劇場公開日 2019年9月20日

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「つぎは日本の番です」帰ってきたムッソリーニ 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0つぎは日本の番です

2020年7月11日
PCから投稿

毎度ながら韓国や中国との関係が悪くなっている。
それとは真逆に、個人的に、とりわけ韓国の映画を誉めることが多くなっている。
後ろ髪を引っ張られている感じがある。何となく。

そんなとき、ばくぜんと、言い訳を考える。

たとえ親が犯罪者だとしても、その息子や娘は、親の犯罪と何の関係もない。
だから普通に接したい。
その国のコンテンツも息子や娘のようなものだ。
だから政情がどれほど険悪でも、かれらの映画やドラマを、ごく普通に楽しんでもいいはず──と考えたりする。

そんなことを終始考えているわけではないが、なぜ敵対視されている国の映画を誉めているんだろうかと──われながら不思議に思うこともある。

そして日本映画をけなす。
すると、たんなる映画ファンなのに、これはSNS界隈で売国奴と言われてしまう姿勢ではなかろうか──と気になる。

日本人であることを気に掛けつつ、韓国や中国のエンタメに接している──つもりではある。
誉めているのは映画であって、国のやり口を許しているわけじゃない、という気持ちはある。
なんの意味もないが。

かわいいとかっこいいで、全信頼を勝ち得ることができる年齢や人種には限界がある。
しかし優れた映画は、もっと広範囲に、好感と信頼をあつめられる。
おとなたちも韓国映画が好きだ。
いい映画は、庶民をなっとくさせることができる。

つまり、いい映画は国策になりえる外交力を持っている。
庶民の感情にかかわるなら、巡り巡って政治にも関わってくる。ふたつもばくだん落とされたのに、みんなアメリカが大好きだ。
映画は大衆のコントローラーだと思う。
パラサイトが世界にたいして、どれだけ韓国を親近たらしめたか、はかりしれない。

もし大多数の日本国民が、日本映画はつまんないから外国映画見ていればいいや──と思ってしまったら・・・自国日本も好きになれないんじゃないだろうか。
やはりいい映画をつくってもらわなければいけないと思う。
おそらくどうでもいいことじゃないと思う。

アジアは映画の中ですら鳳梧洞戦闘や軍艦島や金陵十三釵のように、少しも軟化していない。
職場の韓国人や中国人は普通の人たちだが、個人の気持ちはともかく、アジアでは国の方針と大義における国民感情は連動している。
親が犯罪者なら、子も犯罪者なのである。

ドイツ映画、帰ってきたヒットラーがヒットして、イタリアもまけじと帰ってきたムッソリーニをつくった。

二番煎じだし、低予算でさくっとつくっているが、あんがい楽しい。町並みがきれいで、ゲリラ撮影の臨場感もあった。しょうじきなところあまり似ていないが、特徴がスキンヘッドだけなので、軍服と軍帽といかつい顔さえあればだれだってベニートである。

笑いにできることはうらやましい。
ドイツにもイタリアにも、しがらみがない。
みんな笑っている。
過去のことだ。

ならば、あの時の首領をネタにしてみよう。
三国同盟にならってドイツ、イタリアときたら、次は日本の番だ。
となると日本は帰ってきた近衛文麿か、帰ってきた東條英機をつくることになる。
できるか。
できっこない。

そもそも独裁者ではなかった。近代日本で独裁を布いたひとはいない。
が、そんなものをつくったら、どうなるんだろう。
日本は、なお混み入った相対のなかにいる。
独立していないも同じかもしれない。

が、そんなばくぜんとした感慨とちがって、現実に主権を乗っ取られた香港の人々は、どれだけ恐ろしいことだろう。それを言いたかった。

戦時の軍人がよみがえって、それがコメディになる。
アジアにそんな未来があるんだろうか。
なんてがらにもないが。

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津次郎