こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話のレビュー・感想・評価
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生きることをユーモアを含めリアルに描いた佳作
生きるということは、栄養を摂取して排泄する、それだけでは決して成立し得ないと改めて思わせてくれました。
人は誰もが病に罹る可能性を持っているし、命というものは全て必ず死を迎える。
この重いテーマに、ユーモアをもって粛々と立ち向かった主人公の姿は、生きる者としての熱量が非常にリアルで、見ている側も熱に当たらされた素晴らしい作品です。
北海道の景色が爽やかで◎
鹿野さんはすごい人ですね。 不自由な身体でも明るく、夢を持って、ボ...
鹿野さんはすごい人ですね。
不自由な身体でも明るく、夢を持って、ボランティアの助けは借りても親に頼らず自立して。
ボランティアとして支える人達もすごいです。尊敬します。
タイトル損してる
実話を元に作られているそうですが、感動しました。
人の絆を垣間見た気がします。
大泉洋の存在自体がギャグっぽいので、鹿野の役はハマリ役です。
他の方では重くなってあの味は出ないと思います、名優ですね。
タイトルは違う方がよかったのではと思います。
生き抜くと云うこと
生き抜くと云うこと
自分に置き換えて彼の様に生き抜くことが出来たであろうか?自問自答します。私も精一杯私の人生を生き抜きたい!勇気を得られた素晴らしい作品です。おこがましいですが、そして私も誰かに勇気を与えられる存在に成りたい!
タイトルで引いても、内容に心が惹かれていくこと間違い無い
正直夜中にバナナ?。筋ジスって難病もの?。うーん・・・。
そんな思いで見てなかった自分に、喝!!!。
介護保険施行は2000年。それより前の1994年。
24時間ボラ(ボランティア)の人々が、シフトを組んでいつも鹿野の側にいる。
最初は夜中にバナナ食べたいだの、あれしろこれしろ指示しまくる結構暴君ぶり。
なのに、いつも主人公・鹿野の周りには笑いが絶えない。
そこにはボラも含めた“鹿野ファミリー”が、出来上がっているんですね。
鹿野の強烈キャラが憎めず、とても魅力的だからかな。
病気なんてモノとせず、今やっとかないと、後でできなくなるかもと。
猪突猛進していく様。ボラも「仕方ないなー」ってかんじ。
本気で向き合うから、ファミリーになれる。
実の家族が介護すると、お互いしんどい。鹿野は、その常識を覆したいと。
まさに自立した生き方。
病気だから病院に入院するっていう考えが、鹿野には通じない。
「命の責任は自分で持つ」「先生だって家に帰るでしょ?。俺も家に帰りたい」。
家が一番なんだな。
一番心に残ったのは。
「できないことは助けてもらう。人はできないことの方が多い」。
助けてもらうには、自分をさらけ出さないといけないもんね。
大泉さんの主に顔の表情での演技が、あてがきかと思うほどぴったり&熱演。
あー、録画消さなくてよかった❤️
元気が出る1作です。
感動した
取り敢えず観てみよう感覚で観たら....凄い感動するじゃんッッ
私だったら絶対こんなわがままな人のお世話なんて出来ないけど約500人もの人に愛されてお世話をされた鹿野さんにはもの凄い人を惹きつける魅力やただのわがままな人じゃないんだなって....
なんて言えば良いんだろう 取り敢えず感動しました
障がい者と対等に付き合うとは‥
最初、大泉洋演じる鹿野さんに嫌悪感を抱きます。ボランティアの方々をボラって。でも筋ジストロフィーの鹿野さんが、健常者に対等に付き合うということは、と深く考えさせてくれる良い映画。
鹿野さんがすべきことは、ボランティアにいちいち感謝するのではなく、命がけでワガママ言ってでも、生き続けることで奇跡を体現することなのだ、というのが自分の感想。
高畑充希さんの好演で、鹿野さんへの印象が劇中で180度変わりました。
切り拓く
障がいがあっても無くても
親に頼らず自分の思うように生きたいと考えるのは
当然のこと。
バナナに限らず夜中にどうしても食べたいものがあれば
私はコンビニなどに買いに行くことでしょう。
(我慢することもありますが)
では,自分では行くことができない人は,
他人に頼ることを遠慮して諦めるべきなのでしょうか。
他人に迷惑をかけないように
自分のしたいことを何もかも諦めてしまうべきなのでしょうか。
『こんな夜更けにバナナかよ』のタイトルから
最初は,わがままな障がい者のお話かと思いました。
でも,映画を観ていくうちに
障がいのある鹿野さんも,
私たちと同じように
自分が思うように生きられる人生を送りたいと切に願って
社会や福祉,人の意識を変えていくことに
挑戦していたのではないかなと考えるようになりました。
究極のわがまま
周りに迷惑をかけないようにしなさい。
子供の頃や社会人になっても言われたりする言葉。この言葉を聞くたびに、うんざりしたりして世界が狭くなっていく感じがして、反抗したり強がったりだんだんと出来ることが少なくなっていく感じがしたのを覚えている。でも、この作品の主人公は、狭い部屋にいながらまるで世界を何周もした人が語る
生き方について
くらいに響いてくるものがある。彼のわがままは、ただのわがままではなくて、命を預ける代わりに周りが気を使わなくていいように思ったことを言っているような気がする。そこに、人間として奥深さを感じる。
コメディータッチで難病に立ち向かった男の姿を笑いと涙で描く。予想以上に心に響いた作品。
この作品の番宣は映画館で嫌というほど観た。夜中、大泉洋扮する鹿野靖明さん(実在の方)が、バナナ食べたいと言い出し、ボランティアで彼の世話をしていた美咲(高畑充希)が漸く買えたバナナを彼の前に叩きつけ、彼が”今、なんか ぐっと来た!”というあれである。
難病モノとはいえ、あの路線が延々と続くと辛いなあと思っていたのだが、あにはからんや、美咲や美咲の恋人、田中君(三浦春馬)の隠し事が露わになる辺りから物語は単調な部分を脱していく。
それにしても、三浦春馬さんは良い人過ぎて、煮え切らない男を演じさせたら、天下一品だなあ。
私の脳内では彼の姿をスクリーンで観ると<モジモジ君>というワードが自動的に出現する事態になっている。
<2018年12月28日 劇場にて鑑賞>
筋ジス患者のあるあるを含む
知らない人は知らないままの患者像とボランティアの姿を柔か目に描いている。ボランティアの姿はリアルさを薄めている。ピンからキリまでのボランティアがくるのだから、鹿野と揉めた人も一杯いるだろうし、そこまで掘り下げて行くと観る側もしんどくなる。
作品内容もリアルに描くには厳しい病気であり、若い患者でも「明日の朝は呼吸してないかも?」と自分の死を身近に感じ不安で眠れなくなることも多い。療養所などでは毎日話していた隣の部屋の友達が急に居なくなるなど、子どもの頃から突然死を実感させられ続けているのだ。
極端な患者だと「出産前検査で異常が解ったら殺して欲しかった」とまで言っている人もいる。
その前提で見れば、多少オーバーに見える鹿野の態度は筋ジス患者としては普通である。
筋力の低下により呼吸出来なくなるのは恐ろしい事であり、本人は絶えずその事を意識しているのだから。
独りでは何も出来ない鹿野にとって、命をかけてもやりたい事をやるのが存在意義になっている。
人口呼吸器装着すれば独力で生きられない事を否が応でも認識させられ、行動に制限がかかり、死への(存在意義の喪失)へと直結して本人としては苦渋の決断だったのだろう。
しかし、あの要求には実際医療従事者としたら堪らないだろう…あんなんしてたら迷惑だし、安静も保つ気がないとか…強制退院だわ(笑)
だからボランティア頑張りには頭が下がる。
500人もの理解者を得られたのは単純に鹿野さんの魅力だけではないが、その関わりによって鹿野さん本人のみならず、熱心なボランティアたちも人間的な成長を遂げたのではないだろうか?
ただプロポーズの件はあそこまでやる必要があるのか?とは思う。失敗したら意欲がなくなりそうで傍目から見ても恐かった。勝算は低いけど当たって砕けても悔いはなかったんだろうなぁ。
鹿野靖明さんの生活プライベートの全てをボランティアや介護者に見られてしまう人生を理解することは出来ないが、自分ならどうしただろうと考えると凄い話である。
他人に助けを求めるって意外と難しいってわかる。
さすが大泉洋さん!!
冒頭で大泉洋さんがボランティアにまくし立てるように話すシーンで、この主人公無理…と拒絶反応を起こし映画を観るのを止めようと思ったのですが、、、
途中から大泉洋さんを応援するようになり、最後にはガッツリ泣いていました。
さすが大泉洋さん!!
毎日ボンヤリと生きている自分に喝を入れてくれる作品です。
人を引きつける人とは
こんな境遇でなかなかこんな前向きで社交的で、口は悪いが人なつっこくて、いないよね。
だから、大泉洋だからできるんだ、ということもあるし。
実話だと言うこともある。
でも、それで終わりにするのはもったいない。
自分には出来ないけど、少しは真似したいと思う。
どうせ、私なんかと思わないで、やってみようと思う、これから。
なんか声かけて、いろんなことを少しでも共有できれば、なにか、人間関係が変わると思う。
きっと、そう思う。
三浦君も他のみんなも清く正しいボランティア一辺倒じゃなくて、悩みや苦しみを持つ、普通の人間なのも良かった。
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