ケネス・ブラナー、「ベルファスト」を通じて再発見した“自分”

2022年3月16日 13:00

アカデミー賞の作品賞、本命視される作品のひとつに上げられている「ベルファスト」
アカデミー賞の作品賞、本命視される作品のひとつに上げられている「ベルファスト」

ケネス・ブラナーが、幸せそうな微笑みを浮かべている。監督最新作が、世界中で大絶賛されているのだ。

ベルファスト」は、自身が北アイルランドに住んでいた子ども時代を振り返る、自伝的映画。極めてパーソナルなその作品が、オスカーにつながる道の第一歩とも言えるトロント映画祭観客賞を受賞し、ベルファストとロサンゼルスのプレミアでも大拍手をもって迎えられたのである(取材・文/猿渡由紀)。

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「ベルファストでのプレミアから昨夜までは、ひとつの長いパーティのようだったよ」と、ロサンゼルスでのプレミアの翌朝、ビバリーヒルズのホテルで開かれた会見で、ブラナーはそう振り返る。「ベルファストでプレミアを行うのは、僕たちにとって里帰りするような体験だった。そして地元の人たちは、この映画をとても気に入ってくれたんだ。本当に感激したよ。あの街全体が僕らの映画を応援してくれているように感じた。昨夜のプレミアも、とても素敵だった。自分があの街からやってきて、今ここにいるということが、僕は今も信じられないんだよね」。

映画の舞台となるのは、北アイルランドで大きな暴動が起きていた1969年。だが、当時9歳だったブラナーが体験したのは、決して恐ろしいことばかりではない。大好きなおじいちゃんやおばあちゃん、優しい両親、気になる女の子など、楽しかった思い出もたくさんある。学校での出来事、クリスマス、みんなでダンスをしたこと。非常事態の中にあっても、ベルファストの人々は、できるかぎり日常を保とうとして生きていたのだ。

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その頃を振り返ってみるきっかけはパンデミックにあったと、ブラナーは明かす。ロックダウン(都市閉鎖)が出て、家に籠ることを強いられたことで、幼い頃、暴動が起きて同じように家に潜んでいた時の記憶が蘇ってきたというのである。

「今作は、ロックダウンの静けさから生まれたと言ってもいい。普通だと思っていたことから引き離され、親しくしていた人たちと会うことができなくなると、人は自分の内面と向き合うものだ。パンデミックで、人はたくさんの犠牲を払った。あの時、あのコミュニティも、やはり多くを犠牲にした。僕は9歳の自分に戻って、自分の両親がどんなことを乗り越えようとしていたのかを考えてみようと思ったんだ。故郷を離れる時、そこには喪失がある。辛いが、そこから美しい何かが生まれることもある。人生とは、そういうもの。そういったことを振り返ってみたかったんだよ。世界中で人々が喪失を感じている時に」。

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当時の自分に当たる9歳の男の子バディ役に抜擢されたのは、今作で映画デビューした新人子役ジュード・ヒル。映画のハートとなる少年を見つけるため、ブラナーらは学校に呼びかけたり、ソーシャルメディアで告知したりするなどして、300人をオーディションしたという。スピーチと演技のレッスンに通っていたヒルは、その先生を通じて第一段階である演技の録画ビデオを送り、そこを通過して対面でのオーディションに挑んだ。ヒルによれば、合格のメールが届くと、彼の母は「喜びのあまり5分くらい叫んでいた」そうだ。

そうやって選び抜かれただけある才能を持つ子役でも、最高の演技を引き出すには大人の共演者の協力が欠かせない。バディの両親を演じるジェイミー・ドーナンカトリーナ・バルフ、祖父母を演じるキアラン・ハインズジュディ・デンチはしっかりそれをやってくれたと、ブラナーは感謝を述べる。ハインズはベルファスト、ドーナンも北アイルランド出身、バルフはダブリン生まれと、役者も本場揃いだ。

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「ジュディが、『私は人が好きなの。新しい人たちと知り合うのが好き』と言ったことがある。今回のキャストはみんなそうなんだよ。おかげで現場の雰囲気はとても良かった。彼らにはユーモアのセンスがある。それはジュードも同じ。そしてジュードも含め、みんなが聞き上手だ。ジュードに求められたのは、相手役が言うことをしっかり聞いて、リアクションをすること。反応するというのは、そもそも演技の基本だよね。ジュードは耳を傾けるべき優れた役者に囲まれていた。ジュードの演技は、共演者の支えがあってこそできたものだ。ジュードも、しっかりお返しをしてくれた」。

映画で最も印象に残る演技も、ブラナーのいう「集団での努力」によって引き出された。ベルファストを出てイギリスに引っ越すことを考えていると両親から聞かされたバディが、嫌だと泣き叫ぶシーンだ。

「ジュードにいきなりあの激しい感情に入っていってもらうのは、かなり難しい。それで僕はカトリーナとジェイミーに、その直前の会話をアドリブでやってくれないかと頼んだんだ。もちろん、脚本にはその部分のセリフがあったんだが、それとは違うことを即興でやってほしいと。すると、ふたりはすごいことをやってみせてくれたんだよ。ジュードが感情を爆発させるように導いてくれただけでなく、子どもにどこまで言うべきなのかと悩む親の気持ちも見事に表現してくれた。今作のキャストは、本当に大きな貢献をしてくれたんだ」。

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最終的にバディの一家がベルファストを離れるということを書いても、観客はブラナーがイギリスでどのようなキャリアを築いたかを十分知っているだろうから、ネタバレには当たらないだろう。ただ、現実の世界には、映画の「続き」がある。映画に出てこない、イギリスに到着してからの家族の生活は、ブラナーによれば「とても辛かった」そうだ。

「暴動の心配はなかったし、経済的な機会も与えられたが、僕ら一家にとってはすごく厳しかった。この映画を作ろうと思った理由のひとつには、僕ら家族がこの話を一切しなかったというのもある。本当に、この件について、絶対に誰も触れなかったんだよ。アイルランド人は、『ほかにもっと辛い思いをしている人がいるんだから、文句は言わない』という考え方をする。そういう国民性。僕はこの話を50年も語らなかったのには、それも関係している」。

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現在のベルファストの風景が映し出される映画の冒頭と締めくくりはカラーだが、それ以外はモノクロ。モノクロで撮ると決めたのは、撮影監督のハリス・ザンバーラウコスに、「カラーは状況をきっちり見せて説明する上で効果的。だが、モノクロは、より感触を与える。見るべきものを取り除くことで、観客は、より登場人物に近づくことができる」と言われたからだ。この映画でブラナーが最も見せたいと思ったのは、人間の顔。とくに、最後のデンチのクローズアップは「この映画で最もエピックなショットだ」と誇りに思っている。

そのデンチのシーンの後、再びカラーが戻った時に出てくるのが、「For the ones who stayed(とどまった人たちへ)」「For the ones who left(出て行った人たちへ)」「And for all the ones who were lost(そして亡くなられたすべての人たちへ)」という言葉だ。ブラナーがこの映画を通じて伝えたかったのは、まさにそのこと。ベルファストに残った人、出ていくという決断をした人、すべてに彼は敬意を捧げるのである。

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「イギリスに引っ越してから、僕は孤独な少年となった。親戚からも引き離されて、もう消えてしまいたいと思っていた。目立ちたくない、地味にしていようと。おかげでアイルランド訛りも2年もしたら消えてしまったよ。演技を始めてようやく、シアターカンパニーや映画の現場の仲間たちという新しい家族ができた。アイルランド人は外に出て行く人たちと呼ばれる。でも、出て行くことは犠牲を伴う。僕もしばらく自分を見失った時期があった。この映画を通じて、僕はようやく自分を再発見することができたのさ」。

私たち観客も、ケネス・ブラナーという人について、新たな発見をする。

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