劇場公開日 2021年9月23日

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「ムロツヨシの面白さが十分に発揮されないままに終わった感がある」マイ・ダディ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0ムロツヨシの面白さが十分に発揮されないままに終わった感がある

2021年9月28日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 ムロツヨシはとても上手で面白い役者だと思う。その初主演映画だから期待して鑑賞した。しかし結論から言うと、あまり面白くなかった。泣けないし、笑えない。興奮もしなければ、ハラハラもドキドキもしなかった。どうしてだろうか。
 ひとつは、愛という言葉の使い方を混同しているからだと思う。主人公が牧師だからなのか、やたらに愛という台詞が出てくる。愛の大安売りである。しかし人間同士の愛と神の愛は、異なっている。そのことは新約聖書のルカによる福音書にきちんと書かれてある。少し長いが引用する。

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あなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。呪う者を祝福し、辱しめる者のために祈れ。あなたの頰を打つ者には他の頰をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取り戻そうとするな。人々にして欲しいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。
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 キリスト教の愛は無限の寛容だ。それが神の愛である。神が愛するように、別け隔てなく愛せとイエスは言うのである。人間同士の愛は、時が経てば風化して跡形もなくなる。しかし神の愛は無限である。
 本作品では主人公の牧師が愛を説くが、神の愛の本質の理解に至っていないままに説教をする。その薄っぺらさが透けて見えるところに、人間的な深みの欠如が感じられる。だから牧師を尊敬できないし、感情移入もできない。

 ふたつめは、娘のひかりに愛がないことだ。ひかりは牧師の娘である。聖書や説教に親しんでいる。神の愛についても、一般の中学生よりは理解している筈だ。ならば家の台所事情が苦しいことやそのために父親がアルバイトに勤しんでいることを知って、父親への感謝や愛を持っていなければおかしい。ところがひかりには父を愛する気持ちも感謝もまったく感じられない。自分のことしか考えない我儘娘だ。白血病になったからといって、急に同情できるものではない。それに申し訳ないが、ひかり役の中田乃愛の演技が下手すぎることもあって、こんな娘を愛する父親の気持ちさえ、理解できなかった。
 せめて病院に支払う費用を心配するとか、聖職とアルバイトの他に自分の世話までしてくれる父の身体を案じるとか、そういった場面でもあれば、ひかりに対する見方も少しは優しくできたかもしれない。自分のことはいいから、お父さん無理しないでといったシーンである。もっと言えば、夫の子でない娘を産んだ江津子について、神の愛を父娘で実感するシーンがあればよかったと思う。

 ムロツヨシは好演だったと思うが、演出のせいか、空回りしているところが多々あった。主人公が牧師なのだから、思い切りキリスト教寄りに振り切るのもありだった。牧師として聖書の世界から一歩もブレない、落ち着き払って真面目一本槍の役作りも、ムロツヨシなら簡単にできただろう。本作品ではどっちつかずの中途半端な人物像になってしまった。それに、殆ど寝ていないと思われるのにいつでも元気という無限の体力にも、リアリティのなさを感じた。
 探偵の小栗旬に無表情で「結構です」と言ったシーンのムロツヨシが一番ムロツヨシらしかったと思う。あの無表情は他の役者にはないムロツヨシ独特の面白さだ。本作品ではムロツヨシの面白さが十分に発揮されないままに終わった感がある。

 奈緒は相変わらず上手だったが、本作品では損な役回りである。演出もくどくて、奈緒のよさが半減していた。本作品ではそこが一番残念である。
 毎熊克哉が歌うシーンは口パクに見えて、胡散臭さを感じてしまった。その後の展開を考えると、胡散臭さは的中していたことになるが、わざとそうしたのだろうか。こんなことを書くと「毎熊克哉さんの名誉のために言いますが、あれはちゃんと本人が歌っています」などとコメントされるかもしれないが、口パクに見えたものは仕方がないと思う。
 光石研は今回はホームレスのチューさん。名脇役ぶりを遺憾なく発揮していた。この人のおかげで、作品が少し救われたと思う。

耶馬英彦