劇場公開日 1990年3月24日

「ちょっと詩的な不思議なシーンのあるロードムービー?そのように見えるでしょう表面的には確かにそうですでもそれは偽装です」霧の中の風景 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0ちょっと詩的な不思議なシーンのあるロードムービー?そのように見えるでしょう表面的には確かにそうですでもそれは偽装です

2022年4月23日
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鑑賞方法:DVD/BD

母子家庭の姉弟
父には会ったこともありません
母から父は仕事でドイツにいると聞かされています
ある夜、二人は手をつないでドイツ行きの国際夜行列車に乗って父に会いに行こうとします

本作の本当のテーマはギリシャの戦後政治史です
そんなもの西欧諸国の人々も、米国の人々も、日本人だって馴染みがないし関心もありません

それでもテオ・アンゲロプロス監督は、それをロードムービーを装って見せようと意図したのです

中盤、ボスポラス海峡とおもわれる海岸
ギリシャの最果ての地、ヨーロッパの最果ての地でもあります
対岸はアジア、トルコです

そこで旅芸人の一座が登場します
どうやら芝居の練習中のようです

白いアコーディオンの老人の口上から始まります
「ペレシアドスの詩劇
羊飼いの少女ゴルフォ全5幕」

監督の映画「旅芸人の記録」での口上と同じです

ところが芝居の台詞が、牧歌的悲恋を描く詩劇では無いのです

なぜそうなのか?
この台詞の数々を不思議なシーンとして、スルーしてしまうとなにもかもわからないと思います

一体何を言っているのか?
その意味は何なのかを調べてみないと、本作の意味は皆目わからないのです
ただの詩的なロードムービーとしてしか理解できなくなってしまうのです

このシーンでの不思議な台詞の意味
監督はそれを調べて、本作の本当の意味を知って欲しいのです

「トルコ軍にカラヒサルを奪い返された
22年の8月だ」

どうやら第一次世界大戦後の1919年から1922年にかけてギリシャ王国とトルコ共和国との間に生じた希土戦争(きとせんそう)の事を言っているようです
その100年前の戦争でギリシャは敗北し、第一次世界大戦の結果オスマン帝国から得た領土を失って取り返されています

「44年の秋、独軍が撤退した直後、戦線は崩れ英国軍が進駐して来た」

これは第二次世界大戦でのギリシャの事のようです
ギリシャ王国は、第二次世界大戦で枢軸軍の侵攻を受け、ドイツ、イタリア、ブルガリアに三分割  に占領されています
苛烈な経済的搾取が行われた占領政策で、ギリシャ経済は崩壊してハイパーインフレが起きてしまいます
その結果30万人以上のギリシャ人が餓死してしまうのです
そして抵抗するパルチザンのゲリラ活動への報復として、ドイツ兵1人が殺害されたならば、50人のギリシャ人が殺害されて、数千人もの民間人が大量殺害されていたのです

その占領も1944年9月に、英国軍がギリシャに上陸して反攻を開始、10月にはドイツ軍が撤退してようやく終わり、ギリシャは解放されます
このことを言っています

「国民統一政府が結成され、英軍を熱狂的に歓迎した
連合国を信じた」

ドイツ軍撤退後、ギリシャはパルチザンの各勢力が共同して国民統一政府が組織され、共産主義勢力も入閣しています

「ファッショ派が武器供与を受けて、武力で復権していた
裏切られた我々は、デモ行進を計画した」

解放されたからには、ゲリラ軍は解散されるべきです
しかし共産勢力は武装解除を拒否、国民統一政府からも離脱、アテネでのデモ行進を計画するのです

このことを共産勢力側の立場から非難しているようです

「47年の暮れに逮捕された」

1947年12月にギリシャでは共産党が非合法化されたことを指しています

「いつも冒頭を忘れる」

これは戦前のギリシャについて説明がなされていないという意味でしょう

「障害を教えてあげよう
いくつもの事件と響きが干渉を起こす
荒海からきた船が干渉を起こす
人々に語りかける者
私の胸、叫び
工場
私は古服のままでいよう
フランス革命に生まれ
母スペインに育てられたから
不透明な陰謀者」

正に詩的です
共産勢力は、フランス革命に源流を発する人民の革命であり、スペイン内戦でファシズムと戦い鍛えられたのだという意味でしょう
最後の一節は共産勢力も戦前から内紛が絶えないのだという意味だと思います

「17年10月」

1917年の共産党によるロシアの10月革命のこと

「36年」

1936年8月4日、ギリシャ王国首相イオアニス・メタクサスのクーデターで樹立された独裁政権、八月四日体制のことを言っています

「44年の12月」

アテネでのデモ行進は、警官隊が銃撃して死者15名をだす大惨事「12月事件」が起こりました
このことです

これ以降ギリシャは内戦に突入します

ギリシャでの共産勢力の封じ込めを決定していた英国政府は英国軍を派遣して国民統一政府側としてギリシャの共産勢力と戦います。

西部戦線でも、東部戦線でも未だドイツ軍との戦闘が続いているにも関わらず、ギリシャで発生したイギリス軍と共産勢力の対独レジスタンスとの戦闘ですから、チャーチルへの批判が英国内で巻き起こります
仕方なくチャーチルは戦闘を終結させるため、1944年12月24日にアテネに到着し、ソ連代表者立ち会いのもとで会議を開きますが交渉は決裂してしまいます

結局、翌1945年1月ギリシャの共産勢力側は撤退、武装解除にも同意します
苦渋の決断の立ったはずなのにどうしてなのでしょうか?
これはスターリンの指令によるギリシャ共産党の方針転換だったのです

実はスターリンはチャーチルと、バルカン半島における各国の権利の調整を図る「パーセンテージ」協定と呼ばれるものを、ギリシャ人の知らないところで1944年10月の段階で結んでいたのです

つまり、ギリシャ、とくに監督が立つギリシャの対ドイツレジスタンスの共産勢力の人間にとっては、許せない裏切りだったのです
二階に上げて梯子を外す以上のことです

監督はギリシャのドイツからの解放は、そのまま共産革命に向かう流れだと信じていたのです
しかしスターリンのソ連に裏切られて、ギリシャは憧れのソ連から英国に売り渡されたのです

しかし一方、ドイツはソ連軍に占領されて、ソ連の庇護のもと東ドイツが樹立され共産国となるのです

もうお分かりでしょう
お父さんとは、ソ連共産党のことです
ギリシャも東ドイツのような共産国になりたかった
本作はそれを切々と訴えている映画なのです

叔父さんは二人は私生児だと言った意味
父なんかいない、ドイツなんかデタラメだと言う意味もお分かりでしょう

二人がドイツに向かう前、フェンスの向こうにいるカモメ男にお別れを伝えにいきます

このシーンはギリシャ共産党への決別の意味だと思います
フェンスの中に閉じ込められて、空理空論を繰り返しているだけだとの批判です
カモメとは頭の弱い鳥と言う意味です

これらのことを踏まえて、映画の終盤に読まれる手紙の意味を考えてみて下さい

「お父さん
遠い旅路です
夢の中では近いのにと弟は言います
手を伸ばせば届くくらいだと
旅を続けています
飛び去ってゆく町も人も
すごく疲れた時には
西も東もわからなくなって
お父さんのことさえ忘れそう
そしたら終わりです
弟は大きくなりました
真面目で服も一人で着ます
大人みたいなことを言います
私はずっと病気でした
すごい熱でした
だんだん良くなっています
でもドイツはすごく遠い
ゆうべ旅を中断しようかと思いました
到着する先のない旅は
とてもむなしい
弟は大人みたいに怒りました
裏切るのと言われて恥ずかしかった」

東ドイツのように共産国になりたかった
ソ連はなぜギリシャを占領してくれなかったの?
そういう手紙なのです

「タタン、タタン、お前たちを待っているよ」
そのように恋焦がれていたのです

なのに実際は反体制派の活動家のように警察から追われ逃げ回る姉弟のように、ギリシャの共産勢力は逃げ回るしかなかったということです

踊ろうと誘う若者
しかし彼女は厳しい疑いの目で彼を見つめている
信じられず逃げだすのです

海にうかぶ巨大な人差し指の欠けた右手首

英軍のヘリコプターはそれをいずことも無く吊り下げて飛び去ります

手首はくるくると回り方向を指し示してはくれません
だいたいもともと人差し指がないのですから

もちろん英国への恨みつらみです

「もしも私が叫んだとて
天使たちの誰が聞くだろう?」

これも、ギリシャ人の知らないところでギリシャの運命を決めた英国とソ連に向けられた台詞です

バイクの若者たちのパーティーで放置される二人

このシーンは戦後の東側世界に参加できなかったギリシャの共産主義者の孤独です

姉弟のように、ソ連の私生児だったのです
認知されていないのです

「こんな風に別れたくなかった
君達を大事にしたかったのに」

「駅まで送ると決めただろ
こんな風に別れたくなかった」

これはソ連共産党からのお別れの言葉です

「最初の時は誰でもそうなんだ
心臓は破れそうになるし
足がふるえて死にそうな気がする」

これは甘い言葉ではなく、実は革命の武装闘争のことを言っているのです

切符の金を得る為に売春すらしようとする姉

このシーンも、その前のショックな乱暴を受けるシーンも、革命にはそれだけの犠牲が必要だ、その覚悟がないととても成し遂げられはしないのだというシーンです

雪の積もる夜の街、馬がトラクターに引きずられてくる
十字路に放置されてトラクターは行ってしまう
馬は何度となく起き上がろうとするが
結局起き上がれない

このシーンの意味は何でしょう
死にかけの馬はギリシャの共産勢力です
トラクターに引きずられてでも、ここまできたのにもう立ち上がる力もないのです

革命への覚悟があっても実際はこうなのです

突然降り始めた激しい雪に、警察署の警官達も街の人々も降る雪を見上げて路上に立ち尽くしている
まるで時間が止まっているかのように
二人だけが警察署を抜け出て通りを歩き去れる
しかし時が止まったわけではない
よく見ると雪を見上げているひとはじっとしてはいるが身じろぎはしているからだ
第一雪は降り続けて落ちてきているではないか

このシーンは、なすがままモスクワからくる指令に立ちすくんだギリシャ共産党への批判でしょう
ギリシャ国民への批判でもあるのだと思います

夜、ドイツとの国境に二人はついに着きます
もちろん東西ドイツ統一前ですから、東ドイツの国境です
銃撃を受けつつも国境の川をボートで越え、河原の草むらに隠れて夜を明かします

「恐いわ」
「恐くない、お話をしてあげる」
「始めに混沌があった、それから光がきた」

朝起きてみるとそのお話しのように濃霧があります

やがて濃霧の中に、平原の中に立つ一本の大きな木が見えてくるのです
二人は手を取り合いその木に向かって歩き始め、ついには駆け寄りその木の幹に抱きつくのです
まるで父に出迎えて貰ったかのように

ギリシャの共産革命は、今はまだ濃霧の中のように行方は見通せはしない
しかし、必ずいつか大きな木のように姿を見せるはず

その日は必ず来る
それがラストシーンの意味です

なぜ姉弟は12歳と5歳なのでしょうか?
おそらく全ギリシャ社会主義運動(PASOK)
つまり、かって存在した存在していたギリシャの中道左派・社会民主主義政党のことだと思います

結党は1974年、1986年当時なら12年経過していたのです
そしてこの左派政党は1981年の選挙でギリシャ史上初めて政権交代を成し遂げます
このときから、1986年当時5年たっていたからです
1986年は監督が本作を構想し始めた年なのだと思います

本作は1988年10月ギリシャ公開
しかしベルリンの壁崩壊は翌1989年11月9日
ソ連崩壊は1991年12月26日

皮肉なことに、霧が晴れてみると木は枯れて倒れてしまっていたのです

そして2022年
本作から34年、ソ連崩壊から31年
ソ連の再興を夢見た男が大戦争を起こしました
その男プーチンは共産主義者でもないのに、共産党のソ連が復活するのだとでも思って応援する人々が呆れたことに大勢いるようです

その人々は濃霧の中で未だに木を探し求めているのです
霧の中の風景をまだ見ているのです

あき240