是枝裕和監督&安藤サクラ、「成熟」と「幸せ」の共犯関係【「怪物」インタビュー】

2023年6月5日 18:00


取材に応じた是枝裕和監督と安藤サクラ
取材に応じた是枝裕和監督と安藤サクラ

世界中の映画ファンが動向を気にかける存在となった是枝裕和監督の最新作「怪物」(公開中)は、新たなチャレンジを多く取り入れた、刺激的なスパイス薫る作品に仕上がった。第76回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に選出され、5月17日(現地時間)に公式上映。28年ぶりに脚本を他者(坂元裕二)に委ねて挑んだことで、是枝監督にどのような変化が生じたのだろうか……。「万引き家族」に続きタッグを組む安藤サクラとともに話を聞いた。(取材・文/大塚史貴、写真/間庭裕基)

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是枝監督と時代を牽引する脚本家・坂元裕二が初めて作品を通じて対峙し、さらに音楽を故坂本龍一さんが手がけるという奇跡的な組み合わせが、多くの映画ファンの知的好奇心を揺さぶったことは想像に難くない。企画そのものは坂元と山田兼司プロデューサーが開発に入り、後から川村元気もプロデューサーとして参加。最後に、是枝監督のもとに話が持ち込まれたという。


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■是枝監督が監督に専念するのは28年ぶり

是枝監督にとっては、宮本輝の小説を映画化したデビュー作「幻の光」以来、28年ぶりに監督に専念することになった。そのことで、是枝監督に何か変化はあったのだろうか。

是枝「2018年の暮れにオファーをいただいてから、コロナ禍にあって坂元さん、川村さん、山田さんと4人で脚本を練る時間が3年ほどあったんです。自分から始まった物語ではないけれど、委ねたという感覚ともまた違うんですよ。自分が書いているときと、現場に入った段階で違和感があったかというと、ない。クリアに、迷い過ぎることなく現場に立てたかなという気がしています」

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安藤「監督とご一緒したのは、『万引き家族』と『怪物』の2作ですが、『万引き家族』のときは私自身、監督に相談したり会話を交わして……という時間が持てなかったんですね。今回は、相談こそしなかったけれど、たくさんコミュニケーションを取ることができました。それは初めてと二度目の違いだと思う。監督と女優という関係ではなく、一緒に過ごした時間で距離感は全然変わってくるじゃないですか。

万引き家族』のときは、私の中で動いていくキャラクターというか、生きたものをどう形にしていくか……。役柄を常に動かしながら、私の中で静かに探していく感じでした。『怪物』は、坂元さんの本が前提としてあるなかでテイクを重ねたり、肉体を使って具体的にキャラクターを動かしてみたりしながら選択していく印象で、そういう違いがあったんです」


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22年11月に今作の製作が発表された際、サイレンが鳴り響くなかで「怪物だ~れだ?」とつぶやく少年の声が不穏な余韻をもたらす、短い特別映像が公開され大きな話題を呼んだ。

改めてタイトルに込められた意味を吟味してみようと、広辞苑で「怪物」の項目を開いてみると、「怪しい物。ばけもの」「性質・行動などの測りがたく、力量の衆にすぐれた人」とあった。今作で描かれる「怪物」とは誰を指すのか、何をもってして「怪物」と定めるのか、本編の多面的な要素が回答を拒否するかのごとく、観る者の心に楔を打ち込んでくる。

今作の舞台となるのは、大きな湖のある郊外の町。息子を愛するシングルマザー、生徒思いの小学校教師、そして無邪気な子どもたちが平穏な日常を送っている。ある日、学校でケンカが起きる。それはよくある子ども同士のケンカに見えたが、当人たちの主張は食い違い、それが次第に社会やメディアをも巻き込んだ大事へと発展していく。そしてある嵐の朝、子どもたちがこつ然と姿を消してしまう……。


■世界中から祝福された「万引き家族」に続くタッグ
安藤サクラにプレッシャーは?

安藤が今作で息吹を注いだのは、事故で夫を失いながらも11歳になる息子・湊(黒川想矢)を懸命に育てる麦野早織。「万引き家族」が第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で、最高賞のパルムドールを受賞した際、審査委員長を務めたケイト・ブランシェットは安藤の芝居を絶賛している。特に泣くシーンを挙げ、「今回の審査員の私たちが、これから撮る映画の中であの泣き方をしたら、安藤サクラの真似をしたと思ってください」と公言したほどだ。

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世界中の人々から祝福された特別な作品の後に、再び是枝監督と仕事を共にすることにプレッシャーや葛藤を抱くことはなかったのか聞いてみると、安藤は穏やかな面持ちで語り始めた。

安藤「お話をいただいたのがコロナ前の時期だったのですが、正直すごく嬉しかったんです。こんなに早く、また監督とご一緒できるとは思っていなかったので、純粋に嬉しくて。今でこそ5年くらい経ちましたが、あの当時は割と『万引き家族』直後だったので、私にとってはハードルが高いというか、嬉しいけれど嬉しいだけではできないというか……。なかなか踏ん切りがつかなかったところはありました」

■是枝監督も実感するチームの「成熟」

万引き家族」の取材で顔を合わせた安藤は、是枝組について「どこからも圧が伝わってくることがない。だからすごく楽にカメラの前にいられた」と筆者に語っていた。今作では、是枝組に初参加となるスタッフもいるなかで、現場の空気がいかなるものであったか安藤節で説明してもらった。

安藤「『怪物』の現場は、さらに圧がなくなっていて(笑)。私はひとつのシーンでテイクを重ねていって『もう1回!』となると、それがどんな現場であっても『私の何が悪いんだろう……、ああ、ダメだ』と不安な気持ちやプレッシャーを感じてしまうのですが、この現場では一切そういうことがなく、テイクを重ねていくことが楽しくて仕方がなかった。それは現場にいるみんなが、どのポジションであろうと意見を出せるからなのかな。監督がその意見を受け止めたうえで現場を作ってくださるので、私だけじゃなくて全員が感じていることだと思います」

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昨年、「ベイビー・ブローカー」の取材で、是枝監督は「作り手としては、“自分らしさ”みたいなものと闘うということが必要で、ちょっと“自分らしさ”というものに飽きているところがあるんですよ。60代を迎えたときに、自分らしさと評価されたものを否定するつもりはないけれど、どう更新して先に行くか……というのがひとつの闘いだと思います」と語っている。

今作では坂元の脚本だけでなく、「一緒に仕事をするまでは水と油だと思っていたけれど、すごく仕事がしやすい」と話す川村とのタッグ、演技経験のある子役に脚本を渡してリハーサルを重ねながらの役作り、現場でシーンやセリフを加筆修正しなかったなど、これまでにない要素が幾つも見受けられる。作品のためならばどこまでも風通しの良い是枝組は、ここ数年で若いスタッフにも様々な現場を経験させることで、是枝監督自身も「成熟」を実感している場面があったという。

是枝「初号試写を観たときに、美術の三ツ松けいこさんが泣きながら出てきて、『スタッフのみんながとっても良い仕事をしていますねえ』って言ってくれてね」

安藤「なんか泣けてくる……」

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是枝「監督としては、スタッフがそう言ってくれることが嬉しいんだよね。本編で、湊が病院から出てきて走り出すシーンがあるんだけど、昼間に一度リハーサルをしたんです。僕の演出プランとしては湊がしゃがみこんで、早織が顔をのぞき込んで『どうしたの?』って聞く……という流れの芝居を前提に、照明を仕込んで夜の撮影に備えたんです。

ただ、リハーサルをもう一度やったときに『あれ? なんかもうひとつだな』って、多分みんな思ったんだよね。それで、『しゃがまなくてもいいよ』と言ったら、湊が走り出して、置いて行かれた早織も走り出した。『あ、こっちだ!』と思ったんだけど、そこまで照明を仕込んでいなかった。そこで、やばい! これは僕のミスだなと。

一番簡単なのは、元通りに戻して撮るというのが妥協案。ナイターだし、今日撮り切らないと大変なのは皆わかっている。でも、スタッフの側から『今の方が絶対に良いから、仕切り直しましょう。照明を追加で仕込むから別日にしてほしい』と言ってきてくれた。それに対して、制作部も嫌な顔をせずに対応してくれた。それって大変なんですよ。撮影の許可取りも全部やり直しだから。それでも『これじゃあ無理だ』って誰も言わず、良い組だな、成熟したなって思いましたね。すごく大事なシーンだったんだけど、本当にみんなの力だったと思います」

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安藤「あの瞬間のみんなの顔、すごく覚えています。私も『めっちゃ早く走って、もっと早く引き止めればいけるんじゃないですか?』って言ったし、みんなが色々な提案をしていましたよね。それくらい、スタッフが見ていて心が動くシーンだったんだなって感じましたし、最初に脚本を読んだときと、実際に演じてみたときの印象が随分違って、深いシーンになりました。このシーンに限らず、この作品は脚本をみんなで超えたと感じていたからこそ、本編を観たときは感動しましたね」


安藤サクラからの子役への絶妙なフォロー

新型コロナウイルスの影響で撮影の順番が当初の予定から前後したそうだが、フランスと韓国での映画製作を経て、是枝監督にとっては5年ぶりにメガホンをとった日本映画。昨春の「ベイビー・ブローカー」取材時は、「韓国のやり方が全て素晴らしいわけではないと思っていますが、現場の進め方は完全にアメリカ方式。管理も含めて徹底されている。働く環境としては、日本と比べものにならないくらいきちんとしている」と明かしている。

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是枝「まだ完璧ではないけれど、ちゃんとスタッフに休みを取ってもらうということは出来るようになってきたかな。『怪物』はコロナの影響もあって難しい局面もあったのですが、子どもの体調管理も含めて、一歩ずつですがある程度のところまでは進められてきているように思います。ただ、韓国みたいに上限を作って週52時間までって、バサッと切るところまではいけていないから、少しずつですね。

難しいのは、僕や撮影の近藤龍人さんは休まなくてもいいタイプだったりするんです。意識的に自分の助手を休ませようと思わないと。近藤さんなんて、食事を15分で済ませてすぐに現場に行っちゃうので、止めないと助手たちも行かざるを得ない。それを見ていると、『きっと自分もこうなんだろうな』と思うわけです。どう意識的に自分の生理と違う形で現場を見るかというのは大事だよね。もう現場で最年長になってきちゃったから。

今回の現場では、『万引き家族』でAP(アシスタントプロデューサー)だった伴瀬萌さんがプロデューサーになって、現場を統括してくれている。まだ30歳。年長者にも臆することなく話ができるようになってきているし、世代が少しずつ変わりながら良い現場になってきていると思っています。だから、何か言われたら言うことを聞きますよ(笑)」

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撮影中、安藤は息子役の黒川のケアも担っていたそうで、是枝監督は「監督と女優さんという以上に、現場にいる子どもをどうケアしながらお芝居をしていくかというのを、手伝ってくれたんですよ」と全幅の信頼を寄せる。

安藤「全然していませんよ(笑)。物理的な意味では瑛太くんの方が遊んでくれたりしていましたし」

是枝「サクラさんは、撮影が終わって帰りのバスで『想矢が今のOKに納得していないから、ホテルに戻った時に声をかけてあげてください』って、LINEをくれるんです」

安藤「子役の撮影は20時までに終わらせないといけないので、バタバタしていて『今の良かった! OK!』って言える時間がなかったんです。大人でも分かるけど、他のシーンで『OK! いいよ今の!』と言ってくれていたのに、その日の最後のシーンで軽く『OK』みたいな感じで終わると『あれ? 自分の時間のせいで妥協したのかな? そんなにOKじゃなかったのかも』って思っちゃうタイプ。だから『今のOKだったよ』って、誰かがフォローしないと。私がOKと言っても、彼には響かないから」

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是枝「すごく気にする子だったんです。別に妥協したわけじゃないからねって伝えて、それでも納得しなければ翌日に撮ったものを直接見せたりもしました。彼はどうしても、お芝居の最初から最後まで、トータルのOKを出したいタイプ。だけど編集を考えると、ここまではさっきのテイクを使って、ここからはこれを組み合わせて使えばいい。サクラさんはそういうことを伝えてくれるので、すごく助かりました」

安藤「自分も想矢と同じ思考回路だったので、理解できるんです。子どもを産んでから『まあ、いいか』と思える勇気が持てるようになった。そう思えるようになってからは、不安な時間がいかに無駄だったか……と感じるようになった。時間がもったいないし体力も消耗するので、どうにか払拭してあげたかったんです」


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■是枝監督と安藤にとって、今の幸せ

詳述は避けるが、本編中に「誰かにしか手に入らないものは幸せって言わない。誰でも手に入るものを幸せって言うの」というセリフがあり、妙に心に残る。今のふたりにとって、「幸せ」とは何を指すのだろうか。

安藤「私は無邪気に答えるとすると、最近は『うっわ、今めっちゃ幸せ! 幸せってこんなにも実感できている人いる?』って感じるんです。たとえば、家族といるときに『うわ、なにこの瞬間! めっちゃ幸せ!』って体が幸せって言っている。そういう風に感じることってあります?」

筆者「……、あります(笑)」

安藤「あるんじゃないですか! 私は確率的に家族といる瞬間に感じることが多いです。あとは現場中、その日の撮影が終わって家に帰って、ひとりでホッとした瞬間。『うっわ、この現場中って私めっちゃ幸せ! 好きなんだな!』みたいになるんですよね。体がそう言ってしまうんですよ(笑)」

是枝「やっぱり現場ですよね。さっき話した病院のカットを撮り終えたときの充実感。みんなの力で良いものが撮れた瞬間が幸せですね。サクラさんと瑛太さんのあるシーンでは、脚本に描かれていないし、僕のコンテにもないんだけど、観ていたら切なくて、切なくて……。撮影の近藤さんと『すごいカットだね』と目を見合わせました。ああいうものが現場で見つかったときは、幸せです。あのカット、すごく好きなんですよ」

安藤「観たときにはビックリしました。こんなことになっているんだ! なにこの総合芸術! と思いましたよ」

本編鑑賞後、多くの人が正解も答えも見つけられないまま、「珠玉の映画体験」だけを携えながら劇場をあとにすることになるだろう。劇場公開からほどなくして61歳の誕生日を迎える是枝監督がかつての取材で、フランスと韓国での撮影で得た気づきに触れ「60歳で成長するって嬉しいことだね」と表情を綻ばせながら語ってくれたことがあったが、今作でその真意の一端に触れることができるのかもしれない。

(執筆者:大塚史貴)

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