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「ドキュメンタリー制作者は皆、悪人である」 是枝裕和&想田和弘が背負う“被写体への責任”

2018年6月1日 19:00

プライベートでも親交の深い 是枝監督(左)と想田監督「ザ・ビッグハウス」

プライベートでも親交の深い
是枝監督(左)と想田監督
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[映画.com ニュース] 是枝裕和監督と想田和弘監督が、都内某所で顔を合わせた。日本映画専門チャンネルで放送される、対談番組収録のためだ。収録後の2人が映画.comのインタビューに応じ、ドキュメンタリー制作者が背負う“十字架”について語った。

互いの最新作「万引き家族」(6月8日)、「ザ・ビッグハウス」(同9日)の公開が重なるめぐり合わせもあり、今回の対談が実現。日本映画専門チャンネルでは、6月2日に2人が「ドキュメンタリーと劇映画」などをテーマに語る様子が放送されるほか、是枝監督によるドキュメンタリー「しかし… 福祉切り捨ての時代に」(1991)、「彼のいない八月が」(94)や、想田監督の短編劇映画、そして観察映画「選挙」(2007)、「選挙2」(13)などを放送する。

是枝監督はTVプロダクションでドキュメンタリー番組を制作した後、95年に「幻の光」で映画監督デビュー。「万引き家族」が第71回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞するなど、世界的な評価を受け続けている。一方の想田監督は、東京大学卒業後の93年、フィクションの手法を学ぶために渡米。ニューヨークにていくつかの短編映画を撮影した後、2000年代からドキュメンタリー制作に傾倒していった。予断と音楽とナレーションを排した「観察映画」を打ち出し、独自の視点で世界を見つめている。

ドキュメンタリーからフィクションへとシフトし、綿密な事前準備をしてから作品づくりに臨む是枝監督。そしてフィクションからドキュメンタリーへ移り、リサーチはせずに撮影に赴く想田監督。キャリアや手法において、逆コースをたどってきたようにも見える2人だが、以前から親交は深く、互いに共感と尊敬がにじむ言葉を紡いでいく。

是枝「たどり着くプロセスは違うかもしれないけれど、2人とも『一番大事だと思っていること』は一致していると思います。それは、現場で何を発見するか。そこで何が起きていて、自分は何が面白いのか。カメラが回っている現場で発見されるものが一番面白いという感覚を、たぶん僕も想田さんも共有している。僕はもちろん準備はするけど、やってみて『こっちのほうが面白い』と思ったら、用意してきたものは捨てます。捨てられるかどうかがすごく大事。だから、今は『あまり事前に固めない』方向にどんどんシフトしています」

想田「是枝さんは、役者のリアクションによって脚本も書き換えてしまいますもんね」

是枝「もちろん、いろんなやり方があります。役の履歴書や、親世代3代前の生い立ちから書く人もいる。僕はむしろ、役者から出てきたものを見ながら『この人はこう笑うのか。じゃあ次のシーンはこうしてみよう』と考える。やってもらってから考えるという意味で、想田さんがリサーチをしない、というのと似ているかも知れない。フィクションもドキュメンタリーも、現場はある種の生き物として、そこで生成されるアクティブなものに立ち会った痕跡、それ自体が作品になるという発想。そこが近いよね」

想田「仰るとおりですね。そして『前調べをしないことで、撮り逃してしまうものもあるのでは?』と聞かれれば、もちろん、そういうリスクもあります。ただそれは『どちらをとるか』という方法論の問題です。僕は、前調べをしてもいいと思う。調べたものが『違うな』と思ったときに、捨てる勇気さえあれば、全然良い。ただ僕の場合は性格的に、前調べをするとそれに縛られるタイプですから」

2人は度々、「被写体への責任」という言葉を口にしていた。ドキュメンタリーがテレビ放送・劇場公開される際、作品自体が被写体にとって“害悪”になってしまう瞬間がある。時に凶器にもなり得るカメラを回す者には、相応の倫理観が求められる。

是枝「(『ゆきゆきて、神軍』の)原一男さんが言っていたことですが、『ドキュメンタリーをやる人間は畳の上では死ねない』」

想田「『ドキュメンタリーを作る人間はすべて悪人である』という」

是枝「ドキュメンタリーをつくる人が、自分が悪人であると自覚を持つことは、すごく大事だと思う。関与することは傷つけることと背中合わせと、わかって撮ることです。僕たちは、小川紳介さんや土本典昭さんという素晴らしい先輩たちを持っている。ドキュメンタリーが持つべき倫理観がどういうものなのかを、土本さんが40数年かけて水俣と向き合いながら作り続けてくれた遺産から学ぶことができる。彼らの功績を自分がどう評価するかを規定しなければ、日本でドキュメンタリーをつくってはいけないと思っていますが、現在はそこを規定しないでつくる人が増えてしまった」

想田「僕は『自分は悪人である』と言い切らないことも大事だと思っています。言い切ってしまうと、どこか開き直ってしまうからです。被写体を傷つける恐れがある危険物=カメラを軽々しく振り回してはいけない、というのが求められる倫理観だと思っています。倫理を失ってしまうと、ドキュメンタリーは暴力装置にしかならない」

是枝「暴力性は、『選挙2』の自民党の選挙活動に向いたときは、とてもいい形で機能していたよね。“ここは顕になっていい瞬間だ”とわかったうえで、あれをノー編集で出すという覚悟が素晴らしい」

想田「対象が権力者かどうかが非常に大きくて。権力者にカメラを向けるときは――それでも僕は、暴力性の発揮は申し訳ないと思いますが――あのような暴力性はギリギリありなんじゃないかと思っています」

是枝「僕は(環境庁エリート官僚の生と死の軌跡を追った)『しかし…』で、ある福祉課の課長さんにしゃべってもらったことがあって。彼個人ではなく、課長という“役割”としてしゃべってもらったけど、終わった瞬間に『こういうのに出ると、子どもが学校でいじめられるんですよ』と帰っていった。そのとき、胸が痛んだ。彼を批判するつもりはなかったし、ましてや彼の子どもにそれが及ぶなんて。そういう社会や学校が間違っているけど、現実としてそういう状況があり、『僕に責任はない』とはなかなか言い切れなかった。『子どもがいじめられる』と言われ、どう自分を納得させればいいか難しかった」

名声を得た今も、倫理の間で苦悩しながら作品に向き合い続ける2人。今後、是枝監督はドキュメンタリーを、想田監督はフィクションを製作する予定はあるのだろうか。

想田「フィクションで撮りたい題材やめぐり合わせがあれば、作りたい。ただ、自分の適性はドキュメンタリーだと思っています。普段世界を見ていて、ドキュメンタリーのアイデアはいくらでも湧いてくるんですが、フィクションは努力しないと湧いてこないです」

是枝「ドキュメンタリーでやりたいと思っている題材もあるんだけど、リサーチしていくうちに、最終的にはフィクションにしたいと(自身が)思うでしょう。あえてひとつ言うと、今は“戦前の映画法”。戦前に検閲が行われ、いろんな作品が製作できなくなっていく状況で、映画監督たちがどのような状況で加担し、一部抵抗し、一部転向していったのかを調べています」

(映画.com速報)

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