ここは退屈迎えに来てのレビュー・感想・評価
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桐島部活辞めるってよ思い出した。
いわゆる登場人物達が悩みを抱えてウジウジして、そして解決もしないといったような映画を映画館で観たのは初めてだ。
映画館では迫力あるバトルがある映画を観たいからな。
でもこの手の映画にある心に棘を残して終わる作品を映画館で見るのもいいな。なんとも言えない余韻に浸れました。
これも初めての経験。映画館で観て良かった。
タイトル通り
見たあとの感想はタイトル通り。複数の人物のドラマをプレイバックプレイフォワードでごちゃ混ぜに見せられる。感情移入できないように仕組んでいるのであればハイセンスかも。30手前のモゾモゾした心境の人のみ共感はできると思うが、得るものは別段無し。知り合いには勧めない。
文字で表現する作品を映像化しなくても
橋本愛と村上淳が出てきて「お」と思ってると柳ゆり菜が出てきて、門脇麦がきて内田理央がきて岸井ゆきのが出てくるって凄いよね。
でも話はぼやーんとしてるの。東京に憧れるしかない何にもない田舎で、高校のときは輝いてた椎名くんはどうなったかな?っていうところなんだけど、そりゃ、どうにもなんないよね。
椎名くんが輝いてたのは物凄く小さな世界で、椎名くんは色々と取り繕ってその世界に留まるように頑張ってただけなんだから。年齢を重ねて世界が広がっていったら、もう椎名くんの居場所はない。
だから最後は「つまらない男だよ」って言われちゃうんだけど、椎名くんに対して、そういう風に思う人が、椎名くんを手に入れる。憧れてる人は、手に入れることはできないの。
登場人物はみんな色々思ってるんだろうなって思うけど、これ、映像にする必要あるかな。原作読んだら十分なんじゃない。ここまでキャストを集めて映像化する意味ってなんだろう。
そして椎名くんを演じる成田凌は、ここから数ヶ月ありとあらゆる映画に出るよね。「事務所がんばって売り出してんなあ」って思ったけど、そうまでして売り出さないと目立ってこない俳優は、やっぱりその程度なのかなって気がした。
橋本愛ちゃんがかわいくて美しくて細くて好きしかなかった。成田くんや...
橋本愛ちゃんがかわいくて美しくて細くて好きしかなかった。成田くんや麦ちゃんなど素敵な俳優さんばかり出てる。タイトルが好きなので、原作が気になった。
退屈なのは、私自身。
歳を重ねていくにつれ、青春映画を観たくなるのはなぜなのか。観ている間はあの頃の自分を思い出し、
懐かしさと同時にどこかに落としてきてしまった大事な何かを気付かせてくれる。
それが何かは分からないけど。
終始緊張感のカケラもない日常が延々と続くようなこのけだるい空気感は、あの頃の悶々とした毎日と、
今の自分達の状況そのものを表現しているのかもしれない。
結局みんな椎名君のことが大好きだったんだね。今でも。
あの時好きな気持ちをなんとなく伝えていれば、今だにこんなにも想いを募らせることはなかったのに。
思い出なんて自分に都合のいい妄想に変わっていくもの。
劇中歌の「茜色の夕日」
まさかあのタイミングでこの歌が聴けるなんて。軽い鳥肌が。
「あたし」が唄うこんなにも可愛くて切ない「茜色の夕日」を今まで聴いたことがないよ…
原チャリを飛ばしてグシャグシャの顔して泣きながら唄う新保君。もう最高に情けなくてカッコ悪くて。
観ててもらい泣きしそうになった。一体どこに向かって走ってんだよ新保君…
この二人の悔しい気持ちを振り絞った叫びの歌は
迂闊にも頼りない私の心の奥底に沈んでいた何かに響いてしまったのです。
「高校生のままだよね」
「私」が言ったこの言葉は椎名君のことではなく、何も変わってない今の自分達に対して嘆いた本音だろう。
憧れの東京と憧れの椎名君。
憧れの対象はとっくに自分を追い越して先に進んでいるんだよ。
退屈と思うのは何も変わらない自分のせい。
いつまでも引きずってちゃダメなんだ。
最後の場面
屋上から見える夕暮れの東京の景色がとても綺麗 。画面いっぱいに広がる憧れの東京。
そしてタイトルの後のあのオチ。最高。
どこにでもある街に生きるどこにでもいる若者たちの素敵な群像劇でした。
麦ちゃんをもっと出せ!
まるで故郷のようなウラ日本の風景。
田圃のなかをバイパスが通って、スカスカの大型駐車場を湛えた大型店のネオン。東京と同じフランチャイズ店だがなにかが違う。
歩くひとは見あたらず、車のなかで会話が進む。
ロケ地をアピールしていた富山としては心外かもしれないが、田舎はどこも変わらないなあ。
田舎のゆっくりとしたペースを醸し出していたせいか、エピソードが多い割に話の展開が遅くて「退屈」してしまいそう。それでいて回想シーンが行ったり来たりでやや混乱。
門脇麦のファンなので劇場に赴いたのだがはっきり言ってチョイ役。免許を取りに行ってもう一絡みあると思ったが、なにもなし。ポスターの一角を担っているほどの出演はない。誇大広告だ。
そしてフラれてやさぐれる、またもや不幸な役。だれか麦ちゃんに幸せを。
最後はみんな歌い出してミュージカルになったらどうしよう、とハラハラしました。
たくさんのひとが地方から東京にやってくるのだけれど、その時に起こる自分や周囲の葛藤というのはこの映画に典型されるように、本当に変わり栄えしないものなんだとつくづく感じた。そして友情も恋愛も最後に地元で過ごした高校時代を引きずっている。この映画のほかにも、最近の邦画で恋愛ものというと高校時代の青春映画がごっそり。
こんなおもちゃ箱のような東京で、同世代がたくさんいる中でも、地方での高校時代を超えるドラマや恋愛を描けないでいるのだな、と悲しくなった。日本はなんと貧しい国なんだろう。
思い出はいつも甘く美しい、でも思うだけにした方が良い...
事前に色々な方のレビューを拝見していたので、少し心配していたのですが、結論から言うと杞憂でした。一見掴み所が無い作品のようですが、個々のエピソードの詮索は横に置いて、作品全体を流れる情感・雰囲気に触れてみると、個人的に共感出来る部分が多く、楽しめました。橋本愛演じる「私」とその高校のクラスメイト達が主人公。高校卒業後、それぞれの道に進んだものの、結局30歳を目前にして今はみんな地元で冴えない生活を送っている。そんな彼らが、高校時代のクラス一の人気者だった椎名君との思い出を中心に昔を回想する物語。思い出は何故かいつも甘美なもの。辛かったり悲しかったことはすっかり抜け落ちて、美しく楽しかったことだけが残っている。だから、ちょっと今の生活に不足や不満を感じるようなことがあると、直ぐに昔の思い出に浸ってしまうのは人の常なのかも知れません。でもこの作品を観て感じたのは、思い出は思い出に留めておくのが良策だと言うこと。あれ程憧れていた椎名君との再会は「私」にとってこれ以上無い皮肉でした。年齢のせいか私も最近とみに同窓会のお誘いが増えてきたのですが、十分に肝に銘じておかねばと思いました。橋本愛さんは細身で少しギスギスした感もありましたが、引っ込み思案な「私」にぴったり合っていたように思います。「あたし」を演じた門脇麦さんもなかなかの好演でした。男勝りの役柄が続いているので、今度はもう少しフェミニンな彼女を観てみたいと思いました。
波がないので感受性が低いとつまらないかと。
私はなんとなく共感しました。今、30歳になって、高校生の頃をふと懐かしく感じることがあるようになったかもしれません。
ちなみに、今回の舞台は全部地元の自分の行動範囲内で、自転車で高校生が土手や田んぼの真ん中の道を進むシーンとかはもう、オーバーラップ凄かったです。
茶髪の女の子のセリフがいい意味でいちいち重いかったです。
正直、北陸新幹線が開通する前までの設定でしたが、北陸新幹線ができる前までは、富山では出ていく都会といえば大阪か京都か名古屋でした。
そういう意味で、東京と言う人は少ないように思います。でも、ロケ地なのであって、富山県だからこそではないんですね、今の日本で田舎といえば富山になるようになぜか世間が動いているように思います。だから、田舎の象徴として富山な訳で、その役割は十分に果たしています。
だらーっとさらーっとふらーっと入るのにオススメです。
こんな映画は退屈撮り直して
置き場所のない感情を持て余しているとき、「茜色の夕日」を口ずさんでしまうのはわかるなあ。エンドロールのクレジットに志村の名前を見つけたとき、ちょっと胸が締め付けられた。
他はなんもない。
東京に憧れるだけで、今の現状をどう変えていこうとするのかの情熱がまるでない。言ってみれば「ああアイドルと付き合いてえ」くらいの薄っぺらさ。閉塞感に閉じ込められていくようだ。惰性で生きる生き方が悪いとも思わない。だけど、そういう奴のほざく「東京が、東京が、」にうんざりする。だから、屋上でひとりニヤケ顔で呟く最後のセリフに吐き気がした。東京に住むことだけがステータスかよ。
それと、十年以上も前のシーンに出てくる車が今時のデザインっていうのは勘弁してほしい。ただでさえ時系列がぐちゃぐちゃになっているんだから混乱するよ。
退屈な映画
成田凌、橋本愛、門脇麦、村上淳、マキタスポーツさん等豪華キャストの廣木監督作品でしたが、全く感情移入できず大変退屈な映画でした。
主な理由は、
1.時間軸や登場人物があっちにいったりこっちにいったりとかなり支離滅裂でついていけなかったこと。
2.何もない山の中とかならともかく、富山のそれなりの都会に住む人が東京に大変強い憧れを抱いていることが5年前の設定とはいえ、ネット社会の中でかなり違和感があったこと。
3.キャストの歌う尺が必要以上に長かったこと。
4.そもそも、青春時代の憧れは幻想というストリーに個人的に全くインパクトを感じなかったこと。
良かったのは、フジファブリックの主題歌と舞台挨拶で観た原作者の山内マリコさんが大変美人だったことですね。それ以外は正直何も残らず、残念ながら時間の無駄でした。
廣木隆一に撮らせたらダメ。
一言では語れない映画ではあるが、先ず廣木隆一には原作が言いたいことをわかってない気がした。役者が吐き出すセリフが真実味がなく、ただ発しているだけで薄ら寒くなっていく。
つまり、1番大事な事を演出していないと思えた。全て雰囲気でやっちゃってる事に映画ってこんな残念なもんかと。
そして強引にみんなに同じ歌を歌わしたり、カメラワークに乗せて音楽を多用したり、全く演技を信じてないんじゃないか?退屈な瞬間を、無駄に音楽を多用するなとこのバカ監督に言ってやりたい、マジでウザい。
カメラワークや、音楽で強引に観客の感情を持っていくのは余りにも雑な発想であり、役者さんが演じる呼吸が全く聞こえてこない。PVにもなってない出来。
車から流れる音楽なんかが正にソレです、適当すぎる演出に吐き気が催しました。マジでバカか?と思い、一瞬怒りすら感じました。
廣木隆一よ、もう映画撮るな。もしくは引退しろ。
アイデンティティー
高校を卒業し約10年東京に出ていたが地元富山に戻りタウン誌の記者をやっている女性が、友人との話の流れで高校時代人気者だった男に会いに行くことから始まる思い出話。
…かと思ったら、ここ15年位の間の様々な時の様々な女性?達の鬱屈とした想いを富山を舞台に描いた作品。
今を生きるとことか未来のこととか特に考えず、不平不満という程ではないにしてもちょっと「溜まった」感情をあらわしている若者達の群像劇で、衝撃的な出来事や印象的な出来事は起きないし、面白おかしい展開もない。
別に東京に特別な何かが有るわけではないからね。そう思いたいってことなんだろうけど。
オッサンの自分からしたら激しく共感出来るでもなく、まあわからなくもないところがあるかなとか、まあそうだろうねというところ。
椎名、教官やってるってよ?
どこかにいきたい私と、行きたいと言いながらどこにも行かなかった私と、ずっとここに居たかった私、の話だと思いました。
そういう思春期や10代に苦しんだなら、少しは共感できるのかも。
あと、、、演出なのかもしれないけど、ところどころ微妙なカメラの手ブレが気持ち悪かったかな。
椎名くんちゃんと出てきて、ほんとよかった。
桐島部活やめるってよ、の人物が大人になると…
乱暴に言って、桐島部活…の桐島や同級生達がアラサーになった話。クラスの人気者は大人になっても成功する?陰キャラはそのまま?一つの答えがある。
自分の青春と重ねる、「本当に今のままでいいのか?」と今の自分に自問する、でも自分の方が映画と人物より成功してると越に入る、そういう楽しみ方できる。
演技:可もなく不可もなく
ストーリー:時系列がよく入れ替わる。割りきって、ざっくり雰囲気で楽しめばいい。
音楽:初耳だったが映画とマッチしている。家で聴きたくなった
絵:廃れた感じ、片田舎臭がよく出てる笑地元が富山ならより楽しめる。
クラスの憧れって結局周りが勝手に作ってる物。人生最後は一人だし、学生時代なんて関係ない。考えさせられる映画でした。
そもそもそんな奴いなかったのかもな
映画の作り自体はとても好きでした。
時系列や目線をバンバン変えていきながら、登場人物たちのぐちゃっとした心を描く感じ。だんだん全ての点が繋がって、またそれの中心には基本的に椎名くんがいる。ワクワクドキドキするような展開もないけれど、だからこそ普通で退屈で感情移入しやすかったです。
門脇麦ちゃんが茜色の夕日を歌うシーン、刺さりました。私も免許取りに行かなきゃな、と。
この物語で、過去に囚われていたみんなの何かが解決したわけでも、明るい方向に向かったわけではないけれど、必要な時間なんだな、と思いました。そしてそれらに反するように未来に希望を見出す妹。
でもちょっと長かったです。途中で飽きそうになりました、、
みんなのアイドル椎名くんはいなくなっちゃったんじゃなくて、元からいなかったのかもしれません
浮ついていても許されるのが東京
約10年くらい前、ラジオばかり聴いていた。勿論FMなどではなく、専らAMで喋り中心の番組だ。そんな中で数少ない曲掛けで、“フジファブリック”がよく流れていた。三十路後半だったから、もう音楽もあまり聴かなくなり、興味が無くなり掛けていたから流行りの十把一絡げの内の一つなんだろうなと、その時は気にも留めなかった。暫くして、そのボーカルである人物が亡くなったことがニュースになった。他人事だと思い、このグループは終わるんだろうなぁと気の毒に思った。しかし、フジファブリックは驚くことにメンバーを替え、再出発するというニュースがアナウンスされる。例えが悪いが、ミスターチルドレンで桜井和寿があのまま病気で歌えなくなったら、サザンの桑田佳祐がガンの進行を食い止められなかったら、多分、両方のグループは自然消滅して、それぞれのファンの心の中で音楽を奏でることになるだろうと思う。それ程バンドの中心が居なくなれば、そのバンドは寿命なのだ。しかし彼らはそのまま同じグループ名で活動を続け、引き続き今の音楽シーンを引っ張る牽引車の一つに成長している。カリスマ、神、天才と呼ばれた前任者の夭折において、フジファブリックに対するイメージの厚みが他のバンドにはないものとなっているのである。
長々と書いてしまったが、そのグループが劇伴及び主題歌を提供しているのが今作であり、初期メンバーの代表曲『茜色の夕日』を登場人物がリレー式にアカペラで謳うことで、作風に大きく影響されていることも特徴なのである。
勿論、小説が原作で未読なのだが、ネットで読書感想を追ってみると概ね映像は則しているらしく、制作陣のオリジナルは少ないようである。そしてプロットは、明らかに『桐島部活やめるってよ』のテイスト。スクールカーストの中でのリーダーを巡る周りの人物がどのような思いを抱いていたのか、10年後大人になったそれぞれが過去を振り返りながら、あの頃の気持と、現在のリアリティとのギャップ、その心のヒダを丁寧に拡げながらストーリー展開していく。『桐島』と圧倒的な相違点はそのリーダー自ら登場することで、よりリアリティをもたらし、かなりの現実感を演出していることである。それがもたらすものは、夢や希望といった正のベクトルの真逆、厳しく辛い社会の洗礼を、たとえ中心人物だったリーダーまでも浴びることを免れることなくきちんと描いたかなりのビターな作品としての仕上がりなのだ。
原作では短編型式になっているストーリーを群像劇として編集しており、ストーリー当初はその相関図が全く不明で理解しずらく、中々入り込めない。場面転換で年代がクレジットされるのだが、そもそも繋がりが分らないから戸惑ってしまう。ただ、後半になるにつれ、段々とその細かいストーリーが繋がりだしてくればストレスは解消していくことはそれでよい。問題は、今作の俳優陣の実力揃いの豪華さは、却って作品に過剰な画力を及ぼしているのではないだろうかという危惧である。色々な映画やテレビ作品で、キーマンとなるような高レベルの演技力を誇るしかも若い俳優をここまで贅沢に披露して、但し、ストーリーそのものはかなり内向きなネタなのだから、そのバランスの悪さが際立っているのがスクリーンに漏れてしまっているのだ。ま、端的に言うと、高校生役はあまりにも他のエキストラの中で浮いてしまっているのである。高校生にはまるで見えない配役は、シーンそのものが、まるでコントのように見えてくる。話のシリアスさとのギャップが悪いように出てしまっていてかなりの違和感である。
ストーリーそのものは、結局ラストの、元リーダー格だった男が、その男を憧れていた女の名前を覚えておらず、改めて名前を訊くというオチで、自分の今までの膨らませ過ぎた想い出補正を無残に割られてしまうということで、それはそれで着地点は面白い。
幾つかの支流である、リーダーの妹の話、同じクラスメートの、歳が離れているオヤジと付合っている女の子の話、そして、内田理央と岸井ゆきのの話は、大胆に削ってもよいのではと思ったのだが。岸井が最期に結婚していて、相手がそのリーダーだったというオチは、まるでビアンの匂いをさせておいての、実は高慢ちきな友達を泳がせていて、最期に逆転するという展開をミスリードの演出で語られているのは面白かったけど。それと、門脇麦の話はもっと掘っても良かったのではないだろうかと少々、残念である。あの話はもっとアイロニーが演出出来ると思うのだが・・・。
多分、今作は明確なターゲットの年齢層がいて、それ以外はあまり響かないのではないだろうかというのが総括である。
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