劇場公開日 2022年7月9日

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「バーバラ・ローデンという奇跡ーー忘れられたアメリカ映画の金字塔」WANDA ワンダ nontaさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 バーバラ・ローデンという奇跡ーー忘れられたアメリカ映画の金字塔

2025年12月7日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

忘れられないすごい映画を、また1本観てしまったーーそんな感想である。たくさん映画を見た今年のマイベスト5の一本決定だ。
最初に思い出したのは、今年初鑑賞して大ファンになった中国の映画監督ジャ・ジャンクーの「青の稲妻」だ。石炭産業が下火になり寂れ始めた炭鉱町で、教育も十分ではなく、何ら仕事の能力もなく、どこへも行けない状況の中で生きる人の姿を、記録するように見事に描いた作品だ。登場人物たちも、本当にそこにいる人を映し出したかのような現実味があった。
本作は、プロの演技者は、主演の監督自身と、逃避行を共にする男性の2人だけのようだ。あとは素人を起用して即興的に撮影したのだという。ここも「青の稲妻」とも共通している。

本作のストーリーはシンプルだ。職を失ったシングルマザーのワンダ。彼女が、強盗の男と逃避行の旅をしていくロード・ムービーで、その部分は「俺たちは明日はない」を思わせるところもちょっとあって犯罪映画でもある。
しかし、本作はジャンルやストーリーで語れる映画では全くない。1970年当時のアメリカ内陸部の貧しい白人労働者階級の姿を生々しく記録していること。そして、そこで、どうにもならない自分を抱えて生きる人間が描かれていること。それが現代にもつながる普遍性を持つ力を持っていること……それらが合わさって、55年経った今、さらに大きく価値ある映画となっていると思う。
あまりに素晴らしかったので、ネットで調べてわかったことと絡めてまとめておきたい。

本作の監督・脚本・主演は、女優バーバラ・ローデン。長編映画制作は本作一本だけだ。カンヌ映画祭外国語映画賞という快挙にも関わらず、アメリカでは配給されなかった。その後、忘れられた映画になっていたが、90年代後半から、映画史家などに〝再発見〟されカルト的評価を受ける。そして、2003年にフランスの大女優イザベル・ユペールがフランスで本作をDVD化したことから再注目されるようになった。そして、今回の「カンヌ映画監督週間」のように、特集上映で再上映される作品となった。
フェミニズム文脈での評価は、当時からあったようだが、ローデン本人は、それについては本意ではなかったようだ。

ローデンは、アメリカの巨匠映画監督で、アクターズスタジオの創設者としても知られるエリア・カザンの妻(25歳の年の差婚)でもあった。カザンとは葛藤も抱えつつ、別れることはなかった。ローデンは本作から10年後の1980年、48歳の時にガンで早逝している。

本作は、当時アメリカでは「救いのない物語」「理解できない」「面白くない」と評価され。評論家からも主人公のワンダが「魅力的でない」「知的ではない」と批判された。確かに「魅力的な主人公が、困難を克服し、成長して、何かを成し遂げる」といったハリウッド的な英雄の旅の構造は、本作にはない。ただ、そこにいる自分と同じく、ままならない人生を生きる人がリアルにそこに存在していることに心を動かされるのである。
本作を強く推奨する現代の女性監督ケリー・ライカールトや、先のジャ・ジャンクーなどと同様、救いも安らぎもない生々しい現実を描く映画作家の系譜の一つの出発点となる人物でもあるように感じる。

ローデン監督が演じる主人公ワンダの表情の乏しさは、自分自身の価値観と判断というものがないことの表れでもある。ワンダは、状況や周囲の人の意向に流されるまま生きている。ヤバい状況になっているのに、それを判断する大局観みたいなものがなく、そこにいる身近な相手、近づいてくる人の意向に合わせて動いている。
彼女は、計画性とか自律性などが欠如している。仕事もちゃんとこなすことができない。失業して、以前の職場に再就職を頼んでも「君は仕事が遅すぎる」とあっさり断られる。
日本の作家、鈴木大輔がベストセラー「最貧困女子」の後に書いた「貧困と脳」で書いた〝働けない脳〟の存在が見てとれる(僕自身も、かつて病気で、大幅に知的能力が落ちた時期を経験し、彼の本には、当時の自分のことが書いてあると感じている)。
努力では解決できない「どうにもならない無力さ」を彼女は抱えている。ずっとぼんやりした不安感が心を占めている状態のはずだ。そして、それは自由と自立の国アメリカでは救われない人でもあるし、それは現在の日本でも変わらない。
若いうちに結婚・出産した女性が、離婚した途端に、貧困状態となってしまうこと。十分な社会的支援は受けていないこと。近寄ってくる男性に搾取されてしまうことーーこれらは、現代の日米でもかなり起きていることだ。

ローデン監督は、自分のことを「ヒルビリーの娘」と称していたそうだ。貧しい労働者階級の出身で、子供時代には虐待もあった。16歳からニューヨークに1人移り住みモデルやピンナップガールとして稼いだ後、アクターズスタジオで学び、女優となった。
彼女の子供時代はあまり明らかでなはいが、現アメリカ副大統領J.D.ヴァンスの自伝「ヒルビリー・エレジー」で描かれたアメリカ内陸部の白人労働者家庭と重ねて見てしまう。肩を寄せ合って生きる強い家族の絆(裏返しの抑圧、長く続かない結婚)、暴力と飲酒、ドラッグといった気晴らし。教育には早々と見切りをつけ、自分の胆力一つで場当たり的に生きようとする態度……そんなものがあったのではないかと想像している。
モデルとしてすぐに活躍できたにも関わらず、当初から彼女は自己評価が低かった。役者を目指しているにも関わらず、「自分はみすぼらしくて、不十分だ」と感じていた。

状況に流され、その場にいる相手に合わせて生きていること。
自分は不十分だと思い、常に不安を抱えていること。
周りに合わせて生きていること。
苦しい状況や搾取的な場面から、自ら抜け出そうとしないこと。
そもそも抜け出すためのリソース、手持ちの武器を持ち合わせていないこと。
……これらは、決して特殊事例でもなんでもないと思う。少なくとも僕自身は大いに共感するところがあった。それなりに主体的にサラリーマン生活を送ってきたつもりでいたけれど、退職した今、振り返ってみると、同じだったということがよく見えてきた。だからこそ、本作にも、他人事でない思いを抱いてしまう。

強盗の男性に「お前はよくやった」と言われて、この映画で初めて、主人公は嬉しそうな表情を浮かべる。彼女は、巻き込まれ、都合よく使われている。「なんで」と思うけれど、それは観客だから見えることで、彼女には、目の前の相手が全てで、承認してもらいたいのである。そして、それは僕自身にも多々思い当たる経験がある。

彼女の25歳年上のエリア・カザンとの関係も複雑だ。「マイフェアレディ」を思わせる年上の裕福な教養人と、無教養だけれど、可能性に満ちた若い女性のカップルと言っていいと思う。
男性目線では、足長おじさん的な、倫理的な愛情物語かもしれないが、女性目線からすると、自分の言葉、表現や思想といったものが持てない自分に対して、全てを持っている憧れであり、内心の大きな反発を抱える相手でもある。
カザンは、ローデンを一貫して支援しつつも、理解できなかった。その後悔がカザンの自伝に告白されている。

「彼女は、私が想像していたより遥に大きな才能を持っていた。
 私はそれを認めきれなかった。」

ローデンの死後、カザンは数年間抑鬱の生活を送り、自伝で「私の人生で最も大切な人物だった」と書き残している。
25歳年下のローデンは、カザンにとっては保護の対象であるとともに、魅力的な相手で、いつ自分から逃げていくかわからないという思いもあったようだ。カザンの自伝の中でも、ローデンのすぐ感情的になる田舎者な部分と同時に彼女の性的魅力が強調されている。

カザンは、ローデンの次回作企画を強く後押ししなかった。彼女はまだ未熟だと考えていたからのようだ。

「彼女の中には何か“火種”がある。
 しかしそれは、誰かが見つけなければ一生くすぶるままだ。」

そう思って彼女を支援してきたにも関わらず、彼女の〝火種〟の結実である本作を認めることはできなかった。しかし、彼女の没後に本作が高く評価されるとともに、カザンの考えも変わり、才能を認めるに至ったようだ。遅すぎたのである。

カザンが創設したアクターズ・スタジオで教えた演技は「演技のリアリズム」を刷新するアメリカ映画の革命でもあった。「エデンの東」で主役に抜擢したジェームズ・ディーン始め、出身俳優リストにはアメリカの大スターが名を連ねている。
ローデンもアクターズ・スタジオで学んでいるが、彼女の映画は、リアリズムという点で、カザンの方法論のはるか上をいくものになっていると思う。映画を構造化し、骨格を構築していくというカザンの方法論とは、全く違う方法で撮影された。カザンはその卓越性を認めることができず、ローデンも生前はアメリカで高く評価されるに至らず、本作が遺作となってしまったのが、本当に残念である。

ワンダは、社会と周囲に対して「自分自身とはこれだ」という輪郭をはっきり持つことができなかった人だ。そして、彼女を作品として生み出し、自ら演じたローデン自身もまた、そのはっきりしない自分に苛立ち、カザンという巨大な才能の元で、自己不信を感じ続けていた。
その彼女が一度だけ、彼女自身の輪郭を明確に刻みつけたのが「ワンダ」であると思う「ワンダ」の中には、世界の重力に抗しきれず、敗北し続ける私たちの姿が刻み込まれていると思うのだ。

nonta
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