「映画は退化した」哭声 コクソン ソウイチさんの映画レビュー(感想・評価)
映画は退化した
例えばフェリーニの映画において、主人公の見る幻視は作品の全ての要素の暗喩だった。
しかし、この映画における登場人物の幻覚は作品のストーリーに奉仕するプロットの一部に止まっていて、個人のイメージの暗喩たることによって意味を掘り下げようとする意図は見られない。
この映画は人間を突き動かす内部の暗喩をテーマにしておきながら、受け手と共に新しい意味を探そうとはしていない。類型を提示してそこに受け手を落とし込もうとするだけである。
映画と我々受け手はここまで退化したのだろうか。作り手はもうイメージに絶望しているのか。我々受け手はこのレベルの映画を文学的だとありがたがる程退化したのか。
そんなことはないはず。
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