劇場公開日 2020年6月20日

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「観終わると不思議な清々しさがある」はちどり(2018) 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5観終わると不思議な清々しさがある

2020年10月2日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 観ていて決して愉快な映画ではない。男尊女卑、学歴偏重、画一的な価値観、封建主義といった韓国の理不尽な面をこれでもかとばかり見せつけられるシーンの連続である。精神的に不自由な人々ばかりの中で、唯一自由な精神性を持っているのが塾の漢文教師ヨンジである。主人公の中学二年生ウニが惹かれるのは当然だ。
 ウニは9階の他人の家のドアチャイムを10階の自分の家と間違えて何度も押すような頭のよくない子供だ。学校では英文がうまく読めないことから、成績が悪くてクラスメイトから蔑まれている。わりかし可愛い方の部類だから不良になる条件は揃っているが、ウニがグレずに済んでいるのは漫画が好きで、描くのに時間を割いているからだ。
 ウニは思春期らしく異性と仲よくしてみたり同性のひとりを親友として付き合うが、結局は恋人である自分、親友である自分という自意識を満たしているに過ぎない。そして誰に対しても優位であろうとする。嫌な感じなのだ。特にキスのあとで唾を吐くシーンは最低だった。思いやりの欠如だが、現実を受け止めきれない弱さも露呈している。
 自分が間違えたことは黙ってやり過ごすが、他人が間違えたせいで機会を損なうと、赤の他人でも面と向かって非難する。ひとつの情報だけで行動を決めてしまう中学生らしい浅薄さと、自分を正当化したい自己愛性パーソナリティ障害の現れである。日本の前首相と同じ病気だ。なんのことはない、理不尽な状況を作り出すのにウニ自身も加担していたのだ。
 救いがない訳ではない。状況が理不尽であることや自分も理不尽のひとつなのだということをウニ自身が自覚しつつあるフシがあるのだ。どんな状況でも自由な精神性を持つことができることはヨンジから学んだ。ヨンジと出逢う前と後では、ウニの表情が違っている。あとは断捨離だ。親友という名の悪友を捨て、彼氏という名のクズ男を捨てる。
 ラストシーンではウニはすでに自意識の束縛から自由になりつつあることがわかる。そしてウニが変わることで家族も変わる。本作品はひとりの中学二年生の女の子の成長物語であると同時に、家族の成長物語であり家族関係の変化の物語でもある。だから英題が「HOUSE OF HUMMINGBIRD」なのだ。一切の美化を排除したシーンづくりは、19世紀の自然主義文学に通じるようなところがあると思う。観ている最中は不愉快で苦しいのに、観終わると不思議な清々しさがある。この作品が高い評価を得ている理由が少し解ったような気がした。

耶馬英彦