劇場公開日 2022年2月4日

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「3人の関係性の変化の物語」マーズ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.53人の関係性の変化の物語

2022年2月6日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 ライオンが群れで生きていることはよく知られているが、群れが常に平和な訳ではない。子供のうちは親から面倒を見てもらえるが、雄は成長すると群れを追い出される。そしてサバンナをさまよい、別の群れを見つけて、そこの雄ライオンに戦いを挑む。運よく勝つことができたら、群れから追い出す。負けた雄ライオンは、老兵は死なずただ消え去るのみで哀れに逃げていく。
 勝った雄ライオンはその群れの子供を残らず噛み殺す。すると雌ライオンはどうするか。発情するのである。育てる対象の子供がいなくなったためらしいが、ライオンのことなので、本当の理由は定かではない。ただそういう感じで群れが新たに形成されるようである。

 人間をライオンにたとえるのも語弊があるかもしれないが、本作品を観て、ライオンの群れのことを思い出した。人間もライオンも生命で、生命とは自己複製のシステムである。あらゆる細胞は一定の期間で複製、再生している。それは自動的に、不可逆的に行なわれる。生殖もある種の自己複製だが、自動的ではない。生物もライオンのレベルあたりまでは種の保存本能は100%の稼働率だろうが、人間は違う。子孫を残すか残さないかは自分の意志で決めることができる。しかし問題がひとつある。それは人間においては生殖とは別に性欲があるということだ。
 本作品のイルザは、夫を殺されて、群れの雌ライオンのように振る舞う。まだ子供のレミには母の態度が理解できない。人間の母親はたとえ子供が殺されたからといって、ライオンみたいに発情することはない。殺した者に対する憎しみはいつまでも消えないのだ。襲撃者のジェリーもそれを知っていたからレミを殺さなかった。イルザはジェリーと融和してレミの安全を図るために、発情を装った訳である。
 一方レミは子供で、まだひとりで生きていく力がない。ジェリーは親の仇だが、両親がいなくなってしまうと、当面はジェリーに頼るしかない。しかし人間はライオンと違って恨みを忘れない。

 警察庁の発表によると、殺人事件の半分以上は親族間で起きており、その中心は家庭内の殺人だ。育ててくれた親でも、一方で暴力を振るい続けられたら、中学生や高校生になって反撃できる体力ができたら、親を殺す。親が子供を育てるのは当然だ。ライオンだってそうしている。育ててやったと考える親は、自分が子供を作った責任を忘れている。だから子供の中で怨嗟の念が膨れ上がっていることに気づかない。
 本作品のジェリーにもそんな驕りがあった。レミが自分の言うことを聞くのは当然だと考えていたのだろう。レミはライオンの子供ではない。レミにとってジェリーは、どれだけ年月が経っても、父と母の仇なのだ。

 マット・デイモンが主演したリドリー・スコット作品「オデッセイ」では、主人公が火星で生き延びるリアルな描写がたくさんあったが、本作品はややご都合主義で、大した努力もせずに野菜や家畜が増えている。
 やはり本作品の主眼にあるのは火星での延命ではなく、夫ないし父親が殺されたあとの、襲撃者と母と娘の3人の関係性の変化の物語なのだろう。狭い舞台の演劇みたいな作品である。妻・母を演じたソフィア・ブテラの演技が秀逸だった。

耶馬英彦