スターフィッシュのレビュー・感想・評価
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アートセラピー
本作は、SFと評されながら実話に基づく物語と冒頭で明記されているが、人が突然いなくなり、不気味な生物が闊歩する世界が実話?と置いていかれる事間違いなしである。
だが本作は観客を満足させる為のエンターテインメント作品ではなく、監督自身の実体験を元にする想像上の物語であり、それが監督自らのアートセラピー映画となっている。監督と作品はもはや一心同体そのもの。過去にも監督の心情等が作品に反映された作品がいくつか製作されているが、ここまでそれをさらけ出した作品は無いだろう。本作の主人公が体験する、親友の死。別れを偲ぶ会で馴染めずに、足早に立ち去り、今は亡き親友の家に侵入し、どこか落ち着かない1晩を過ごす主人公の描写があるが、これがA.T.ホワイト監督が体験した「実話」にあたる。親友の死というものが相当大きな傷を残したようで、何を聞いても何をしても心の空白が広がるばかりという心情を強く表現している。そして翌朝、突然雪が積もり、人の姿が無い街に蠢く謎の怪物。そして、トランシーバーから聞こえる他者の声と、親友が残したメッセージ、「このミックステープが世界を救う」。ここからが心情を色濃く表現した世界となっていく。あくまでも心の出来事の為、物語に信憑性や起承転結は存在しないのである。だから途中で手塚プロが製作したアニメ部分があったり、観ていて意味が分からない展開が多いのである。だが、それでも世界を救うために散りばめられたミックステープを探す主人公を見ていて何となくこれらの描写に説明がつくだろう。ここでは世界=自分自身という事になっているのだ。閉ざされた心の中でショックや未練を断ち切り、新たな世界(自分)を見つけるまでの壮大な冒険。あのラストが語ろうとしているのはそれを具現化したものなのだと解釈している。それ故に物語として不条理な世界が本作ではまかり通るのである。突然本作の実際の製作現場へ舞台が変わるという映画作品では中々有り得ない展開が目白押しとなっており、この世界観について行けなくとも、映画作品での新しい挑戦という視点で観ると注目ポイントがちらほら出てくる。別にこちらは心を病んでいない為、これを見て心の整理がつくのは監督だけだろうから、それを観させられた我々は「だから?」と思ってしまう節もあるかもしれない。よって本作を他人におすすめ出来るかと言われたら難しい。だが雰囲気で他作品とはひと味もふた味も違う本作の沼にどっぷりハマってしまうファンもいるだろう。不思議な体験をしたと思い、余韻に浸れる人、とんだゴミクソ映画だと劇場を去る人の両極端で好みは分断されるはずだ。批評家からの支持は熱く、観客からの評価が冷たいというなかなか癖のある注目をされそうな作品である。監督の心情が明るく変化したのが分かるのは次回作になるのだろうか。次回作は夢と希望とに溢れた作品になっていることを願う。
監督のセルフセラピー映画だった
シガーロスや北欧のミュージシャンが奏でる音楽の使い方、一面の雪景色等、ルックは完全に北欧スリラーですが、イギリス・アメリカ合作のインディーズ映画。
映画終盤に至るにつれ、
・怪物の正体とは主人公が向き合わなくてはならない現実であるということ
・主人公はどうやら亡くした友人へ何かをしてしまった?後ろめたいことがあり、それを悔やんでいる。
・主人公は恋人とも別れてしまった。
このようなことが分かってくるが、多くは語られない映画であり、監督自身が友人の死や離婚を乗り越える為に撮ったセルフセラピー映画であるということを踏まえると、理解の手助けになる。
題名のStarfishが英語圏のスラングで意味は「やる気のない人」や「受身な人」など、自分から動くことをほとんどしないヒトデからそういうスラングが生まれたとの話もあります。
また、腕を失っても再生するヒトデのように、何を失ったり、過ちを犯しても、自らを許し、忘れることでしか生きていけないことを表しているのかもしれない。
主人公は全てのカセットテープを集め、「Forgive and Forget」の言葉を発見する。その言葉こそが、主人公というセカイを救う言葉だった。主人公のセカイとは、スーパーがあり、映画館があり、図書館があり、ラジオ局があるセカイ。監督の生活範囲なのか、この非常に狭いセカイに閉じこもっていて、誰かの声がこのセカイに留まるよう主人公を引き留める。この声は監督自身の声なのではないかと今では思う。
かなり独創的だし、正直何が起きてるかわかりにくい映画ですが、大切な人を失った人や、罪の意識を感じ現実が怖い人など、刺さる人にはとても深く刺さる映画になっているんじゃないかと思う。
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