劇場公開日 2017年1月21日

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「マーチン・スコセッシ版と篠田正浩版を比較して」沈黙 サイレンス KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0マーチン・スコセッシ版と篠田正浩版を比較して

2020年10月10日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

結論としては、
スコセッシ版は遠藤周作未読の人と
アメリカ人のためのダイジェスト編、
篠田版は遠藤周作の日本人愛読者のための
応用編、
ということになるだろうか。

宣教師と日本人とのコミュニケーション
として、
篠田版では、宣教師がある程度、
日本語を話せる設定、
スコセッシ版ではかなりの日本人が
ポルトガル語(映画では便宜的に英語)を
話せる設定で、
さすがに後者はないだろうと思うが、
これは興行上の理由だと理解しつつも、
日本人の私には不自然に感じてしまう。

スコセッシは原作を忠実に踏襲し、
初めてこの物語に触れる観客には
分かり易い。
一方、
篠田版ではストーリーの運びについては、
大胆なカットと改変で、
原作のストーリーそのままの踏襲は避けた。
遠藤周作愛読者は、
キチジローはユダでもあるが、
「死海のほとり」の“ねずみ”との符合性
なども含めて、他の作品から映像の行間を
想像力で埋めながら観ていくだろう。

映像描写も静と動のように異なる。
例えば、住民3人の十字架刑の場面のように、
海中に静かに没してゆく篠田版に対し、
スコセッシは荒波に飲まれるダイナミックな
映像をあえて狙っているように感じる。
これは多分に両国民の感性や映画文化・歴史の違いがもたらす結果なのだろうか。

両作品の基本的なストーリーそのものに
大きな違いはないが、
そもそも、この作品の映像化においては、
どんな検討をもってしても
遠藤周作の独特なキリスト観の原作を
正確に描くことは難しいだろう。
ならば
分かり易い原作の要約物として描くか、
それでも映画としての独自色を目指すか、
となり、
前者がスコセッシ版であり、
後者が篠田版なのだろう。

スコセッシ版は、原作の基本的なストーリーを忠実に再現することに徹した結果、
映画は時に、原作とは異なる別の価値を
創造するという意味では
物足りなくなったように感じる。

多分に、スコセッシは原作を尊重した
ということよりも、
遠藤周作の独特な母性的同伴キリスト像
を内包出来ず、
ストーリーを追うばかりになってしまった
のではないか。

私は総じて”映画として”の完成度は
篠田版の方が数段上かと思うが、
遠藤作品を未読の日本人や
アメリカの方々には、
この作品は意味があるのかも、と思った。

KENZO一級建築士事務所
きりんさんのコメント
2021年5月20日

コメントありがとうございました。

「死海のほとり」は読みました、誰もが自分ごととして出会うイエス像を、遠藤は実に率直に原稿用紙に書き起こしていますね。第三者的・客観的筆致は、彼には採れなかったのだと思います。

映画の「海と毒薬」は観ていますが、いまだレビューに取りかかれない作品のひとつ。宿題が山積みです。
レビューのための作文と この映画への応答は、僕はまだ先になりそうです。

きりん