渡辺三郎 : ウィキペディア(Wikipedia)

渡辺 三郎(わたなべ さぶろう、1926年12月23日 - 2003年2月14日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(5期)。山形県議会議員(2期)。1998年勲二等瑞宝章受賞「春の叙勲 県内から56人」『朝日新聞』山形版 1998年4月29日。

経歴・人物

山形県米沢市出身。1944年米沢商業高等学校卒。社会党に入党し1966年山形県議に当選。

党公認として1972年の第33回衆議院議員総選挙旧山形1区から出馬。当選して5期務める。労働関連に精力を傾け、党国会対策副委員長などを歴任した。

1986年の第38回衆議院議員総選挙では交代を求める声や、党内の勢力比などから、党県本部は渡辺をおろし、新顔の五十嵐恒男を擁立するが、党の公認が得られないまま無所属で出馬。除名処分となり「社会党山形本部 渡辺三郎氏を除名」『朝日新聞』1986年6月22日、落選した。

2003年2月14日、気管支肺炎のため死去。享年76『朝日新聞』2003年2月16日。

著書

  • 『新中国の現実』渡辺三郎、1961年。

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