフ・レーシング マーチ・782 66 SUZ NIS SUZ FSW SUZ SUZ SUZ 12位 11

外部リンク

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