劇場公開日 2018年10月6日

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「喪失感との共生」シャルロット すさび Dancerさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0喪失感との共生

2019年5月5日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

 岩名雅記の長篇劇映画、作品第4『シャルロット すさび』を、新宿K’s cinemaにて観る(2018.10.7/10.18)。舞踏家として約40年を生き、今に至る10数年は映画製作を併行して行ない、『朱霊たち』『夏の家族』『うらぎりひめ』を発表している。
 舞台はまず、パリ。シンバルを使ったパフォーマンスを行なう日本人青年カミムラ(K)は、新たな舞台のため厚さ6ミリのガラス板を求める。訪れたガラス店でKを迎えたのは、思いがけないことに日本人女性、朝子だった。Kは朝子に、亡き妻スイコの面影を重ねる。
 自分の公演に朝子を誘うK。フランス人の夫、幼い息子との日常に倦怠を感じていた朝子もKの出現に心を躍らせるが、公演会場で手にした冊子でKが妻帯者と知り、彼女は裏切られた気持ちで日本に帰ってしまう。朝子を追って日本に行くK。待ち合わせの場所に、朝子はスイコの顔で現われた(二人の女優による一役)。生前のスイコと行こうとして行けなかった山中の温泉地をめざすKと、亡き妻の面影をした朝子……。
 パリで孤独な表現活動をしていること。妻を亡くしたこと。公演にガラス板を用いることなど。Kに岩名本人を重ねることは容易だし、これは岩名雅記という人物を解釈する上で欠かせない映像のテクストだと思いつつ、あえて劇映画という物語、虚構としてとらえてみる。作家なら、物語に自身の歴史と体験、主人公に自身を重ねるのは当然だろう。その上で、岩名が観客に語りたかったのは何か。
 Kがパリの地下鉄構内で出会う、不具のイタリア人女性、シャルロットがいる。一般社会の裏で、犯罪組織を営む男に家族を人身売買され、シャルロット自身は下半身を切断されて見せ物にされた。物語の後半は、その犯罪者とシャルロットが対面し、Kに力を借りて男を殺害。いうなれば復讐譚になるのだが、やがてシャルロットは、誰にも予想できない形態の下半身を獲得する。その瞬間、シャルロットは人ではなくなったのかもしれない。それでも生き生きと、躍動して動けるようになった。自分の大部分を占めていた欠落を払拭し、別の存在として再生、復活したのだ。
 日本を離れている間、岩名雅記が抱き続けていたのは、巨大な喪失感ではないか。フランスに渡ったから感じたのではなく、フランスに渡る以前から感じ、フランスで感じ、踊っても映画を作っても、なお感じ続けている。それを埋めようとしているのではなく、失ったまま生きている。喪失と共生している、といえるか。
 映画を象徴する一場面としてポスターやチラシ、プログラムに使われている、廃虚での、Kと朝子の交わり。男女の交わりは、現代人において、子孫を残すためというより、喪失感を埋めようとする行為ではないのか。それが現代人の本能に似て。しかし、ひとつになろうとしてなれない。岩名雅記が抱いているかもしれない喪失感に共通するのだろうが、物語の背景には、東日本大震災の津波で父親を亡くした朝子の喪失感、津波による原発事故で故郷を失った人々の喪失感がある。もちろん、妻を亡くしたKの、住む人々を失った町そのものの喪失感も重なる。
 タイトルの半分、“すさび”は、心おもむくまま、さまざまに行為すること。人は本来、すさびをする生き物だが、それがとりわけ現代人に顕著だと、岩名雅記はいいたかったのか。為しても充たされない、人の心……。何度でも観て、作家の思いを共有したい。

Dancer