劇場公開日 2022年1月28日

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名付けようのない踊り : インタビュー

2022年1月26日更新

「この映画のすべてが踊り」犬童一心監督が捉えた田中泯の生き方と“踊り”

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即興の身体表現でその空間とともに“場踊り”を作りあげ、世界的に評価されるダンサーであり、「たそがれ清兵衛」(02)の出演から今日まで、俳優としても日本映画界で唯一無二の存在感を放つ田中泯を映した映画「名付けようのない踊り」が公開される。

本作は、「メゾン・ド・ヒミコ」(05)で田中を起用した犬童一心監督が、田中の国内外の公演から“農作業で踊りの体を作る”という日常まで肉薄したドキュメント。劇中では山村浩二による独創的なアニメーションも用い、田中泯という存在と踊りを様々な角度から体感する映画だ。全国公開を前に、ふたりに話を聞いた。(取材・文/編集部、撮影/松蔭浩之

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――おふたりは「メゾン・ド・ヒミコ」以前から交流があったのでしょうか?

犬童:当時、柴咲コウさんの父親役にいろんな候補が上がっていましたが、合う方がいなくて困っていたんです。そんな時に、日本アカデミー賞の授賞式の会場の離れた席に泯さんが、スーツを着てじっと黙って誰とも話さず座っていて。でも、その時に泯さんだとは気がつかなくて。ああいう場の浮き立った、必要以上の楽しさみたいなものがある中で、ただじっと座っている姿がむちゃくちゃカッコよくて釘付けになりました。

俳優の感じが全くなくて、映画の業界の何かの人なんじゃないかと思っていたんです。周りがみんな俳優だから、余計に異質に見えた。そうしたら、助演男優賞のプレゼンターでいらっしゃっていて、その時に「たそがれ清兵衛」のあの方だとわかって。その後すぐ出演交渉してもらいました。ダンサーだとか俳優だとか関係なく、あの圧倒的な感じが欲しくて、勝手に僕が泯さんを見つけたという感じです。

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――本作は、犬童監督ご自身のプロダクションを設立されての第1作です。劇映画の名手の犬童監督が、田中泯さんの生き方にも迫るようなドキュメンタリーを制作した理由を教えてください。

犬童:一緒にポルトガルに行った時にダンスを撮影させてもらって、15分くらいに編集した映像を見て、これは長い映画にできるな、しかも見たことがないような面白い映画にできるという確信がありました。でも具体的なビジョンはなく、とにかく泯さんの踊りをたくさん撮って、まとめ方を考えていきました。

あとは農業です。泯さんがどれぐらいの重要度でやっているかが、一緒に居るとよくわかるんです。今、山梨に帰らなくてもいいんじゃないかって思う時も農業のためにちゃんと帰る。農作業を撮影に行くとそこでまたその真剣さに新たに感じるものがある。それらを映画の中でどう扱うか……撮影と編集の中で考えていきました。全体像としては、僕が公演に通って見た泯さんの踊り、その時体験した時間感覚にできるだけ近い感じを出そうと試みました。

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――場踊りのように、その場その場の生の表現が田中さんの表現の神髄だと思います。一方で、映画という媒体は、生きている姿や過去の踊りを映像の中に閉じ込めるような表現でもあります。そういった形でご自身の姿が世に出されるということをどのように捉えていますか?

田中:まだ結論が出てないと言うか、人々がどういう反応をするのかわからないし、いまだに編集が続いているような感じがあります。見るたびに違って見えて、特に自分が踊っているところは毎回違って見えます。同じ映画を何回も見ても、同じ本を読んでも、異なる感じを受けることはしばしば体験しますよね。

そういった意味では、これを一般の人たちが見た時に、どんな感想があるのかと興味津々です。一番嬉しいのは「犬童さんが見た踊りの映画」にしたいということを貫徹してくださっていること。僕が現場で踊っている踊りをそのまま映像で見せたところで面白いわけがないんです。毎回、全く違う条件の中で見るわけですから。ですから、新たに犬童さんが提供する条件の中で、踊りを作り直して見ていただくというのが、なにより僕の踊りらしいと思います。僕から言わせればそれは「犬童さんの踊り」になっているということです。

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――タイトル「名付けようのない踊り」は、フランスの哲学者ロジェ・カイヨワの言葉からの引用だそうですね。

犬童:泯さんの著書でその言葉を知って、1番適切な言葉だと感じたので、そのまま使わせてもらいました。カイヨワさんっていう魅力的な脇役を映画の中に登場させることができるなっていうこともあったので。あとは、この映画のモノローグのほとんどが、泯さんが本の中で書かれていることをピックアップして構成しています。

田中:初めてパリに行った時、カイヨワさんのお家に伺って踊りを見てもらったんです。僕は彼の本が好きで、彼の頭の中には、僕が何回生まれ変わっても、決して考え付かないだろうというような言葉がたくさんあります。多くの本を書かれていますが、自宅に飾られている鉱石、鉱物を見てニコニコして「石はとっくに絵なんか描いてるんだよ」なんて仰る人で。それが本質だと思うんです。

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――山田洋次監督は「田中泯のその生き方すべてがアートだ」と仰っています。俳優としての活動の比重も大きくなったことで、演技と踊りで臨み方を分けられたり、ご自身の多面的な部分を見せるということで、見る側を意識することはありますか?

田中:踊りだけをやっている時から、このように見えなければ困るということは何もありません。また、踊りを僕が所有しているものだと思いたくもなかった。多くの人はその技術からすべてを自分の特許のようにして、「私の作品」というような言い方をしますが、僕にとっての踊りは、そういうものではない。有名になっていくための手段でもないし、踊りは僕よりも遥かに偉くて、踊りのほうが僕より大事。その考えは今でも揺るぎません。

お芝居を頼まれて、特に「メゾン・ド・ヒミコ」の時に気がついたのは、演じる役そのものが僕自身と齟齬なく成立しているということ。もちろん細かな意味での技術というのはあって、皆さん苦労して俳優になっているその時間が僕は抜け落ちているわけです。遅まきながら、少しずつ少しずつ、ああ、演技とはこういうことなのかなと分かってきて。でも、それを支えているのは、踊りであることは間違いないんです。だから演技をするとしたら、僕は踊りの演技論しかできないだろうと。

芝居という物語がある中でのひとりの人間の身体から出てくる声、見えない思い、そういうものは、セリフがあろうがなかろうが、表現することがものすごく面白い。ただ、僕の場合はやれないことだらけだと思いますので、そこも加味して見ていただきたいです。やはり演技する、ということは大変な仕事だと思います。

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――演じる=他者になるということに抵抗はありませんでしたか?

田中:それは全くないです。ひとりの人間が数の「1」になるというのは違うと思う。ひとりの人間そのものが、非常に多面的な生物の様相で、言ってみれば田中泯の群れが田中泯であるような気がします。人間みんなそうだと思うんです。ある人ひとりが、純粋にその人と見るのは、かなり錯覚に近いのではないでしょうか。もしかしたら、タマネギみたいなものかもしれません。実はなかったとかね。

あと、言葉に準ずる気ももちろんありません。言葉というのは、やっぱりその時の体から出るというのが1番表現的なことだと思います。何かの言葉を頭の図書館から出して、ページを繰る、開くようなことも僕にはないです。そういう言語記憶をできる人間ではないので。

犬童:田中泯の群れが田中泯である――どのぐらいの年齢の時にその考えに至ったのですか?

田中:30代の後半ですね。たった1回の人生を生きるにあたって、自分というものは確かに大事で、この大事な自分をどうしたらいいんだろう? と思って。そして、自分は自分にとっての例題として、その例題である自分と、夢をふくらませている自分を闘わせればよいと考えたのです。例題である私を自分で蹴っ飛ばしたり、踏んだり、汚辱にまみれても構わない、そういう関係を作りました。私は私にとっての例題である。そこから、私の中にある多数の田中泯、その群れの中の一素材である、たったひとり分いるだけじゃ一生っていうのはもったいなさすぎると考えています。

犬童:歌も演劇も映画も「自分探しの旅」という言葉や解釈が若い人に受ける時代がありました。

田中:そういうことを言って僕に会いに来る若い子には「君は、自分じゃないのか?」と言います。僕らの頃は、自分はどこから来て、どこへ行くのか? というような言い方をしましたね。ただ、私という生命は、地球で生命体が発生した時からパチンと繋がっている。それはぶれないことです。

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――地球に人間として生を受けた田中さんが、様々な生業や生き方がある中で、とりわけ身体を使った表現を選んで生きていらっしゃることに、何かの使命感を持ったり、それを見せることが今生きている証だと考えたりすることはありますか?

田中:ずっと踊りをやっていて、経済的に苦しくて、何かをやらないと現実的に最小限のお金すら入らない状況がすごく長かったんです。その時に自分が選ぶ仕事が、ほとんど踊りと言えるような、自分の体を求めない限り成立しないようなことばかりでした。いわゆる土方だったり、高いところに登るような仕事や、ウェイターなどもやりましたが、座ってできる仕事は一切やっていません。その頃から、僕の場合は、歩きながら考えるということに尽きると思っていた。座って考えると、考えることを考えてしまうような気がして。やはり、立って歩いていることが、僕にとっての考えることだと。

そのこと自体が表現だと、自分で締め付けるようなことはしていませんでしたが、楽しかったですね。井戸掘りをしていて、井戸の水がどうして動いているのかとか、そんなことまで考えると全く飽きることがなくて。そういった経験が未だに影響しています。

――そのような生き方も含めて、若い世代に何かを伝えたり、継承したいと考えられることはありますか?

田中:僕はそんな偉いところに移動した覚えはないです。今でも、若い人と何かする時は対抗意識がすごく強いです。物の見方の違いにあれっと思うことはありますけど、一緒に何かをしている時には、年齢差などは全く感じないです。

継承すべきは僕の外側だと思います。空気があまりにひどくなったらとか、それと地球を意識できなくなったら、踊りは必要ないんじゃないかとか。でもそれは私のためではなくて踊りのためです。異常な暑さの時代がやってきた時に、踊りのための空間をわざわざ作るとしたら、それは間違っていると思います。もちろん、人の住むところ、地球上であれば踊りはどこでも発生し得ると思いたいですけどね。

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――犬童監督にとって、田中泯さんとこの作品を作り上げられたことはどのような経験になりましたか? また、これまで良質な商業映画をコンスタントに発表されていますが、今作は全く異なるタイプの作品です。どの様なところに注目して欲しいですか?

犬童:今、新しい商業映画を作って編集していますが、この「名付けようのない踊り」から、微妙に何かが変わったことが自分でわかります。俳優の演出などの問題ではないんです。泯さんを撮影して良かったのは、自分には泯さんみたいにはできないな、無理だってわかること(笑)。石を撮っているような、俳優を撮っているときとは全然違う状態。でも、その石と呼ぶものが、これまで自分が石だと思っていたものとは違うんです。独特の輝きがある。今の映画で犬を編集しているのですが、その石のことを思うんです。自分が撮った映画が次の映画にここまで影響を与えることは初めてです。

そして、この映画は自主映画なので、自分の望む本当に純粋培養の映画。普通、映画に入らなくていいものって、いっぱい入っているのですが、それがない映画。今、映画を作る若い人にも、こういう映画が作れて映画館で上映できることを知ってほしい。あと、泯さんの生の踊りを見てほしいです。僕は、泯さんの踊りを見ると浄化されたような気分になります。物語に浸るとか、そういったことではないんです。身体と心のバランスが取れる。今回、田中泯の踊りを再現するために音と映像に細かく注意を図りました。本当にこれは今までに作った作品の中で、一番映画館で見てほしいと思った映画です。

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――今作は視覚、聴覚に障がいがある方向けの、バリアフリー音声ガイド、字幕付きでも上映されます。

田中:この映画のすべてが踊りであることは間違いないです。僕もできるなら映画館に足しげく通って、見終わった人といろんな話をしたい気持ちがあります。自分で踊っているので、どういった格好をしているのかはわかりますが、それが言葉と音だけで表現されている踊りを見てみたいですね。

犬童:この映画を言葉だけで表現するときに、田中泯の踊り、言葉を過剰に脚色、演出をしないことが重要でした。全体の間を考えながら、シンプルに残ることを、良い場所に入れていく過程が面白かったです。あと、画の方もこれまで自分は、映画やドラマやCMをたくさん手掛けて、かっこよく撮ろうとすることが染みついていて、泯さんを撮る時にも使ってしまっていた。

例えば、海辺の大きい石の前に泯さんが立っているところをロングショットで撮る、それはすごくかっこいいんです。でも、視覚障がい者の方には、そういう技術、思い込みが通用しない。だから、それが自分でいい画だと思っているのがバレてしまうのがダサいと感じるようになって。目が見えない方にとっては、波の音と、泯さんがそこで手をクロスさせていることだけが説明される。ストーリーがないので、それぞれが頭の中で、サイズもニュアンスも違う映像を見ることになる。そのことのから、技術ってどうなのか?という自分自身への問いかけにもなりました。

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