劇場公開日 2018年1月20日

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「韓国ノワールミーツレディプレイヤー1」操作された都市 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5韓国ノワールミーツレディプレイヤー1

2022年7月31日
PCから投稿

ゲーム中は熱くなるので“ゲーム実況中の暴言”が後を絶たない。
先日も、炎上とは無縁とされてきた老舗YouTuberがゲーム実況中の暴言によって炎上した。

いまやゲーマーは認知された職業だが庶民的とは言えない。
これは“古くさい考え”などではなく、お父さんお母さんに「ぼくはゲーマーになりたいんです」と打ち明けた場合と「ぼくは医者になりたいんです」と打ち明けた場合と、どっちが抵抗がすくないか、想像できない人間はいない。
高校生であろうと、熟年であろうと。

おそらく立脚点からすると棋士と変わりないはずだが、ゲーマーには“堅さ”がない。牽強付会な比較だが、対戦中の棋士とゲーム中のゲーマーの態度は違う。頭脳より器用さが勝敗を決める。チームプレイなら協調性がひつようになる。が、あんがいどんなゲームもつきつめると攻略はリニア(一本道)なものだ。手先のスピードがものを言い、能力やストイシズムは使われない。

むろん、勝負事だから厳しく浮き沈みのはげしい世界であろうが、素人目には仮想に生きている感じが否めない。

レディプレイヤー1やソードアートなど仮想世界orゲーム世界を舞台にした創作において必ず描かれるのが、仮想またはゲーム世界の友情が、現実でも適用されるか──の命題である。
解は明白で「それはない」。
ないけれどつねに魅力的な命題になる。

ゲーム内で会った人と徒党を組んで一緒に戦う。が、現実では会ったことがない。かれが男なのか女なのか何歳なのかどこに住んでいるのか何語をはなすのか名前はなんというのか、なにもわからない。

が、いちばんわからないのは性格だ。
アイテム横取りしたからがめついか──いやいやルールを知らないだけかもしれない。そもそもゲーム上の行動で性格がはかれるなんてのは幻影だ。
そんな人と現実で会い友達になるのはほとんどメルヘンだ。だからこそ創作になる。

操作された都市は韓国ノワールに落とし込まれたレディプレイヤー1──という感じの映画。嵌められ、落ちていく描写の非情が韓国らしい。くどいほどボロかすに破滅させることで復讐を盛り立てる。“捲土重来”構造がとてもノワールだった。(なお本作はレディプレイヤー1より1年はやい。)

いけめんチ・チャンウクと日本ですっかりおなじみになったシム・ウンギョン。キム・サンホはめずらしく悪役だった。

気になったのはちょい役でイ・ハニがつかわれているところ。
モダンファーマーという、とてもばかだけどものすごい熱量をもった韓ドラがあり、出演者全員がいい。イ・ハニもそのひとりだった。

仮想の友情は現実では適用されない。──と言ったが、適用されないものにはスキルもある。たいていのゲーマーは現実世界で(映画ほどには)多芸多才ではない。
だが、それ以上に“ない”のは外観かもしれない。

レディプレイヤー1の“アルテミス”はオリヴィア・クックだった。
本作の“ひげ面兄貴”はシム・ウンギョンだった。
だが、現実はどうだろう。
ゲーム内で美麗なキャラクタを操作している彼/彼女はじっさいどんな風貌だろう?

なんの意味もない矜持だがMMOをやるときは、現実のじぶんに似せてキャラクターをつくる。そのほうが虚しくならない。

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津次郎