「仲良くなったわたしたち、傷つけあったわたしたち、同じ境遇のわたしたち。」わたしたち レプリカントさんの映画レビュー(感想・評価)
仲良くなったわたしたち、傷つけあったわたしたち、同じ境遇のわたしたち。
クラスに仲のいい友達はおらず、いわゆるリア充グループからは露骨な嫌がらせを受けているイ・ソンはある日、転校生のジアと出逢い仲良くなる。ソンにとって自分がいじめられっこと知らないジアは自分を偏見のないまっさらな状態で受け入れてくれる唯一の友達となるはずだった。はじめての友達といえる彼女のために教会を嫌がる彼女を母親に頼み込んで一週間自宅に泊めてあげたりと、彼女に尽くし、夏休みを二人で過ごした。
ソンにとって二人は今や親友同士と言っても過言ではなかった。しかし、いつのまにかジアはソンをいじめていたグループのボラと同じ塾で仲良くしていて、自分を避けるようになる。新学期が始まりクラスに正式に転校してきたジアはボラたちのグループに入り、ソンのことなどまるで知らない子をみるかのようだ。その変わりようにショックを受け焦るソンは以前のように話しかけるが全く相手にされない。やがてソンはジアが前の学校でいじめにあっていたことを知る。ジアにとっては転校先の学校でまたいじめに合うのは辛いであろう。子供ながらに身につけた処世術でいじめっ子グループに取り入る。
こんな幼い子供でもその子供社会で生きてゆくには処世術が必要とはなんとも世知辛い。大人の社会が子供の社会に悪影響を与えているのか、それとも子供は大人社会に出る準備として処世術を身に付けなければならないものなのか。
作品のオープニングではドッチボールのメンバー選びが行われている。最後まで選ばれなかったら、という主人公の不安な心理が大変よく描かれていて、自らの幼少気が思い起こされる。仲間はずれにはされたくない、何とか集団に溶け込もう。そんな当時の気持ちがよみがえる。仲間はずれにされないために付和雷同して自分以外の子が仲間はずれにされているのをほっとしていた当時の自分。
本作は残酷な子供の社会を実にリアルに描いている。本作をみて子供の社会のなんとも残酷なことかと思いながら、しかし自分とて同じようなことをしていたことが思い起こされる。
遊ぶ度にアザをつけられても乱暴な友達と遊ぶのをやめようとしない弟にソンは何故彼と遊ぶことをやめないのか尋ねる。弟はやられたらやり返すし、相手のことを責めていたら、じゃあ、いつ相手と遊ぶのと、逆に聞き返され、はっとするソン。
互いの境遇をよく知り、互いを想い合うが故に激しくぶつかり合い、傷つけ合うソンとジア。いずれ二人の間には唯一無二の絆が生まれるのだろうか。
本作は最近の思春期ものの傑作「エイスグレード」や「はちどり」以上に身につまされる作品であり、衝撃度も前二作以上の作品だった。
オープニングのシーンと同じくドッチボールのメンバー選びで終わるラスト、構成の巧さもさることながら、かすかな希望をもたせるその終わりかたが秀逸で、心にいつまでも残る作品となった。